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ロック・アルリックの村


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今年の三月に日本から来た知人を連れてちょっとロック・アルリックの近くを回ってみた。バルーの城やジゴンダスなど観光地としても見所の多いこの地方だが、とりわけ岩山をめぐるこのロック・アルリックの村は日本人には新鮮な光景だろう。


すでにこの風景は何度も描いているのだが、その日も話をしながらいつもの制作場所から少し奥へ行ってみるともう一度描いてみたい角度のところが見つかった。以前の構図よりも少し左側の面積が増して、空間的には楽な感じがするのである。


ただしこの風景は手前の岩山と。それに張りついたような村の建物、その背景に大きなダンテル・ド・モンミライユという、これも岩をところどころむき出したような山が控えている。これらを一つの空間におさめていくのはなかなかに難しい。特に岩の色彩に注意していかなくてはならない。その色彩が単純になっては平板な画面に陥るし、複雑さに目をうばわれすぎるとなんともコセコセした、自然の大きさの失われた絵画になってしまう。


やはり何度描いても難しさだけが身にしみる制作である。今回はF15号のキャンバスを使った。







# by papasanmazan | 2019-06-26 23:43 | 風景画 | Comments(2)

エニシダ(黒地)







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先日の投稿でアザミとエニシダのパステルを紹介したが、こんどはエニシダだけを描いてみた。久しぶりに黒い紙を使ってパステル画にしたものである。


黒い地に描く時はかなり色が吸収されて、色彩自体が落ち込みがちなので、意識的にひと調子高いトーンで描いたほうがよさそうである。それからやはり黒という背景に物を表現していくので、へたをするとケレン味がかってしまって美しさが損なわれるような気がする。いつもそのあたりのことを気遣いながら黒地をあつかうようにしている。



このエニシダの花の形は大好きで、同じような豆科の花をパステルで時々描いたりする。丸や三日月型のつながっていく形の総体が好きなのである。ただこれも要注意であって、好きなモチーフだけに時として感情移入しすぎてしまうのである。感情移入が悪いというわけではないが、自分としてはもっと画面の自律性を大切にしたく思っている。美術作品の好き嫌いで言っても感情移入が前面に出てくるような作品は余り好きではない。


ヴォリンガーの抽象と感情移入という本は美学のうえで大切なものである。抽象と感情移入を対立した概念として捉えて、現代絵画の考え方に大きく寄与しているが、抽象絵画といえども、見ているとその中に随分感情移入されたようなものもあると思われる。私が余り好きではないという画面はそういったアイマイさを感じさせるものをいうのである。

# by papasanmazan | 2019-06-23 03:17 | パステル | Comments(2)

ヴァントゥー山(ベル・ヴューから)






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久しぶりに30号の油彩を制作した。M30号である。若いときには30号くらいは極当たり前の大きさだったが、最近は20号位までの大きさどまりが多く、ちょっとなさけない気もするのだが、戸外での制作ともなると30号くらいまでになってしまう。

昨年の夏以降、ヴァントゥ-山を描くのにこのベル・ヴューという名前のキャンピング場のすぐそばにイーゼルを据えることが多い。ベル・ヴュー(いい眺め)というだけあって大変に眺望の開けたきれいな風景のところである.前景の大地を通してヴァントゥーがなんのさえぎりもなく大きく展開してくれる。

この場所は以前から制作にもってこいのところになるとは思っていたのだが、何せ相手がだだっ広く、建物や林や畑などが本当につかみどころがないほどに小さく見えるだけで、大地の扱いや山の横への変化などをどうして扱っていいのか分からなかった。

昨年のこの場所での20号の制作いらい段々と、制作する自分と風景の一体化を感じるようになってきた。形と色を使って表現するのが絵画の基本だが、それにまして何か精神的に一つ自由なものを得たような気がしたのである。それでこのいい季節を待ってこの30号の制作になったのである。今の自分としては満足のできる画面になったと思っている。

# by papasanmazan | 2019-06-17 02:55 | 風景画 | Comments(2)

アザミとエニシダ




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早春の頃、カンヌとニースの間のマンドリュー・ラ・ナプールではミモザ祭りがおこなわれる。まだ寒い時期なのだがかれんな黄色い花を求めた人たちでにぎわう有名なお祭りである。我が家でも南仏に越してきてすぐにミモザを庭に植えたのだが、植木屋さんの意見どうり一度寒さがやってきて氷点下の気温になったとたんに順調に育っていたミモザがだめになってしまった経験がある。カンヌ、ニースあたりの気温よりこのあたりはだいぶ寒さが違ってくるのである。

しかしちょうど5,6月頃になると私たちの住むマザンだけではなく、この地方広範囲にわたって野生のエニシダがいきおいよく黄色い花を咲かせてくれる。それこそ群を成した黄色があちこちで目につくのである。日本にいるときからこのエニシダの花は好きだったが、プロヴァンスのものは日本のよりは花も少し大きめで、黄色も濃いような気がする。本当に野生味があって、どこにでも見られる景色なのだが、いっそミモザ祭りのむこうをはってエニシダ祭りでも企画してみたら、と思うほどである。


そんなエニシダの群生のそばにこれもまた日本のよりかなり大きな花を咲かせたアザミをみつけた。黄色とピンクがかった紫色との対比がきれいだったのでパステルにしてみた。

# by papasanmazan | 2019-06-14 00:34 | パステル | Comments(0)

アーモンドの花とマザンの教会


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セザンヌは戸外の制作に出掛けたり、水彩道具を肩にして仕事に向かう時、絵を描きに行こうとか、仕事に出掛けようとかは言わなかったそうで、さあモチーフに行こう、と言ったそうである。これはセザンヌを理解するうえで大切な言葉だと思う。

日本でもこの頃はよくモチヴェーションとかいった言葉を使うが、このモチーフという言葉も動機とかいった意味にもなる。また画家が静物画のモデルや、選んだ風景の場所をモチーフといったりもする。音楽で言うとワーグナーがライトモチーフなどという言い方で,導調といった感じで使っているようである。


セザンヌの場合のモチーフもこの導調といった意味で、普通に言う絵を描く、といった意味よりも一枚の画面の最初の調子を探しに行こう、単にいい景色を探しに行こう、絵を描きに行こうということではないのである。ここのところがセザンヌの制作の独特なところで、他の画家と一線を画するところである。セザンヌの芸術をよく理解していたゴーギャンは同じく制作に出掛ける時に、さあセザンヌに行こうといったそうである。よくセザンヌの動機付けが理解できている言葉だと思う。

先日のP3号のマザンとヴァントゥー山に続いてこれも同じくP3号にアーモンドの花の美しい季節のマザンの景色を描いてみた。これなども普通で言って美しい花見気分の絵かもしれないが、自分としてはセザンヌのモチーフと同じ意味で描いてみようと思ったものである。河口湖と桜をあしらった絵のような美しさとは少し違っているかもしれない。




# by papasanmazan | 2019-06-10 20:22 | 風景画 | Comments(2)

マザンとヴァントゥー山




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マザンの風景といえば誰もがここだ、といえるような場所、我が家からもほんの少しの距離である。もう何度も描きなれている風景ではあるが、やはり春が過ぎて空の色がどんどん青く、明るくなってくると、また描いてみようという気持ちになる。


しかし徐々に変わりつつある景色でもある。何か色も全体的にきれいになって、それはそれで結構なことなのだが、なんだか風景が軽くなったような印象を受ける。素朴な美しさも残しておきたいような気がするが、これも時代なのだろうか。

今回はP3号のキャンバスに描いてみた。P3号というのは初めてで、F3号よりもこころもち細長い形である。この風景は写真家などもよく選んでいる場所で、日曜画家のフランス人グループもここで描いていたのを見たことがあるが、私には案外難しい制作だといつも思うのである。というのも奥行きがつけにくい構図になってくるからで、息抜きになるような部分がなかなか見つけられない、だからマザンの村の裏からヴァントゥー山までの距離感が出しずらいのである。


セザンヌはこういう風景の時にでも距離感を充分に表現する術を知っている画家である。いわゆるセザンヌの絵の垂直性といわれるもので、その垂直感で奥行きに引き込んでいくのだと解説されている、しかし私にはその垂直感というのと奥行きというのがどう関係するのかよく理解できないのである。垂直感というよりももっと、縦に切り込んでいく心理、縦の空間処理、切り込んだ遠近法、といったほうが分かりやすいのである。

# by papasanmazan | 2019-06-07 18:59 | 風景画 | Comments(2)

庭の天使

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風景画といっていいのか静物画ともいえるようなF10号の絵を一点制作した。以前ブドウの木の下においていた天使の像を、満開のバラの木のほうへ置きなおし、そのバラや松の小枝などもあしらって描いてみた。


最近キリスト像や少女の像を描いてきたが、いずれもF10号の縦型で、この天使の像も期せずして同じ縦型、同じ大きさになった。一つの理由はバロック的な画面を志したからである。動きを重視して、上から下への流れを意識したものの置き方を考えた結果、こういった作品が出来上がってきたのである。


そういえばこのごろは低い位置にイーゼルを据えて描く事が多い。以前には思いもかけなかったような動きのある画面が出来て、大変に面白い制作になっている。

# by papasanmazan | 2019-06-05 20:07 | 静物画 | Comments(2)

キャロンの教会(サムホール)







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先日投稿したF0号の小さな絵、キャロンの教会を同じ場所、同じ角度で、これも小さなサムホールの絵にしてみた。ただし今度は横型で、F0号よりはこころもち大きいサイズである。縦型に使った前作が教会や建物を見上げたような、まるで目の前の風景に直面しているような印象とは違って、今回のサムホールのものは画面としては小さいながらゆったりした構成になっている。

F0号の時に意見を寄せてくだっさた中に、小さな窓から見たような風景、という言葉をいただいたのが大変に印象深く、有難かった。もう三十年以上も前のことで、日本にいた時のことだが、毎年冬には一ヶ月くらい富士山のふもとに滞在して、色々な角度から制作していた。そのうちの一点を個展時に買ってくださった方に、うれしくてお礼を言うと、毎日家の窓から富士山を眺めているようで大変満足している、と言っていただいたことがある。これも忘れられない有難い思い出である。


この窓から見たような風景、という言葉は画家にとってよく考えておかなければならないことだと思う。よく絵の批評会などで先生が、風景を切り取る、という言葉を使われることがある。つまり構図を決めていく時に実際の風景なり、静物の組み合わせで、どこで画面を切り取っていくか、上下、左右の四辺に限られた画面にどう物をおさめていくか、これが空間を決定する第一の要素であるから大切なところだといえるのである。それをグンとポピュラーな言葉になおせば窓から見たような風景、ということになる。

# by papasanmazan | 2019-06-01 19:00 | 小さな絵 | Comments(0)

野の花(タテ型)






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先日の野の花のパステルに続いて今度は紙をタテ型に使ってかわいい野原の花を描いてみた。まだまだ花がいっぱいで、コクリコの赤やエニシダの黄色もよく目に付く季節である。

花を描くといっても植物図鑑を作るわけではないから、細部などは自由に省略したり、また時には色の強さに惹かれて強調した色彩を与えたりする。パステルだからといって、いわゆる雰囲気だけを求めたような画面は余り作りたいとは思わない。

この小さなパステルの画面でも、できるだけ目線をヒッパリ合うような黄色と紫の色の対比を構成的に扱おうという意図で持って仕上げたつもりである。






# by papasanmazan | 2019-05-30 01:06 | Comments(0)

マルモールの教会





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マザンからブナスクへ抜ける道の途中にマルモールの村がある。ここも人口は少ないが、最近少しづつ新しい家が増えてきた。どの村も人口増加、新築ブームである。南フランスに住んでもう15年以上になるが、大分趣が変わってきて、新しさが目に付くようになってきた。バスの便などが多くなって、生活面の改善もあるかもしれないが、なにかかつてののんびり、ゆったりした雰囲気が懐かしい気がしてならない。

マルモールの教会や村を見渡すこの景色を描くのは記憶違いでなければこれで三度目だが、最初の作品では村全体が地面の中に沈んだような具合になってしまい、全くの失敗に終わった。二作目にかかる時に何故そのような失敗に陥るのか、かなり考えてみたのだが、もう一つ原因がよく分からなかった。

この三度目のF4号の制作の途中でその原因がはっきりとつかめた。背景にあたるダンテル・ドゥ・モン・ミライユの山の調子をうんと押さえていかなくてはならないのである。今までの制作では、要するに村や教会、手前の林、そして背景の山が余りに一本調子過ぎて、メリハリがなさ過ぎたのである。そのために建物の群が沈み込んでいったのだと思う。

この作品で一応の答えは出たように思っている。



# by papasanmazan | 2019-05-26 23:09 | 風景画 | Comments(0)

少女像と花




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よく静物画の制作に使っている少女の像と,アトリエに咲いている鉢植えのポインセチアなどを組み合わせてF10号のキャンバスに仕事をしてみた。何度も描いているこの少女像だが、以前から下から見上げた姿がいいと思っていた。余りそういった構図を考えたこともなかったのだが今回は初めてフロアーに座り込んで、うんと低い位置から一枚の静物画を描いたわけである。

映画監督の小津安二郎の撮影で、ローアングルというのは有名である。ほとんど床下から舞台を眺めたような設定で映画の撮影をするのである。配置された人物や小道具などがまるでピックアップされたような感じに浮きだされてくるようである。それに加えて垂直、水平の要素を強調した画面はまさしく映画の巨匠の名に恥じない堂々たる出来である。どの映画だったかは忘れたが台所に酒瓶一本置いてある場面に、その置き方の厳密なのに驚いたことがあった。

静物画の物の置き方もそうありたいものである。低い位置からの少女像の表情を引き立たせるのに花や布、小さな砂糖つぼなどを色彩の取り合わせや画面の流れを考えながら制作を続けたが、置かれた物の部分よりも案外背景の処理が難しかった。こういったところは出来るだけアッサリとさせたいのだが、かえって描き込まないようにと思う分、難しさを感じる。

# by papasanmazan | 2019-05-21 22:47 | 静物画 | Comments(2)

野の花






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春が過ぎると野原のあちらこちらに野草が咲き乱れている。我が家の前の空き地にも木陰などに色とりどりの花が見られて、ちょっと気をつけただけでもかなりの種類があり、いくつかを取り合わせてスケッチを基にパステルにしたりする。

家の庭などだとそのままパステルを持ち出しての戸外制作になるが、アトリエでの制作も自分の趣向を踏まえていけるのでこれも楽しい仕事である。以前は力みかえったようなパステルの扱いだったが、最近はかなり柔らかく使えるようになって、指も大分らくになってきた。

小さなグレー地の画面に黄色と赤、紫の野草をおさめてみた。縦に花を配置しながらその繰り返しのリズムで目線を横にひっぱっていきたかった。

# by papasanmazan | 2019-05-20 00:55 | パステル | Comments(0)

キャロンの教会


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我が家から車で10分位のところにキャロンの村がある。最近はこの村でよく仕事をしている。バルーにある城や、岩山にへばりついているロック・アルリックの村などを描きに行くときには必ずこのキャロンを通るので、以前から気になっている村ではあった。

建物が上下に重なり合いながら、鐘楼や教会の連なりが横への変化に視線をひいて、村全体のマッスがなかなかに重厚である。こういうのを本当の重層構造といっていいのだと思う。新しい都市の、上へ、上へ、というのではなく、地面から生え上がっていくような感じである。そしてそこにはいかにも人の生活がある、土着というものだろう。

今度はこの教会にうんと近づいて、縦の流れだけを写し出す、見上げたところにはほとんど石の壁だけといったようなものを、これもうんと小さなF0号のキャンバスにおさめてみた。

大きな対象を手のひらほどのものに表現する、ちょっと気を衒ったやり方かもしれないが、描いていて大変に面白かった。






# by papasanmazan | 2019-05-15 11:07 | 小さな絵 | Comments(4)

キリストの像




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アトリエに置いてあるキリストの像を静物画にしてみた。F10号のキャンバスを縦型に使って、本を二冊と背景の布、鉢植えの植物をあしらって描き始めた。本がなんとなく聖書を暗示できればいいと思って使ってみたのだが、別に宗教的な寓意などはない。

制作の進行とともに何か構成的な要素がほしくなってきた。画面が布や葉っぱの繰り返しが目立ちすぎて肝心のキリスト像がシャンと存在してこないのである。しばらく考え込んでいたが、思いついたのが十字架を添えて、その直線を構成に組み込んでいこうとしてみたのである。それからの制作は大変に気乗りのしたものになった。ただし十字架にも寓意はない、またそれほど目立つようにも描かずにしておいた。

仏教、特に禅に関する本に比べてキリスト経関係の本は今まで余り読まないでいる。関心は高まるのだが、よく理解できるようになったのは内村鑑三の聖書註解全集を読んでからである。特にロマ書の研究がよかった。カール・バルトのロマ書研究もいいと聞くがまだ読まずにいる。

# by papasanmazan | 2019-05-12 19:20 | 静物画 | Comments(0)

赤い山と笠松





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前作のP20号に続いてF12号の油彩である。午前中にP20号、昼からF12号を描いた。一週間の予約をしていったのだが、とにかく雨と強風にみまわれて、もう二日延長してようやくこの二点を完成させてきた。

地中海沿いの、いわゆるコート・ダ・ジュールあたりになると笠松が多く見られてくる。フランス語でいうとパラソル型の松というが、その笠松が連なって群を成したところの姿はなんとも趣がある。これがもっと先に行ってローマの松になる。

三年位前にはサン・トロッペの海沿いの笠松を描いたことがあるが、このロックブリューヌも笠松があちこちに見られ、それが赤い山と対比してまことに美しい。山のすそを笠松が埋め尽くしているような場所を見つけて制作してみた。

かなり色彩を計量していかないと赤と緑の対比がケバケバしくなりそうである。岩を彩る赤も笠松の澄んだ緑も、それぞれの色自体としてはきれいだが、画面全体の働きとしては充分にコントロールしていかなければならない。

# by papasanmazan | 2019-05-04 15:39 | 風景画 | Comments(4)

赤い岩山












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毎年春、秋に出かけるヴァカンス、今年も家内と二人で地中海の近くで過ごしてきた。一週間の予定だったが途中二日間が雨、仕方なく九日間に延長して二枚の油彩を描いてきた。

以前から気づいていた場所で、昨年秋のヴァカンスからの帰りに特にこの場所を選んでおいた。また日帰りで制作場所を探しにも来ていたのでなんとかP20号とF12号を終えることが出来た。エステレル山塊のはずれとでもいうのか、ロックブリューヌという赤い岩山である。


今まで赤い岩や森などを描いてきたその延長線にあるとでもいえる制作で、自分としても心待ちにしていたヴァカンスであった。あいにくの天候で、雨や強風にたたられたが、制作としてはよく集中できた作品である。


赤い山と頭にこびりついたモチーフであったが、描いているうちにほとんど山という観念は消え失せてしまった。出てきたのは岩である。山の全容などよりも眼前には岩だけになってしまった。まるで達磨の面壁のような気持ちである。フランスにいるのやら少林寺にいるのやら分からない、これは新しい経験であった。これはP20号のキャンバスで、赤の色をケバケバしく見せないように心がけた。

# by papasanmazan | 2019-04-30 20:05 | 風景画 | Comments(0)

マルモールの農家


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マルモールという村のはずれに大変大きくて古い農家がある。もちろん石造りでしっかりとした建物である。部分的に外壁などを新しくしてあって、それほど見た目には変哲はないが、構造的にはどっしりしていて、以前から描いてみたいものの一つだった。


ちょうど新緑の頃で、畑の麦の柔らかい緑の色なども目に飛び込んできて、色彩の対比にも絵心をそそるものがある。F10号のキャンバスに描いてみた。



こういった造形的に強い建物を描くのにあまり細かい表現は不必要だと気付くようになった。大きいところはそのまま大きく出してう行く,それで充分である。細やかな色の変化や,階調の昇り降りも部分的に必要ならば加えていくが、大きくて済むところは大きく出していくべきである。年齢とともに制作の方法もずいぶん楽な方に流れてきているのかもしれない。





# by papasanmazan | 2019-04-23 00:52 | Comments(2)

キャロンの村


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キャロンの建物に少しずつ慣れて、つかみ出してきたので村の全体を描いてみようと思った。以前買ったフランス製の額にあわせて、大きさは12号大、横長の特寸で、62×41cmのキャンバスである。


教会の建物を左に倒しながら画面右に村の建物をひとかたまりに考えながら、それを右に傾けて、動きをつけながら、全体としては扇型に目線を引っ張っていくように心がけた配置である。建物を主にするといっても個々の建物が重要にはならずに、あくまでも全体の流れを考えてみたかった。


このキャンバスの切れている右側に鐘楼の建物が位置するのだが、それまで収めてしまうとまるで村の案内図にでもなりそうで、全く俗っぽくなってしまいそうなのであえてこの切り取った構図にしてみた作品である。

# by papasanmazan | 2019-04-12 18:29 | 風景画 | Comments(2)

キャロンの教会





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風景画を描くといっても建物を主題にするのは今まで余り考えなかったことである。山や川、海、空などいわゆる自然の風景の中にとけこんでいる人工の建物を、いわば添え物として描くようなことが多かった。また村や町の家並み、全景といった感じで建物を捉えようとするので、遠くから見た風景が多かったのである。


フランスに限らずヨーロッパにはどこにでも教会は見受けられるが、その建物に接してもあまり描く興味は起こらなかったのだが、今回は先日のキャロンの鐘楼に続いてキャロンの教会である。といってもいわゆる教会らしく見える正面から見たものではなく、真横から見上げて、人家も加えた構成的な風景である。直線の織り成す角度の構成に惹かれたもので。P10号の大きさの絵にしてみた。


建物の重なりだけではなく緑の部分も入ってくるが、やはり目を休ませる意味ではそういった息抜きも必要なのかもしれない。少し甘い画面になるかもしれないが仕方ないと思う。

# by papasanmazan | 2019-04-06 12:06 | 風景画 | Comments(0)

キャロンの鐘楼





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建物を主題にして制作しようと、あちこちの村などを見直したり、探し回ったりしているのだが、近くのキャロンの村の重なり合って、せりあがったような家々の構造が面白く、制作もそこにばかり出かけている。

おまけにこの村の鐘楼がなかなか遠くから見ても魅力があって、建物との組み合わせも描いてみたくなった。小さな画面を選んでF3号のキャンバスにしてみた。このキャロンだけではなく、多くのプロヴァンスの村の鐘楼は特徴的で、一つの見所である。


かなり近寄ったところにイーゼルを立てて、グンと見上げた角度に仕上げてみた。以前からこのキャロンの村を通ってあちこちに出かけていて、この建物や教会、鐘楼などは見慣れたものだったのだが、途中で駐車して畑の中をつききって絵の描ける場所までたどり着けるのに気がつかなかった。一つ場所が見つかるとあとから、あとから絵が出来そうである。

# by papasanmazan | 2019-04-04 22:11 | 風景画 | Comments(2)

松林の中の小屋





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久しぶりに門番さんの小屋のある風景を描きに行った。以前にも何点か描いていたのだが、イーゼルを立てるのに新しい場所が見つかって、今回はP15号のキャンバスを選んだ。


この作品はブドウ畑の中で描いたものである。ぶどうの木も古くなると駄目なようで、何年かに一度は植え替えているのをよく見かける。古くなった木を全部抜いた後、畑全体を耕しなおして新しい苗を規則正しい間隔で植えている。


この畑も新しくなって、今まで入れなかった所にちょうど絵を描くのに適した場所が見つかったので、角度を変えて制作したものである。描く位置もかわったが自分の心も随分変わってきたようである。モチーフに対する感覚、制作の集中度の違いが自分自身よく分かる。


最近の制作全般で何か自信めいた予言のようなものが出てきて、一つの到達点が夢でもないような気がしている。

# by papasanmazan | 2019-03-30 11:17 | 風景画 | Comments(0)

五つのリンゴ




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先日投稿した三つのリンゴ(F3号)に続いて、やはり縦型にキャンバスをつかって、今度は少し大きくF6号にリンゴを五つ収めた静物画を描いてみた。背景に前作とおなじくチェックの柄で、これも少し趣向を変えて無彩色の白、灰、黒の布を利用した。


三っつのリンゴが出来上がった時からもっと垂直に動きのあるリンゴの構成を考えていたのでこの形はおおよそ予想していたのだが、テーブルがわりの小さな椅子の足の部分も是非構成の一部にしてみたいと思っていたので、少し気をてらった形になったかもしれないが、こういった一枚の静物の制作になった。


これくらいの意図的なものが当たり前に出来なくては、という思いがある。自分の考えを押しとうしていくのだが、今までに獲得している技術的なものを使って、あくまでも出来上がったものには苦渋のあとが残らないようにしたいものである。

# by papasanmazan | 2019-03-27 20:06 | 静物画 | Comments(2)

プロヴァンスの村




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建物と少しの松などを添えたプロヴァンスの村、キャロンの街道のあたりを描いてみた。M10号の細長い画面である。建物を一つ一つ捉えるのではなく、自然の中の流れの中の調和として考えながら、対比も与えて描きあげたものである。

色彩としてはまだ夏の強烈なものはないが、やはり澄んで純度の高いものが感じられる風景である。私としてはそこに何とか透明感を与えてみたいのである。制作としても全体をつかみながら互いの関係を徐々に明確にしていきたい。一気に描き上げるような情熱的なものはないが、じっくりと構成された隠れた強さが出ればと思っている。

# by papasanmazan | 2019-03-25 01:53 | 風景画 | Comments(0)

キャロンの家と松





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今年の一つの目標はプロヴァンスの村の建物や集落を描くことである。この地方に住んでもう15年以上になったのだが、ヴァントゥー山をはじめとしてプロヴァンスの風景を随分油彩や水彩で描いてきたが、いわゆる石造りの家を主題としたものは少なかった。


以前定期的に個展をしていたデパートの画廊から、もっとプロヴァンスらしい風景、村の中の花を飾った家々や、雰囲気のある店などの情景などの絵を描いたほうがいいといわれたことがある。パリで言ったらセーヌの川岸や凱旋門をあしらった絵、フーケッツの赤いサロンを描け、といったところだろうか。どうも私には気乗りもしないし興味のない話だった。


しかしプロヴァンスの家並みや村の集落を造形的に扱いたいとは前々から思っていた。素朴で飾りのない構造的に強いものを求めていたのである。まずはマザンから近いキャロンの家と松を並べて描いてみた、P8号のキャンバスである。

# by papasanmazan | 2019-03-21 20:12 | 風景画 | Comments(2)

バルーの松と家





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以前描いてみたもので少し気になるもの、もっと何らかの発展になるかもしれないと思われるもの、そういった画題をよく考えながら突き詰めていくのも大切なことかもしれない。新しい主題だけを求めるのではなく、常に自分と向き合っていくということを心がければ、古いとか新しいとかいうことは問題にならなくなってくるような気がする。

このブログで2017年7月14日にさかのぼってバルーの大きな松というF15号の作品を投稿したことがあるが、この構図を使ってもう一枚油彩を試してみた。特別寸法で10号より少し小さな画面である。


キャンバスを縦型に使って松の木の高さを増し、家並みももっと構築性を出すようにしてみたかった。そのほうが全体としてしまったような感じが出てくるのではないか、冗長なものが避けられるのではないか、という思いからであった。制作としてもその事前の計画とあいまって割りにキビキビと色も形も決まっていった。途中の抵抗されるような感覚も少なく、気持ちのいい進み具合だった。パステルを描いている時がこの感じに似ていると思うのだが、出来上がったものはやはり油彩の空間である。

# by papasanmazan | 2019-03-15 06:39 | 風景画 | Comments(2)

クロッカスと白いスミレ




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今年もアーモンドの花が咲いて、プロヴァンスにも春がやってきた。暖かい日が多く、いつもより花がいっせいに咲き出したような感じがする。我が家の庭にも毎年決まったように、別に植えたわけでもないのにクロッカスの花が咲く。そしてやはり庭のあちこちにスミレの花が群がって咲いている。


毎年描こう,描こうと思いながら,ついほかの制作に追われてそのままになっていた。今年はようやく小さいパステルにすることが出来た。こんなちょっとした仕事でもやってみれば結構な労力で、また出来上がってみれば楽しいものである。思い入れるようなことはことさらないはずだが、なんとなく愛おしいような気もするのである。


谷崎の細雪の中に、毎年花見の頃になって、美しく着飾った姉妹が、今年こそこれが皆で出かける最後になると思いながら,ゆく春を惜しむ、といった情景がある。惜春という言葉の持つ日本語の美しさを存分にあらわしている。こういった言葉も現代では死語になりつつあるのかもしれないが、やはり春になればみんな花見にも出かけ、暖かさを喜ぶ感情は残っているはずである。

# by papasanmazan | 2019-03-12 07:24 | パステル | Comments(0)

プロヴァンスの平野




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2015年3月3日の日付でこのブログに投稿したバルーの農家という作品と同じ場所で四年ぶりに、これも同じ構図、ほぼ同じ風景をF12号のキャンバスに描いてみた。前回はF15号だった。この場所からの見晴らしはいかにもプロヴァンスらしく、オリーブや松の緑に大地のオレンジがかった褐色などの対比が魅力である。 


前回の15号の作品を写真で見ていると、近景などはよく描き込めていると思うが遠景の処理がまだうるさく、もっとアッサリとした省略が必要だと思われる。そういう意味からも、また現場の美しさからいってももう一枚描いてみたくなったのである。


今回は少し視点を左に移して、緑の色も出来るだけ明るく抜けたように操作をしながら、全体の軽みを増そうと心がけた。油彩の重厚感を人はよく口にするが、私は透明感のあるほうが好きである。透明で、キャンバスに吸い付いたような色彩の美しさに魅力を感じている。


日本画の岩彩と違って油彩本来の透明性を大切にしたいのが制作の願いである。そこに清潔さを感じるからである。

# by papasanmazan | 2019-03-08 03:26 | 風景画 | Comments(2)

少女像の静物


少女像の静物_c0236929_20351870.jpg

老齢のせいか夜中に目が覚める。寝付くのも速いのだが午前零時前に起き出すことが多く、たいていは本を読んだり、画集を見たりして過ごすので、この三時間位は大変貴重な時間になる。その後また熟睡して朝になる、という繰り返しの毎日である。時間をもてあますということは全くない、むしろ足りないような感じがしている。

F12号の静物画、お気に入りの少女像を使ったものが出来上がった.籠や干からびたザクロなどをあしらって構成したものだが、随分時間が掛かったものである。この制作をしている途中から、先ほど言った夜中の自由な時間にヴェラスケスの画集を集中して見ていた。この年齢になってもまだまだ勉強することは多い。

もともとヴェラスケスは大好きで、プラド美術館に行ってもヴェラスケスの作品しか見なかった、といってもいいほどである。しかもラス・メニナスと絶筆になる皇女マルガリータ、この二点だけである。

今になってやっとマルガリータの絵をとらえることができた。もしもう一度プラドに行く機会があれば完全に理解できると思う。何が分かってきたかといっても決して抽象的なことデではない、ヴェラスケスの仕事の手順というのか、集中力のことである。力のため方が理解できてきたように思うのである。以前はラス・メニナスでそれが分かってきたような気がしていたが、マルガリータのほうがずっと明快である。

この少女像の静物は随分ヴェラスケス理解が助けになった作品である。







# by papasanmazan | 2019-03-06 07:38 | 静物画 | Comments(2)

バルーの城

バルーの城_c0236929_20053903.jpg


2月20日に投稿した城への道とほぼ同じ場所、城へ向かっていく道のちょうど曲がり角の地点でもう一枚バルーの城を描いたF8号の油彩である。手前に葉っぱの散ったブドウ畑が広がっているのだが、地面とブドウの木の枝々が合わさった色がその日の天候で黄色になったりオレンジがかった色になったりして美しかった。


同じようなモチーフを扱ってもやはり出来上がった作品の感じはかなり違ってくる。余り感情的なものをいれたり、即興的な面白さを狙ったような作品は出来るだけ避けて、現象面だけではなく、その奥にある実在の永遠性が表せるように、と常に考えているが、なかなか実際の制作では難しい。


偶然そこにでくあわしたものや、余分だと思われるものは省略するようにしているが、それでも目の前の現象に引っ張られてしまうことがある。相手が美しいものだったらどうしても写し過ぎてしまって後悔する事しばしばである。






# by papasanmazan | 2019-03-03 04:14 | 風景画 | Comments(0)

カーネーションの花束


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先日このブログにパステルで描いたカーネーションを投稿したが、そのあとそのモデルのカーネーションがますます咲きだして本当に毎日が楽しみだった。実はこれは家内が他所からもらってきたものなのだが、余りにきれいで、なんだか見ているだけではもったいなくて、とうとうもう一枚パステルにしてみた。前作は紙の地色が明るいグレーだったが今回はうすいブルーである。


前の作品と少し違った感じにしようと思って、花瓶も入れてみようかなどと色々試したのだが、うるさくなり過ぎそうなので結局花だけの構成になった。ただし色彩の取り合わせは大分違っている。


前作のが254×180ミリ、今回のが270×206ミリで少し大きなパステル画になった。額装する時には前作が太子(タイコ)、今回のが四つ切という額に入る予定である。水彩やパステルは額縁のなかにマットといって余白になるような台紙にその作品の大きさにあわせた窓をあけて、その窓の部分に作品を収めることになる。私はいつもマットの幅を7センチ位に目安を立てている。


以前小さなリンゴ二つを水彩で描いてそれを額装したのだが、かなり大きな額に納めてマットの幅を随分大きくとったことがある。その作品をまず大阪の個展で飾ったのだが、こんなマットが大きくてはもったいない、という意見の人がいた。それを神奈川県の藤沢での個展の時にも出品したら初日に売れてしまった。買ってくださった方に聞いてみると大変シャレているとのことだった。




# by papasanmazan | 2019-02-26 23:49 | パステル | Comments(2)