![]() 今年の2月に出来上がった冬の野の風景と同じ場所に大きな農家があって、またそこには立派なチオル(菩提樹)の木が姿を見せている。夏になったらさぞ涼しい木陰が出来るのだろうなと思われる。プラタナスやチオルを見るたびにあの夏の炎天下の木陰を連想するのである。 もうそろそろ冬の風情も終わりに近くなって、ようやくこの農家の絵を完成させた。前の冬の野の風景と同じP8号の大きさである。このチオルの葉が出てくるとほとんど農家を覆いつくして緑一面の景色になってしまうので、昨年この場所を見つけたときから、これは冬の制作にと予定していた取って置きの場所である。 こういう冬の景色も描きこんでくるとおのずと色の使い方が分かってくる。とくにうまくう紫系統の色に注意すべきだと思う.そしてその対照になる黄色を抑え加減に持っていくほうが上手くいくようである。紫と黄色をあまりに強く使い込んでいくと、冬という感じから離れてしまうのと同時に、画面の品もあまりよくないものになりがちである。 #
by papasanmazan
| 2018-03-17 16:48
| 風景画
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![]() もうすぐ本格的な春というところだが外は天気が悪く、今年になってからも強風や雨の多いプロヴァンスである。せっかく咲いているアーモンドの花も風で吹き飛ばされそうである。この一週間ほど特に強風が続き、それも夜中の十二時頃が特にひどく、本を読んでいても何かこのまま家ごと、世界までがつぶれてしまうのではないかという位の音がして、落ち着いて集中できない時間をすごしている。 制作も戸外の風景がままならず、静物画を少しずつ描いている。約500×400ミリの特別寸法のキャンバスに久しぶりに楽器のピッコロを描いてみた。ローソクやパイプ、ふくれっつらの像、リンゴそれにオレンジなどを合わせて構成してみたものである。キャンバスは8号と10号の中間くらいの大きさで、フランスで買った額縁にあわせたものである。 描いていて随分抽象的な進め方になってきたのに気づく。あまり固有の色にこだわらずに、直感に頼った色の組み合わせが主になって、それらを使った画面の動きを考えていくのが今の制作方法である。これは以前から理想と思っていた方法であるのだから、一つ喜んでいいのではないだろうか。全てが嘘というわけではないが、現実の目の前のものだけに終わるのではない、もっと違った理想がある。すこしずつプラトンを読み返し、イデアの世界や、パイドンのなかの霊魂不滅の説などに納得している。 #
by papasanmazan
| 2018-03-15 19:08
| 静物画
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![]() 毎日の犬の散歩道に大きな白樺の木があって、そこからマザンの村とヴァントゥー山が見渡せていい景色である。昨年もこの場所でF3号の油彩を描いたが、今年は少し大きく、F6号にしてみた。6号の形のほうが感覚的に横長で、ヴァントゥー山がすんなりとおさまりやすいのではないかと思った。 ヴァントゥー山ももう随分描いているが、ようやく力の抜き方が分かってきて描きやすくなってきた。左に垂直性のある白樺の木を配置して、その枝振りと山や村のバランスを考えていく。まだまだ冬の名残の色が多いのだが緑の色も活用できるだけの量はある。白樺の幹や枝の輪郭の色を出来るだけ生かしながら奥に見えるものとの遠近感を調節していくのが一つの仕事のメドである。 以前よりも少しはしまった画面になってきたように思う。 #
by papasanmazan
| 2018-03-13 21:16
| 風景画
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![]() 宇野浩二の小説に〔枯木のある風景〕というのがあって、若い頃に読んだのを記憶している。主人公は実は洋画家の小出楢重で、小出の晩年の作品の題名が枯木のある風景であるところからこの小説の題名になっている。宇野浩二も小出楢重も共に大阪出身である。 話の内容は登場人物が当時の信濃橋研究所で小出とともに指導者だった鍋井克之や黒田重太郎などが登場して、小出亡き後の話をつづっていく、その中でもとりわけ遺作といっていい枯木のある風景のすさまじいまでの小出の天才性が浮かび上がってくる。日常生活と芸術との葛藤や、普段は座談の名手といわれるほどのオモシロ、オカシイ面の裏に隠れた研ぎ澄まされたような創造力、そういったエピソードを交えながらの枯木のある風景をめぐる小説である。 この絵の風景は小出のアトリエのあったごく近くの実景をスケッチしたものだそうで、芦屋風景である。電信柱が高く立っていて、電線には人らしいもが腰掛けている、なんだかよく観ると少し妖気さえ漂っているようで、まるで遺書を読んでいるかのような絵である。小出自身は、芭蕉の世界や、現実と空想のミックスや、といっていたそうである。 何もいい風景を求めて遠くを探すばかりが能ではない、身近にもきっと何かがある、私も目の前の冬の原っぱを描いてみた、P10号である。 余談だが興味がある方には小出楢重随筆集(岩波文庫、緑115-1)の一読をお勧めする。下品なのはちょっと、といわれる方には少々目をつむっていただいて、オモシロいこと請け合いである。挿絵も絶品である。 #
by papasanmazan
| 2018-02-28 03:47
| 風景画
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![]() F10号のキャンバスにモルモワロンの上から遠くにブローヴァックの丘が見えている風景を描いてみた。手前に形のいい大きな松の木があって、この木の形が以前から好きである。昨年はP10号に同じような主題で制作したものがある。 手前の松と奥に見える丘との距離感を形の変化や色彩の差によって表現していくわけであるが、こういう時によくヴァルールという言葉を使う。ヴァルールが正しいとか的確でないとか、あるいはもっとヴァルールを高めたいとかいうときもあって、なかなか意味のつかみにくい言葉である。 ふつうにはヴァルール、値という単語で、絵画の場合には色価と訳される。それではその色値とはどういうことかということになると、そこにその色があって正しいのかどうか、その色が妙に沈んだり、飛び出したりはしていないか、というように使う人もある。それから色調の明るさや強さに使っている人もある。 実はヴァルールという言葉を完全に使いこなせる人はわりに少ないような気がする。たとえば日本刀を見ていて本当に波紋が見えてくるのには相当経験が必要なのと同じで、絵画作品を見て色彩が良くつかめるのにもかなりの目の訓練が必要である。そして色彩がよく見極められたときにヴァルールの意味が分かってくる、しかもその時に本当にヴァルールのことが理解できている人にその場で指摘してもらうのが一番である。 一度ヴァルールというものが分かれば後はどれでもすぐに見分けられるようになる。昨年の秋の日本での個展のときに,旧知の人たちとの話にヴァルールのについての思いで話が出たときにあらためて実感したヴァルールであった。 #
by papasanmazan
| 2018-02-26 21:51
| 風景画
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![]() 先日のF20 号の冬の木々と同じ場所で、少し角度を変えてみると、手前の太い木の幹を通して遠くにキャロンの村が見えていた。以前にもこの村は遠望したところを描いていたが、それとはまた違った味わいで、よくまとまっている。これはF3号の大きさにしてみた。 どの絵の制作でもその大きさを選んでいくことが大切であるし、なかなか決まらないこともある。これも経験で、ピタッとした大きさが決まった時はしめたものである。制作の流れが順調になる。選んだ風景に対してあまり大きすぎるキャンバスを選ぶと、何かまのびがしてしまらない、小いさ過ぎると窮屈でやはりシックリといかない。 今回はF3号と、手軽な大きさではあるが、こういう場合でもできるだけ小味な仕上げになりたくはないと思う。何か気が利いていて、人目をひくようなコジャレたような作品もあるあるが、やはり基本的な造形感にのっとった制作をこころがけるべきだろう。 #
by papasanmazan
| 2018-02-20 12:51
| 風景画
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![]() 久しぶりのF30 号の制作である。我が家から二分ほど歩いたところの原っぱの中にイーゼルを立てたのはいいが、とにかく風との戦いである。ミストラルが吹きまくると30号の大きさになるととても描いてはいられない。キャンバスを固定したイーゼルごと吹き倒されてしまうので、制作できる日を選んでいかなくてはならない。 奥のほうに大きなヴァントゥー山が控えているのだが、手前にはいたるところにアーモンドの木が生えており、またさまざまの木立の群れが重なり合っている。それらが視界をさえぎってヴァントゥー山が切れ切れに姿を現してくる。それならばもう少し場所を変えればいいのかもしれないが、実はこういう木々をふくめた風景を描いてみたかったのである。 もう十年以上前からこのような構図を意図して、なんどか冬になるたびに挑戦してみてはいたのだが、とにかく難しかった。途中までは何とか進められるのだが最後まではかなわなかった。木々を含めた風景というよりも木々を透かした風景といったら良いのだろうか。一つ一つの要素としての木々や群れではなく、山も空も原も木々も、全体を一つと感じながら制作してみたかったのである。ほとんど無差別の知覚を働かせながら、それがどういう結果をもたらすのかを自分で試してみたかった。 夏の葉が茂った木々のい重なり合いと山との複合したものも、この透かしたような風景という感覚でもって理屈的には可能なはずである。 #
by papasanmazan
| 2018-02-18 19:17
| 風景画
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![]() 昨年の春見つけた少し段々になった畑と農家の構図が気に入って、すぐにも描こうと思ったのだが、その時はすでに若葉が芽生えてきてやがて緑一面になるのが分かっていたので今年の冬まで一年間待っていた。この景色は冬の枯れた色で描きたかった。その風景が安定したのでさっそくP8 号のキャンバスに始めてみた。 背の高い白樺の木が何本かあって、それで垂直性はすぐに得られる。その高さを支える水平の要素が家や畑や道、背景になる山などにあるのだが、モチーフになる自然の中からこちらの要求で選択しながら制作を進めてゆく。晴れた日の枯れた色彩は美しかった。あまり説明的にならない筆さばきの内に制作を終えた。 家内と二人で先週、スペイン、マドリッドのプラド美術館にわずか二泊だけだがベラスケスを観に行ってきた。2013年以来二度目である。前回は作品を見ていくのに焦点が合うまで時間がかかったのだが、今回はすぐに作品がくっきりと壁にはまっているのが掴み取れた。この美術館はスペイン絵画の宝庫でもあるし、その他フラ・アンジェリコ、ラファエロ、ティツィアーノ、リューベンス、デューラー等々名作ぞろいである。出来るだけ満遍なく見ようと心がけて行ったのだが、やはり前回同様、今回も観たのはほとんどベラスケスだけ、というよりもラス・メニナス(宮廷の侍女たち)と皇女マルガリータの二点だけである。 しかし丸一日かけてこの二点だけを見てすっかり満足した。今回で完全にこの二点の画面性が理解できた。この二点の壁面だけは作品が壁と同列にある。これが完全にタブロー性なのである、平面性なのである。他にも沢山あるベラスケスのなかでもこの二点は意味が違っている。大変に貴重な時間で、これほど贅沢な経験はないと満足している。 #
by papasanmazan
| 2018-02-09 01:10
| 風景画
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つまり絵にするという意図ではなく、ほとんどが自由な生成にしたがって、自分の意志というよりももっと違った、何か遠いところを見据えたような気持ちで終始制作してみたのである。説明的な要素もあまりないので、どういう具合に制作が進むのか自分でも不安はあったが、思っていた以上の成果が出てきたようである。 最近よく読んでいるもので、特に老子に魅かれている。若いときから禅の本はよく読んできたが、それが老子を読むのに大変に役立っている。自分というものを立てない、終始一貫その自分のないところを求める、そこに道がある。その道、それを良く掴み取れば全てが上手く行く、何の不安もない道である。 その第二十二章の最後の句、〔誠に全うして之を帰す〕、よく道をわきまえて最後は自然の中にそのまま帰る、といったような解釈でいいと思うが、そのような自然な自分というものを絵にすることが出来れば、といったような意志でこの作品を描いてみた。 #
by papasanmazan
| 2018-01-30 01:43
| 風景画
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![]() ヴナスクの村をかなり離れたところから見た風景である。季節を変えてこの風景を幾枚かは描いてきたが真冬の色彩がなかなかきれいである。手前にはサクランボウの果樹園が連なって、葉っぱを落とした枝々が赤く広がった色面が魅力的である。これが夏ともなると緑の連続で、色彩的には冬のほうが多彩である。今回はM10号のキャンバスを使った。
制作に関してこのごろ自分ながらに変わったと思うことが一つある。それはほとんど完成というときになると以前はいかにも慎重に筆を運んで、これでようやく完成した、という終わり方をしていたのが、最近は仕上げの段階に近づくにつれだんだんと筆使いが速くなり、割合に細かいところなどにこだわらずに、勢いがついた状態で完成させていくようになって来た。ちょっとはたから見ると慎重さに欠けた感じがするかもしれないが、自分としては制作の始まりのリズム以上の新鮮さが心の中から筆に伝わっていくようで、今は大変に制作が楽しいのである。以前は完成時は気の重いような、息の抜けないような制作だったが、随分変わってきたものである。 余談ではあるが文楽の一つの劇の終わりのあたり、要するにクライマックスのところを段切りという。ここは重要な見せ場であるから実力のある太夫と三味線が勤めるが、そのなかでも最も最後の演奏のところは、これが最後、ということで曲まわしも速くなり、音も派手になってくる。とくに三味線弾きなどには腕の見せ所で、大変にリズミカルになってくる。これが下手な三味線弾きだとまったく盛り上がりに欠いた終わり方になって、全てがだいなしになってしまうのである。これでは観客を満足させるわけにもいかず、昔の大阪の客なんかだと、金かえせ、とくるところである。 この段切りのコツ、これが絵画の制作の終わりにあたって、何とか生かせないかと常々考えていたのである。現在の制作で少し思いが生かせるようになってきた感がある。 #
by papasanmazan
| 2018-01-25 01:44
| 風景画
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![]() F12 号のキャンバスにカルポーの彫刻、ふくれっつらと、アトリエに咲いている鉢植えのポインセチアを使って静物画を一枚考えてみた。ふくれっつらを置いてある机の面も利用することにし、上下の動きをつけるために机の前に小さな台を設置して、そこに植木鉢を布とともに構成し、布の模様も使っていくことにする。 それだけではまだ構成が不足しているので、ざくろやレモン、青い小さなビン、白い花瓶なども加えて、ようやく製作が始まった。自分なりに納得の出来る構成が出来るまでは制作に掛からないほうがいいと思う。 個々のもの、たとえばふくれっつらの表情や、ポインセチアの花のかわいさなども大切にはしているのだが、どうしても全体の中の部分として考えてしまうので、時によるとかなり細かく部分の説明に走ることもあるが、しばらく時間をおいて眺めていると、それらの説明部分が上手く表現出来ていても大きく消してしまう結果になることもある。 制作の途中などはそんな悪あがきの連続といっていいようなものである。特にこの作品では彫刻の顔の表情に描きすぎたり、消したりの過程が多くなった。 #
by papasanmazan
| 2018-01-22 21:15
| 静物画
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![]() 先日もこのブログに投稿した赤い岩の絵と同じ場所で、少し角度を変えて、キャンバスも大きくF25号、縦型に使った構図でもう一枚制作してみた。繰り返し言うことだが、一枚の制作を終えるとその同じような主題でもっと追求してみたくなるのが造形意欲というものかもしれない。この赤い岩などもその表れで、繰り返し自分の感覚を試したい気持ちになる。 岩の組み合わせによる垂直感を考えてみた。そこに木の幹や枝がかみあってきて、表面的には森の中の一情景と見られるのだが、中身は縦に連なってゆく垂直の流れである。岩の体積や重さなどを色彩で現していくのだが、問題はそれよりも縦に連なっていく岩の重なりどころの輪郭線をどのように面に食い込ませていくのか、またどのように線としての独立性を見せていくのか、そのあたりの画面上での色彩を含めての操作が造形感をひきたたせていくわけである。 できるだけそれをダイナミックな状態の画面として残してみたかった。それらを保障するヴァルールとしては満足しているが、少しまだ絵になりすぎているようで、その点には不満が残る。もっと絵としてよりも画面の存在感がほしかった。おそらくまだ自分に甘さがあるのだろう。 #
by papasanmazan
| 2018-01-17 17:35
| 風景画
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![]() 赤い森の中の岩も制作の題材に格好だが、石を切り出した後の白い岩も絵心をそそる。久しぶりに大きな白い岩の場所にイーゼルを立てて、冬の寒い中ではあるがF15号のキャンバスに描いた油彩である。絵を描く角度も少し違えば出来上がってくるものも表情がかわってきて、それに筆使いなども以前よりは軽くなってきたのかもしれないが、全体の感じとしては楽な印象になってきているのではないだろうか。 いつものように何枚かの作品を平行して制作しているのだが、最近のものは見た目には軽くて、あまり描き込みもないあっさりしたような製作過程だが、実は描くのがこんなに難しいのかと思わされる位、考えに考えての毎日なのである。文章にするのもまた難しくてかなわない。 #
by papasanmazan
| 2018-01-05 20:56
| 風景画
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![]() 芭蕉の発句も難しいが連句となるとなかなかとっつきにくく、大変に好きなのだが時間をかけて少しづつ慣れるようにしている。最近はそれでもかなり面白さが分かってきたようである。そのなかでも芭蕉七部集の幸田露伴の評釈が大変に勉強に役立ってくれる。今秋の一時帰国した折に日本から持ち帰った本のなかにつめていたものである。七部集のそれぞれの名前もいいが、今の季節を踏まえて〔冬の日〕をよく読んでいる。 それを特に意識したわけでもないが冬の日のヴァントゥー山と、手前に広がる白樺の林を構成材料にしてF8号のキャンバスに描いてみた風景画がこれである。いままではなんとなく白樺の木や林などを描く時に硬くなっていた腕が最近はようやく自由さを得てきたようで、軽く、楽しみながら画面に溶け込ませるようになってきた。木の幹の白さにこだわりすぎていたのであろうか,木や林全体を一つの要素に考えていくと急に色面としての役割が強まったようである。 別に読書が自分の仕事の絵画に特別に役立つのかどうかは分からないが、趣味としては音楽を聴くのとともに本を読むのも大変に好きである。 #
by papasanmazan
| 2017-12-25 02:29
| 風景画
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![]() フランスサイズのF2号の大きさに静物を構成してみた。日本ではあまり2号という大きさのキャンバスを使用しないし、またフランスサイズと日本サイズとは若干寸法が違ってくる。それで日本で額縁を調達する時にフランスサイズのキャンバスを用いていると大変面倒なことになる。これは戦前、日本が尺貫法を採用していたのを戦後メートル法に換わって、変わったのはいいとしてかつての実寸をそのままにメートル法に換算したために端数が出てきた、その端数の分がフランスサイズとの誤差になってきて、たいへんややこしいことになるのである。 ともあれこれは3号とサムホールの間の小さな画面である。そこにふたつのリンゴと湯飲み、それに布だけの単純な構成で、出来るだけ実在感のある静物画を目指してみた。実在感といってもモチーフになる対象物の、いわゆる質感や形態などの個々の真実味に迫っていこうというのではなく、画面全体としての存在感、絵そのものが存在しているといったような実在感のことを意図してみたものである。 結果的には単純化がすすんできているようで、あまり表面の美しさなどには目がいかなくなってきた。これはいいことなのかどうか、これからの判断になってくると思う。 #
by papasanmazan
| 2017-12-20 04:03
| 小さな絵
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![]() 日本での個展がおわってフランスに戻ってみると、まだ秋の景色である。例年よりもかなり早い時期に見る晩秋の色彩はなにか悲しみを感じさせるような美しさである。
こころなき身にも哀れは知られけり、鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行 以前からこのような秋の、とくに晩秋の色を強調した絵を描いてみたいと思っていた、はからずも家に帰ってすぐに目にした風景がまさしく思わくどうりなのでさっそくF4号の小さなキャンバスに制作してみた。 かなり省略ができるようになっていると思われる作品になった。 #
by papasanmazan
| 2017-12-17 20:02
| 風景画
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![]() 日本での個展を無事に終え、今年は例年よりもはやくフランスに戻ってきた。個展ではたくさんの方にご高覧いただき有難うございました。ご意見なども参考にまた、新たな制作につなげていきたいと思っています、よろしくお願いいたします。
年齢とともにとにかくフランスに戻ってからの時差がきつくなって、日本から持ち帰った本なども読んでいるうちにすぐに眠くなってかなわない。ようやく一週間が経って平常になってきた。制作に戻る。
やはり赤土の場所が制作再開に一番適した感じがする。制作の簡単なメモのために毎日日記をつけているが、今年の5月5日に特寸の赤土の森の制作が記してある。この場所は栗の木が多く、5月頃になるとのの栗の葉の緑が赤土をおおってしまって、この日付でいったん制作を打ち切った記憶がある。その途中になった画面を続けてみた。
急にヴァルールがあがったように思う。日本から個展後に戻った制作でいつも経験することである。おそらく個展の会場で自作を見ながら何かを得ているのではないだろうか、帰りの飛行機でいつも期待と不安があいまってくるのである。この冬は赤土の制作に追われそうである。 #
by papasanmazan
| 2017-11-28 19:36
| 風景画
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11月2日~8日まで兵庫県 芦屋市にある ぎゃらりー藤で 個展をしました。
お天気に恵まれ 沢山の方にご高覧頂きありがとうございました。 フランスから持って行ったノートパソコンは携帯用の小さなもので写真を取り込むための器具が必要でした。そのことをついうっかり忘れていて個展開催中の写真や出来事をアップする機会を無くしていました。 南仏に戻りましたので今頃写真を出しています。 この時差が抜けるまでがペースがつかみにくく大変なのですが、仕事の上ではやりたいことも見つかっているので、動くしかなさそうです。 頑張ります! #
by papasanmazan
| 2017-11-23 10:53
| 展覧会
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個展の準備期間があるのでいつも2週間ほどまえに日本に一時帰国しています。
今回はその間に二度も台風を体験しました。すごい雨、風に驚かされ、川が氾濫するのではないかと夜な夜な心配でした。 台風の雨に邪魔されながらもフランスから持ってきた絵を額に収める作業は順調に進みホッとしています。注文していた額が台風で届かなかったりするのではないかとひやひやしましたが、宅配業所の方々は雨の中も時間どうりに動いてくださったので助かりました。フランスでは遅れるのは当たり前、時として荷物が着かないことも多々ありで、動きが取れないことになるのですが、予定どうりに事が進むということは周りで働く人たちのお陰なんだと思います。(感謝) ![]() 芦屋(兵庫県)Ashiya Gallery FUJI ぎゃらりー藤 にて 住所:〒659-0084 兵庫県芦屋市月若町8-6 TEL: 0797-22-3826 A.M.11:00 ~ P.M.7:00 11月 8日(水)最終日は P.M.5:00 まで 地下駐車場の台数は限られております、前もってお電話下さい。 近くにコインパーキングもございます #
by papasanmazan
| 2017-10-31 04:53
| 展覧会
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![]() やはり大好きなザクロを五つ集めて、花瓶や花柄のカップ、それに布を合わせた静物画を描いてみた。F6号の大きさで、最初はかなりのペースで進みだし、この分だと比較的軽い仕上がりのものになるだろうと思っていた、ところが途中から筆はどんどん入っていくのだが肝心の画面がどうにも気に入らない。
こういったことは時としてあることだが、よほど気をつけないと駄目である。ただ上っ面の制作だけに走ってしまって、小手先でかわした様な空虚なものが残るだけになってしまうことになりかねない。どのような制作物であれやはり自分を納得させるものにならなければいけないはずである、
そのあたりを何度も繰り返し描きなおしながらようやく見えてきたのが背景の青の色である、これが冴えて全体に響いてこなければこの制作は無駄になると判断できた時にようやく筆のさばきも落ち着いたものになった。 #
by papasanmazan
| 2017-10-16 05:58
| 静物画
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![]() そろそろ日本での個展の時期に近づき、一時帰国するための用意のためになんとなくあわただしいが、制作のほうはそれとは関係なく続けている。いつものことだが個展の出品作に追われるということは皆無である。
久しぶりにベドワンの街道沿いの松をF12号に描いてみた。ここの道沿いの松は背が高くて、姿も美しくそろっていたのでマザンに引っ越してきて以来すぐに描き始めたのだが,久しぶりに行ってみると随分悪くなっている。車の通行量も多くなっているのだろうし、樹齢もかなり経ってきているせいかもしれないがかなりの数の松が抜き去られている。
これはいけないと思って予定外ではあるが、まだ美しさのあるうちに作品にしておこうと思い立った。おそらくこの12号の作品だけではなく、日本での個展が終わってマザンに戻った後で何点かは続けようと思っている。そのためにも現在場所探しにおわれている次第である。 #
by papasanmazan
| 2017-10-12 23:47
| 風景画
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兵庫県・芦屋での個展が11月2日(木曜)からはじまります。 沢山の方に見に来ていただけると幸いです。 南仏プロヴァンスの輝き 高屋 修 絵画展 芦屋(兵庫県)Ashiya Gallery FUJI ぎゃらりー藤 にて 住所:〒659-0084 兵庫県芦屋市月若町8-6 TEL: 0797-22-3826 プロヴァンスの風景を中心に油彩・パステル画・水彩画約30点を展示・販売いたします。 お気軽にお立ち寄りください。期間中、作家が来場いたします。 ![]() A.M.11:00 ~ P.M.7:00 11月 8日(水)最終日は P.M.5:00 まで 地下駐車場の台数は限られております、前もってお電話下さい。近くにコインパーキングもございます。 #
by papasanmazan
| 2017-10-11 08:44
| 展覧会
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![]() フランスのお城巡りといえばロワール川周辺が有名だが、ドルードーニュのあたりもなかなかのものである。ロワールほど観光地ではないので洗練されているとはいえないが、野生的で古い時代のよさが残っているような印象がある。それに城の数も小さなものまで含めるとロワールよりもずっと多く、車で走っていてもいたるところに個性的な建築物が残されている。
そのようなあまり有名ではないかもしれないが小さなお城の一つ、サリニャックのものを水彩で描いたみた。道路の標識にはサリニャックとでているが、いざ行ってみると本当に小さな村で、ようやく銀行の自動引き出し機が一つあるのがその他の村よりも進んでいる位のところである。
中心は教会と城、それをぐんと下から見上げられる場所をみつけて水彩にしてみた。人っ子一人通らない静かな制作で、充分に集中出来てありがたい場所であった。 #
by papasanmazan
| 2017-10-08 18:12
| 水彩画
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![]() F3号のキャンバスに描いたザクロと梨の絵、白い布と金銀地の布を背景やテーブルにおいてみた。梨はその形が好きでよく静物画のモチーフに使うのだが、秋になるとザクロにとくに魅かれる。もちろん実の赤さや、はじけた姿もいいが、緑の葉っぱとの対照で木にたわわになっているところもいい。
自分の経験としては絵画の道を開いてくれたザクロの木である。おぼろげに画面を構成していくということをこのザクロの木が教えてくれた。若い頃は100号くらいまで大きなキャンバスにたくさんのザクロの木を描いたものである。赤や緑、青などの色を塗りたくって、それが今までどうにか続いてやってきて現在の画面になっている。
このF3号の出来上がった絵も、観たところはあまり苦労のあとも見えないかもしれないが、自分なりには何か口では言い表せないものが含まれているような気がしている。 #
by papasanmazan
| 2017-10-05 15:56
| 静物画
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![]() ドルドーニュはしっとりと美しい風景であるが霧も多い地方である。今回の滞在ではロカマドールを水彩で描こうと思っていたのだが、二度とも霧でまったく仕事にならなかった。またそこに向かう車中からもあちこちに雲海がただよい、それはそれで美しいのだが制作するのには大いに邪魔立てになってくれた。
しかたなくロカマドールをあきらめて宿泊地に戻ろうとしたら家内がサン・シル・ラポピーの景色が圧巻だという。意見を聞いてそこに向かった。ロット川辺に切り立った岩盤に集合する村の建物の一群はなるほど周りの自然とあいまって圧巻である。
これを水彩にしようと思った。場所を探す、いくつか候補地を見つけるが、何せ観光客があちこちウロウロしている、これが一番苦手なのである、しかし場所が場所だけに観光客には目をつむり、モチーフだけに目を向けて一枚の作品を仕上げた。 全体の垂直感を出してみたかった。
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by papasanmazan
| 2017-10-03 22:42
| 水彩画
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![]() 春、秋、の一週間ずつヴァカンスに出かけるようにしているが、今回はいつもの地中海とは場所を変えてドルドーニュ地方に行ってきた。かなり以前に家族で訪れてことがあって、その時はマルテルという町を中心に巡礼地で有名なロカマドールなどをパステルでたくさん描いたのだが、今回はドルドーニュの川をはさんだ城などをモチーフに油彩一点、水彩二点を描きあげた。
私たちの住むプロヴァンスの乾ききった風景とはまったく違ってドルドーニュはしっとりと落ち着いた、緑も深い地方である。ドルドーニュ川やロット川のまわりにはいたるとこに城があり、観光化されたロワール地方の城よりももっと荒々しい印象である。
その中からベイナックの城を選んでF8号のキャンバスに制作した油彩である。じつはドルドーニュの川と城をいれたものを当初狙っていたのだが、川をいれると城が近すぎて、その大きさをどうにも画面におさめきれない。ようやくのことで対岸から城全体を見渡せる場所を見つけ出した。場所探しは本当に難しく、運もあるし、勘も必要である。 #
by papasanmazan
| 2017-09-30 16:06
| 風景画
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![]() ちょうどヴァントゥー山を中にはさんでマザンの裏側にモン・ブラン・レ・バンの村がある。レ・バンつまりお風呂という意味で英語のバースと同義、温泉地である。その村の自治体が経営している温泉のプールがあって、そこから見下ろせる村全体は景観である。
そのプールの近代的な施設はエステや健康ずくりのジムなどを取り入れて最近はとみに人気の施設になってきた。以前と比べると入館者がぐんと増えている。フランスの温泉は病院の一種と考えられるところが多く、お医者さんの処方箋が必要な場合があるが、モン・ブラン・レ・バンは誰でも処方箋なしで自由に申し込める。それで家内のペンションにこられる日本人のお客様の中にもここのコースを希望される方がある。
そういったモン・ブラン・レ・バンの村を横から大きく取り入れた構図で水彩画を描いてみた。廃墟になったような城跡や、古い石造りの水道橋や教会などが民家とともに景色を盛り上げてくれる村である。 #
by papasanmazan
| 2017-09-26 15:38
| 水彩画
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そしてもう秋の季節になってきたのだが、今年の11月の日本での個展までのこのモルモワロンでの制作の一つの区切りとしてP25号の大きな絵を描きあげた。やはり手前のポプラをクローズアップして奥にモルモワロンの村、その向こうにヴァントゥー山が横たわっている構図である。
今の自分としては大変に強い表現が出来たように思う。慎重に、丁寧に対象にそって描き始めた画面であったが途中からは自分の目指す造形性を頼りにして、いってみれば主観を強めた制作になっていった。あるいは変形させたり、画面の動きに沿って対象を省略したり、強調したり、新しい色を付け加えたりの制作はかなりの時間をとったものである。
一応の完成で、これは今のところ満足している作品である。 #
by papasanmazan
| 2017-09-24 21:46
| 風景画
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ひとつには背景の布から来ているのだと思う、軽いのだか重いのだかも分からないのだが、なぜか全体のつながりが以前とは違う。描くのが難しいというのではなく描けば描くほど全体がまったくの一枚の平面になってくる、そうかといって別に平板というわけではない。
とにかく良いのか悪いのか分からない判断がつきにくい作品だったが、以前よりか自分の絵画観に近づいているのは間違いがない作品である、同一平面上に、同時空間をつくりあげる、ということである。 #
by papasanmazan
| 2017-09-15 15:58
| 静物画
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そういうことは当然なのだろうがやはり新鮮さというのは大切なものである。前のF4号のものより締まった気持ちでこのF0号に取り組めた。見ている側からすればたいした変化があるようには思えないかもしれないが、描く者からするとこのちょっとした違いというものが重要事になってくる。
よく書籍などで縮刷版とかダイジェスト版とかいうものがあって、苦労して一大作品を読まなくても全編が分かるような仕組みの本がある。便利といえば便利かもしれないがそういった切り詰め方は絵画では不可能である。画面の大きさが変わればおのずと描かれた内容も違ってくる、そういう表現にならなければいけないと思う。単に縮小しただけのものではないのである。
トインビーの歴史の研究という本は縮刷版より完訳版のほうがずっと面白いと思う。 #
by papasanmazan
| 2017-09-13 06:49
| 小さな絵
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