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赤松の林


赤松の林_c0236929_18425093.jpg


忍野でいつものように富士山を描いていたのだが、制作中の癖でしょっちゅう後ろにさがって画面を眺めていた。ちょっと足場が悪いのでよく後ろを気をつけながら見ていると、向こうの方の赤松の林が段々ときれいに見えだしてきた。今描いている富士に集中できないくらいにきれいになってきた。

仕方がないので次の日にF12号のキャンバスをもって同じ場所に出かけたのである。富士と赤松を交互に毎日描きに出かける日々が続いて、富士の絵は出来上がったのだが赤松の方は周りの景色が季節が進みすぎて翌年回しにおいていた。

今年になってようやく出来上がった風景画である。特に忍野という場所柄には関係のない赤松の林であるが、その松の並木と周りの雑木の枯れた色の対比、赤とかすんだ色の対比に惹かれて描き始めた作品である。




# by papasanmazan | 2023-03-30 10:32 | 風景画 | Comments(2)

パイプのある静物





パイプのある静物_c0236929_11073703.jpg


F3号のキャンバスにパイプや花、果物などを雑然と取り合わせて、比較的小さな静物画を描いてみた。小さな画面にたくさんの物を置いて、その個々の輪郭線や接点のつながりなどを見ていくのも一つの面白さになるかもしれない。

少し重くて、深い色を使いながら白という色や果物の原色を引き立たせようと試みた一枚であるが、とくにあまり色彩的には目立ったものがないパイプを選んだのかというと、その重い色を物を現す色彩として扱うだけではなく、背景とのつながり、画面全体の中の存在の一つとして考えてみたかったのである。

駅伝やリレー競技と同じような面白さかもしれない、一人一人の力量を比較しながら全体のレベルを計って行くわけである。パイプのこげ茶や黒い輪郭はテーブルや背景と同等の力を持っていながらパイプを現すことにもなるのである。

# by papasanmazan | 2023-03-27 02:01 | 静物画 | Comments(2)

梅の咲く頃の富士





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2月に描き始めたF15号の富士の絵、高く伸びた松の姿がが美しく、ちょうどイーゼルを立てるのにいい場所も見つかって、順調に制作を重ねていたのだが、だんだんと季節が進んできて、気がつくと梅の花が咲きだしてきたのである。画面の中にまで梅が満開になってきた。

まるではかったかのように富士と松と梅の取り合わせの絵になっている、それはそれでいいのではないかと思い返して制作を続けた。構図、動き、変化、色彩など、いつもの意識が働いているのだが、先日来どうも触覚ということが頭にもたげられてくるのである。

鈴木大拙の禅で学んだ即非の論理ということ、肯定が即、否定になる。否定が即肯定になる。その即というところには同時という時間の観念もない、その理屈で触覚を考えたり感じたりしているのである。

絵画の制作だから当然まずは視覚から入っていくのだろうが,その視覚即触覚、触覚即視覚、その感じが作品に出てこなければならない、というのが今の私の命題なのである。どうも過去のことを振り返っても、セザンヌがタンペラマンとよく言っていたということ、そのタンペラマンというのは性格という意味のキャラクテールや、個性といったペルソナリテとは全く違った意味で使っているのではないだろうか、今いっている触覚の問題に近いところの意味がふくまれているような気がしてならないのである。


# by papasanmazan | 2023-03-21 07:58 | 風景画 | Comments(0)

急須と湯のみ




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規格では一番小さなF0号のキャンバスに急須と湯のみを無造作に置いて描いてみた。少し民芸品のような急須とフランスから持ち帰った湯のみで、あまりしっくりといかないかもしれない取り合わせであるが、民芸的な味わいとか、フランスらしいシャレた感じとかを表現したいとは一切思わないので、造形的にさえ使えればこういったモチーフで充分である。

曲線が多くアウトラインを占めてくるので、何とかテーブルの直線を目立たたないながら取り入れてみている。こう言うちょっとした、あまり視線を遮らないようなものの取り扱いは大切である。描いていくうえでもかなり神経を使うものである。

かえって主役になるものの描き込みのほうが楽に思われることもある。先日投稿した”ミカンの静物”で新しく試してみた白のテーブルの上に今回もモチーフを置いているが、白を使っていくうえで何か新しい色幅が出てきそうな感じがしている。


# by papasanmazan | 2023-03-17 09:25 | 小さな絵 | Comments(0)

溶岩樹形の森(8)



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しばらく遠ざかっていた溶岩樹形の制作、今回はF10号の縦型の画面である。岩と木々による構成も、右下に流れていく動きも今までの制作と変わりはないが、自分の制作の根本に変化が起こってきているのは確かである。

今までもそうであるし現在も同じで、画面全体、という表現に全力を注ぐのであるが、一つ前進しているのは触覚を大切にする、ということに気づいたのである。味覚や聴覚,視覚、その他の感覚だけではなく、もっと大切な感覚に触覚というものがある。触った感じである。

絵画でいうとマチエール、絵肌というのが近く考えられかもしれないが、それは特に西洋画の場合質感と同等に考えがちなのである。しかし今言うところの触覚というのは個々の表わされた物体の質感ではなく、画面全体の肌触りである。

以前からこの考えは持っていたのだが最近、とみにそのことが分かってきた。そしてそれが分かってくると今まで気になっていた雪舟の画面や、ミケランジェロの素描、、ダ・ヴィンチの最後の晩餐。ヴェラスケスの皇女マルガリータなどの今まで見てきた最高のものがますますなぜ素晴らしいのかが分かってきたのである。

バルザックの小説、ルイ・ランベールを読んだのがきっかけでこの触覚ということを誘発された。実在の人物でバルザックの学友、そして悲劇の天才ルイ・ランベール。まるで数学者のガロワを思い起こさせるような人物である。



# by papasanmazan | 2023-03-12 19:09 | 風景画 | Comments(2)