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金魚草

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今年になってはじめてパステルの花を描いた。もう花の盛りの季節である。油絵とはまた違ってパステルや水彩は大好きである。毎年の個展にもパステルの作品は何点か飾るが、特に女性に人気があるようだ。

金魚草もよくモチーフにするが、葉っぱの扱いが難しい。今年も咲き出した金魚草をよく見ていると、いつもとは違った表現が必要だと感じられる。それが葉っぱなのである。今までよりも葉っぱの描き込みを多くして、もっと花をもり立てていったほうがいいと思う。

そう思いだすとパステル全体の表現にまで考えが及んできた。これから以降の作品は花だけに限らずもっと密度を考えたものにしなければならない。あるいは今までのものの描き込みが過ぎた部分もあるのかもしれないし、もっと全体の効果をはからなければならないのかもしれない。とにかく今までとは違った感覚がパステルや水彩に働きかけているのは事実である。

# by papasanmazan | 2012-04-06 20:10 | パステル | Comments(2)

ロック アルリック(第一段階)

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天に向かって突き出ている岩山に石造りの家がへばりついている。自然と人間の共存の姿がそこにある。教会もあるし、岩山のてっぺんには十字架も立っている。その村の名前がロック アルリックである。

本当に小さな村で、夏の観光シーズンをのぞけばいつも静かだが、よく整備された美しいたたずまいである。後ろには岩をむき出したダンテル ドゥ モンミライユの山が横たわっていて、これも絶景である。正方形8号のキャンバスに描き始めた。

ロック アルリックまで車で20分位だが、途中の景色もすばらしい。それに今はもう花があれこれと咲き出している。藤が満開、シャクヤク、アイリス、それに道ばたのコクリコも赤い花をみせている。こうなってくると何故か気持ちだけが浮き足立って、落ち着いて制作していられないような季節である。

# by papasanmazan | 2012-04-06 12:19 | 風景画 | Comments(0)

青いグラス(第二段階)

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たかだか4号位の小さな静物なのだが、まだ形を探しあぐねている状態で、あるときには色彩が形を消し去っていったり、また形が色を押さえ込んでいったり、いわば右にも左にも、また上にも、下にも動き続けている画面である。

決定的なフォルムは必ずどこかに隠れているはずである。それを筆で探し当てようとする探偵小説もどきの仕事であるが、気長に考えれば描いているほうも楽しいのかもしれないが、たいていいやになることが多い。

決して答えを先送りしているのではないが、微妙な、ちょっとした接点が難しいものである。この静物画などは典型的なものだと思う。

# by papasanmazan | 2012-04-05 18:59 | 静物画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第四段階)

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これは長く時間のかかる制作になるだろうとは描きはじめから思っていたが、案の定である。難しい主題だからというだけではなく、私自身の心理的な変化によるのかもしれない。別に心理的といっても何が変化したわけでもないのだが、言葉でいうと、風景を読む、ということがとみに気持ちの中に表れてくるようになってきたのに気づいている。

たとえばある風景に接して、ああ美しい風景だとか、これは絵になる風景だとはよく思うところである。この二つを合わせると一般的な言い方をすると、これは絵のように美しい風景だ、ということになる。そして旅先の名所などの魅力になっていることが多いようである。またビューポイントなどという言葉もある。

私の今いわんとする風景を読む、というのはそういった美しさということとは違った風景との接し方である。それはその風景が自分にとって意味を持つものであるのか、画家である自分として意味のある絵になる風景なのかどうか、それを読み取ろうとする心理が働きだしている、ということである。

なるほど、素直に、理屈っぽく考えないで描けばいいではないかとも思うのだが、どうもそこに自分が関わってくる意味が重要な気がしてならないのである。現在のこのキャバンヌの絵bなどもそうである。普通に言って美しくも何ともない風景である、しかし画面にするのには私には大いに意味、意義のあるモチーフである。モチーフとは対象でもあるしモチベーションの意味にもなる。

# by papasanmazan | 2012-04-03 12:46 | 風景画 | Comments(2)

ヴナスク遠望(第二段階)

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季節がどんどん進んでいく。サクランボの花が満開だと思っていたらもうほとんど葉っぱばかりになっている。この場所から見ているヴナスクはどの時間帯でも少し逆光気味である。従って少し色彩の対比が見分けにくいのが難点である。

もう三十年近く前になるが、日本にいた頃、冬場は富士山をよく現場で描いていた、ほとんどが山梨県側で、そこも静岡に比べて逆光の弱点があった。ただ静岡側の工場地帯と違って空気がまだきれいで澄んでいた。

もうすぐ太陽が昇って光が当たりだすだろうと思って待っていてもなかなか思いどうりにはならず、ついに逆光のままという場所もある。山中湖畔からの富士がそうだった。結局自分で色彩を弁別していくしかないのである。このヴナスクの岩盤も自分の眼と頭を使った色彩使いが必要である。

# by papasanmazan | 2012-04-01 19:02 | 風景画 | Comments(0)

ルシオン

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もう四年ほど前になるだろうか、人けのない冬のルシオンにかよってF30号のこの絵を描き込んでいた。赤土の村で有名なルシオンであるが、最近はなかなか観光客も多くなり、冬場の人の少ないときを選んで制作したものである。

ルシオンを初めてみたときの印象は強烈だった。土の赤さと、松の緑の対比、即座に日本の宗達の屏風絵を思い浮かべた。松島図などである。四年前のことであるからまさか東北地震のことなどは夢にも思わず、かつて訪れたことのある松島の実景などとルシオンを比べたりしていたのである。

とにかく赤と緑をふんだんに使かってみたかった。何点か同時に制作して、この30号の絵も一応完成させて寝室に飾っていたのだがやはり不満がでてきた。かなりの期間考えあぐねていたのだが、仮に四年間としてその間に少しは画技も上がったのだろう、特に赤色のヴァルールがもっと上がると確信出来たので再加筆してみた。

結果的に言ってレアリティーが大分でてきたように思われる。以前の画面よりも人が這い登っていけそうな勾配がついたようである。自分としては満足している。

# by papasanmazan | 2012-03-30 22:49 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(第三段階)

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進んだり後退したり悪戦苦闘中、ようやく少し光が見えてきたようなところで本日はおしまいにしてきた。ハンク、ウィリアムスのアイ、ソー、ザ、ライトのように光は点滅するのだろうか。画面の部分、部分はそれなりにつかめていくのだが、全容が感じられなくて元に戻ってばかりいる。

おそらく岩というものに振り回されているのだと思う。まわりのものと岩との接点を決めながら色価を上げていこうとするのだが、ついつい細部にこだわりすぎて全体にまでヴァルールがいき及ばないのである。

もっと単純化が必要だ、と気がついたところでようやく制作に光が見えてきた。要するにほとんど家と岩だけの画面だと思い切って進めていけばいいのであろう。画面が切り立って、あるいは美しさなどはなくなるのかもしれない、しかし一つの平面にはなっていくだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-29 18:52 | 風景画 | Comments(2)

早春の丘(第三段階)

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ほぼ完成、あともう少しのツメがほしい。もう少しといいながら案外時間のかかることもある。いつもは出来るだけ造形感や構成を主に追求したいと思っているのだが、この作品はどうも主題も春の到来からくるのか、音楽の楽しさのようなものに流れがちである。

よく耳を澄ますと本当に鳥の声が多いこの地方である。家のヴェランダでコーヒーを飲みながらこの鳥の声に聞き入っているのだが、近頃は制作をするときにも音楽をならさなくなった。それよりも自然の声をそのまま耳にするほうが好ましくなってきた。

あれほど好きだったクラシック音楽も制作時に聞くことはない。別に音楽がどうのこうのというのではなく、聞くのはやはり好きで沢山聞くのだが制作とは切りはなれてしまった。その代わりに自分の絵画の中にもっと音楽の要素が入らないものだろうか。

どうもいつもガチンコの絵ばかりでいられなくなってきたのかもしれない。

# by papasanmazan | 2012-03-29 03:00 | 風景画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第三段階)

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制作としては進んでいるはずなのだが画面がいっこうにまとまってこないので大変に苦労しながらの仕事である。こういう経験は今までにもある。非常に気持ちは高ぶって、画面に集中できているのだが、それとは裏腹に絵として立ち上がってこない感じがする。

あるいは気持ちのほうが先走りしすぎているのかもしれないし、あるいは思い入れが強すぎるともいえそうである。自分自身としては決して悪くないと思う途中の段階ではあるが、さて仕上がっていくとしてどういったものになるのやら見当がつかない。

タッチの荒さとか、画面の密度はなんとかとりまとめていけるだろうが、いわゆる生動感をどう保っていけるのか、その辺りの兼ね合いがこれからの一つの課題になるだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-28 00:26 | 風景画 | Comments(4)

大きな白樺(完成)

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もうこれくらいでいだろうと思って現場からアトリエに持ち帰ってもどうしても不満足で、そんな状態でまた現場での制作に戻って加筆することを三度繰り返したはずである。たいてい自分でもいやになることすらあるのだが、これも仕方なかろう、まだまだ腕が悪いのである。

ねばるのもいいが、ねばって増々悪くなるときもある。若い時にはその果てに作品を途中で放棄することの連続であった。今はなんとかもちこたえられるようになってきた。あるいってんが上手くいくとそこを全体に及ぼしていきながら作品を持ち上げていくことも必要である。

理想からいえば最初の描き始めから最後の筆を置くときまで一気にかけ上がるのがいいのだろうがなかなかそうはいかないものである。ともあれこのF15号の作品はこれくらいにしておいて良さそうだ。もしまだ何か不満があればキャンバスを変えて新しい作品を考えなければならないだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-25 01:10 | 風景画 | Comments(2)

ブナスク遠望(第一段階)

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昨年のちょうどサクランボの実が真っ赤になっていた頃、ヴナスクの村 を遠望できる良い場所を探し当ててF4号の油彩を描いたことがある。それはそれで完成したのだがなにか平板な感じがしてもの足らな かった。

今年もその辺りを探してみて、もっとピッタリくる場所が見つかった。 画面右端に空の空間を与えながら崖が突き出している風景である。その崖を支えている岩盤が眼をむき出したように現れている。村の姿は今までにも描いているので慣れてはきているが、全容を遠望するのは初めてである。

少し横長、P6号(40,9×27,3)のキャンバスを 選んでみた。手前に大きな糸杉がつっ立っているが、これも大いに結構 である、垂直性にもっていける。今回は村の建物などはあくまでも添え もの程度に扱って、崖の突き出た姿を取り込んだ全容を描くということが 主眼である。

# by papasanmazan | 2012-03-22 16:13 | 風景画 | Comments(2)

早春の丘(第二段階)

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アーモンドの花に続いてサクランボの花も咲き出した。ゴッホが駆け抜けるようにパリを離れてアルルにやってきたのが1888年の2月、最初は雪にみまわれた。それが3月になって花が咲きだすと急に果樹園の作品が増えてくる。

パリ時代に獲得した色彩がアルルの果樹園を手始めに、南仏の輝く光のなかで炸裂し始める。自分の身を賭しての色彩の昇華である。画家ゴッホが歴史に登場してくる、その大きな要因がここにある。そんなゴッホが間近に観たものが現に目の前にある。

今描いている丘の周りも花盛りになってきた。なんと平和な風景だろう。一種のユートピア、桃源郷ではあるまいか、などと一人興にいっていると急にトゥールーズで連続射殺事件が起きて、スクーターに乗った犯人はまだ捕まっていないとの報道がトップニュースである。これは興に乗っているのではなく狂の世界で、恐の世界でもある。


# by papasanmazan | 2012-03-21 16:46 | 風景画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第二段階)

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日本のテレビの大河番組や探訪シリーズなどでいわゆる歴史物がもてはやされて既に長い時がたっている。歴史の実像や虚像を取り混ぜて、観ている者をひとかどの歴史学者にさせてくれるのだろうか、根強い流行である。

フランスでもドラマ形式の自国の歴史物をよくやっている。革命期のものやルイ14世を中心とした王朝物語、それとはまた別にデュマの小説を元にしたようなフィクション。そうかというと第二次大戦のドキュメントや近日ではアルジェリア戦争の摘発ものなど様々であるが、またかと思うほどの放映量を考えるとこれも一種の歴史物現象なのかもしれない。

なにもカタイものだけではあるまい、かつて大阪の漫才の骨董品、捨丸、春代も舞台で歴史物を話していた。【蚊帳のなかから足投げ出して 楠木正成これにあり 足、蚊が攻めるじゃないかいな】 志ん生も落語のマクラで【頼朝公おんとし五歳の時のシャレコウベ】などとふっていた。そのうちに平清盛と聖徳太子が同じ幼稚園に通っていた、というような説もチラホラするかもしれない。

現在描いている崩れ果てたこの石造りの家にもかっては人が住み、生活を営んでいた。名前もいわれも残らないものだろうが、私には一つの歴史がここにこそ感じられる。人は歴史の事件ということを取り上げるが、ものをいわない事実の中に自分を投影していくのも歴史なのではあるまいか。

そういうふうに考えだすとこのキャバンヌを描く筆もなぜか走り出してきた。岩も松もキャバンヌも、私までもが皆同等に感じられてくるのである。

# by papasanmazan | 2012-03-20 11:55 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(第二段階)

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岩の表現が難しいというのが分かってきた。面取りをしていくのはさほどでもないし、色彩におきかえていくのもまずは無難に進めていけるだろうが、そういった分析的な捉え方ではなく、本質的な存在にまで押し詰めていきたいのである。

美術の二大要素は形と色である、そしてこの二つをああでもない、こうでもないと組み合わせながら一枚の絵画を仕上げていくのが画家の仕事であるが、分析的に理解した物と物の関係を総合的に一枚の平面の中に組み立てていく。

そこまではどの画家も一様に取り組んでいく仕事の仕組みなのであるが、さてその先きはとなると皆それぞれの欲求が違ってくる。一般にはそれを個性とよんでおいていいのだろう。同じ主題、同じモチーフを使っても種々、様々な絵が出来てくる。

同じ岩を描いてもそうだろうと思う。私に一番身近に思い出されるのはなんといってもオルセー美術館のクールベの絵である。エトルタの海岸だけではなく、森の中の鹿を描いた作品のちょっとした小石にいたるまでのレアリティーにひかれるのである。

クールベのナイフを使ったような荒々しい表現の物質感などはまさしく西洋絵画だと納得させられる。時間と空間をもとにした存在感である。しかし私には近年、どうもこの存在感から離れていこうという欲求が強く働くのである。

# by papasanmazan | 2012-03-20 01:51 | 風景画 | Comments(0)

農家とヴァントゥー山(完成)

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真冬に始めたこの小さなサムホールの絵も相変わらずの時間の掛かりようで、周りが早春になってようやく完成した。下手をすると制作を来年まで持ち越すところであった。もう少し楽に仕事がはかどらないものかと常に思うのだが、一つには生来の不器用さもあるのだろう。

親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている、というのは坊ちゃんの出だしだが、無鉄砲を不器用に差し替えるとそのまま私に当てはまる。ただその不器用なことについてはもういいかげんあきらめもついたのでグチもいわずに制作するようになってきた。

サムホールくらいの大きさの出来上がりとしてはこの位で良いと思う。ただ構図というようなものではなく、物の選択が甘いと反省する。如何にも絵になりすぎている嫌いがある。よく日本の農家などを如何にも写実的にあつかって郷愁を誘うような絵があるが、ロマンティシズムとセンチメンタリズムとのはき違えだと思う。そして画面はあくまでカラッとしているのが私の理想である。

# by papasanmazan | 2012-03-17 19:44 | 小さな絵 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第一段階)

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プロヴァンスの畑などのなかによくキャバンヌ(小屋)が建っているのを見かける。石造りの小さなものだが、農業の道具を置いておいたりするのだろうか、そのほとんどが余り使われているような様子はなく、崩れかかっているようなものもある。

広い空、延々と続く畑のなかにそんなキャバンヌがポツンと建っているのも趣きがある。何年か前にやはり戸外で制作していると、一人の中年のフランス人男性が話しかけてきた。自分はプロの写真家で、キャバンヌを専門に撮り続けているというのである。

あちこちのそんなキャバンヌのことを話していたが、ほとんど崩れてしまった廃屋もキャバンヌと同じ性格だとおもって撮っている、ということだった。なるほどもう打ち捨てられたかつては人が生活していたであろうそんな廃屋も残っている。

岩のまわりに荒々しい松がはえ、その前に今いった廃屋、キャバンヌが姿を見せている、そんな場所がある。大きな道沿いの風景で、車で通る人には慣れっこになってしまっているのかもしれない。その風景をF12号の油彩で始めてみた。

# by papasanmazan | 2012-03-16 18:47 | 風景画 | Comments(2)

早春の丘(第一段階)

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暖かくなって木々の芽も吹き出し,今のプロヴァンスはアーモンドの花盛りである。三月に入るとこの花が咲きだして,急に全体の景色が明るくなり、人の心も軽やかそうである。そういえばテレビのニュースでも海岸沿いで、もう水着姿で日光浴をしている人たちを写していた。

丘の柳や白樺の葉っぱにもうっすらと色が浮かび上がって、景色が若やいでいる。丘のあちこちに家が見えるが、中で暮らす人たちのさざめきまで聞こえそうなで楽しさである。F3号のちいさなキャンバスに始めてみた。

描きはじめは出来るだけ軽く、しかも全体の動きを見極めてリズミカルにすすめていきたい。油絵は重厚だというのはうなずけるが、決して重苦しいものだとはいえないだろう。たとえばヴェラスケスの画面などはどれほど絵の具の層が重なっていっても完璧な透明感を保っている。これをもって西洋の絵画の伝統といえると思う。

# by papasanmazan | 2012-03-15 19:54 | 風景画 | Comments(2)

岩と家

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ずいぶん前から岩を主題にした作品を描いてみたかった,古いところでは北海道の層雲峡を訪れたときや和歌山の鬼ケ城なども描いてみたいと思ったことがある。なぜか岩には惹かれているのだがまだこれといったものは描いていない。

南仏に移っきてからも近くにはネスク渓谷という,これはまた延々と深い谷と切り立った岩が続いている格好の場所がある。特にラヴェンダーで有名なソーの村に近いあたりのネスクの渓谷の岩組みはなんとしてでも描いてみたいと思っている。

いつもの私ならとっくにこのネスクの岩は描いていたことだろう。何故まだ始めていないのかというと,実は私を知る人たちから大反対されているのである。どうも大けがをする危険性が多分にあるというのである。しかもこのネスクで描いたとすると,退がって絵を見たときに恐らく谷に落ちて,まず命はなかろうというわけである。

とにかくネスクだけはやめておけと至上命令である。また私も実にそういった大けがに泣かされてきているのである。で自重して他に岩のある風景を探してみているのだが、いつも制作しているヴナスクの村の,ちょっと隠れたところを探し当てたばかりである。

F10号に始めてみた岩と,その崖の下に建つ二軒の家である。

# by papasanmazan | 2012-03-12 21:34 | 風景画 | Comments(0)

冬のヴァントゥー山(完成)

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ようやく自分でも納得できるところまできたのでこれで一応完成ということにしておこう。この絵はF12号(60,6×45,5㎝)であるが、先日完成したF3号のマザンとヴァントゥーとほぼ同じ場所で描いたものである。

前のF3号のものよりは主観の強いものになったかもしれない。私自身は自分のものを打ち出そうとか,主観的になろうとかは思ったことはない。また逆に対象を写そうとか客観的に現そうとかも思わないで描いている。

ただこうは言えるだろう、絵を描こうとは決して思わずに画面を造ろうとだけ努力していると。ここの差は本質的に大変な違いだと思うのである。画面というものの中に盛込まれた作者の意識のことである。このことに気がつかなければ近代以降の主観のかった芸術というものがなかなか理解出来ないのである。そして理解出来ないところに自分の勝手な想像を盛込んだ文章を一般的に解説書と称して本屋に並べたりしている

私はぜひお薦めしたい、本物の芸術作品にじかにふれられることを。時間をかけて一流と言われるものに接することを。解説書などに頼らずに自分の感性を磨き上げていけばいいのである。

# by papasanmazan | 2012-03-11 21:00 | 風景画 | Comments(2)

卓上静物(完成)

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梨を描くのは好きである。いわゆる西洋梨、日本ではラ、フランスと呼ばれているものだが,なんといっても形がいい。日本のまん丸なものと違って角度や凹凸がいい、それにフランスではごく安価だし豊富にいつでもある。

その梨二つとナイフやグラスを布の上において卓上静物とした。25×20㎝のF3号より一回り小さな特別寸法のキャンバスである。このくらいの大きさにしては少し物の数が多すぎるかもしれない.ごちゃごちゃと物ばかり多くなると画面がせせこましくていけない。

卓上静物というタイトルは時々見かけるが私にとってはなんといっても小出楢重の名前がうかんでくる、若い頃は小出の絵をよく観たものだし,その風景のもとになっている芦屋のあたりを散策したこともある。

日本の油絵の歴史の中でも小出が一番その体質を持っているのではないか,特に裸婦を描いた作品のマチエールなどに表れているような気がする。いわゆるネチッこいところがいい。と,若い頃は思っていたが今観ると少し古くささも感じるようになってきた。

どちらかという小出のなかでは素描にひかれる。この素描はいつまでも残るだろう。安井曾太郎の木炭による人体デッサンもよく引き合いに出されるが,小出の線を使った切れ味のあるデッサンは無類であってこれこそ素描といえそうである。

またその素描を土台にした小説の挿絵が非常にいい。谷崎の蓼喰う虫など代表であろう。それにも何にもまして私は小出の文集が好きである。同じ大阪人としてあの文章の笑いは大いにうなずけるのである。

岸田劉生は小出を評して,あの男は下人なり、としたそうである。座談の名手として人を笑わせてばかりいる大阪人の小出の中に潜むクールな人間観察を岸田劉生が誤解したのも無理はないように思う。

小出とまではいかないが,小出の好きそうなゴタゴタした額に,これも一興かといれてみた。

# by papasanmazan | 2012-03-09 20:22 | 小さな絵 | Comments(2)

花とキリスト(完成)

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キリスト像を描こうとは思っていなかった。南仏に住む以前、パリ近郊のエポンヌに14年いたが,その時我が家の子どもが通っていた小学校の女の先生が,どうした拍子か私の絵のファンになってくれ、よくアトリエに訪ねてきていた。

その女性が祭壇用のマリア像を持っていて,一度頼んで貸してもらったことがある。それを鉛筆のデッサン、水彩、パステルとで描いたことがある。キリスト教には縁がなかったのだがそのマリア像をモチーフにした作品は気にいったものだった。

何年か前に家内がこのキリスト像を蚤の市で買い入れてきたのだが,家内の趣味としても最上のものだと思った。いずれ描こうとは思っていたのだがなかなか組み合わせが考えつかなかった。ゴッホがセザンヌの作品について人から質問を受けたときの返答に,あいかわらず聖龕職人のような仕事をしているよ、というのがある。

またゴーギャンもセザンヌについてセザール、フランクのように古風なオルガンを鳴らし続けている,というようなことを言っている。そんな聖龕職人のような,また古風なオルガンを鳴らすような仕事が現代にでも通用するのだろうか、ふとキリスト像を見つめながら頭をよぎった考えである。

# by papasanmazan | 2012-03-08 17:51 | 静物画 | Comments(4)

マザンの教会とのこぎり山(完成)

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F4号という大きさではあるし,出だしは形も色も面白いように滑らかに入って,スピードに乗った制作だったのだが、悪天候などが重なって途中からかなり息苦しいような進み具合になってきた,以前の私なら投げ出したかもしれないが,年の功かしら結構にねばれるようになってきた。

教会を中心にしてフランスの町や村は成り立っている。大都市にしても、たとえばパリのノートルダム大聖堂などはその都市の代表的な顔である。南仏の片田舎、マザンにもこうした教会が未だに存在して私たちの眼を惹いている。そして生活に根ざしている。

単に観光だけではその味わいも薄いのではないだろうか。また観光となれば皆が名所に集まるのは当然である。しかし私はこのようなあまり名前は知られないが,なんだか親しみがわいてくるような,何かかつての古い思い出を蘇らせるようなものを題材とすることを好んでいる。

# by papasanmazan | 2012-03-07 21:06 | 風景画 | Comments(2)

青いグラス(第一段階)

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家の中を時々づつ片付けまくる家内が先日古い額縁の箱を見つけ出してきた。取り出してみるとその額も、中に入っている絵もよく覚えている。フランスに移り住む少し前、ほとんど25年くらい前のことだろうか,大阪の吹田の頃の絵である。

その頃は盛んにこのような構成をはっきり示していこうという意図の静物を描いていたことを思い出す。出来の良しあしは別にして一生懸命だったことだけは確かである。懐かしさもあるが,よく見ているとなんだかもう一度描いてみても面白そうである。

25年の年月の差はどう現れるのか、と大きさも同じF4号のキャンバスを用意した。モチーフには以前のものがネーブルとぐい飲みだったものをオレンジと青いグラスにしてみた。物の置き方はほぼ同じ、そして幸いにも同じテーブルがある。

以前の,それもかなり前の作品を目の前にするのは私としても複雑な気持ちでもあるし、ましてブログでお目にかけるのは気がひけるのだが、これも何かの参考にと思いアップロードすることにした。


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# by papasanmazan | 2012-03-05 22:07 | 静物画 | Comments(2)

マザンとヴァントゥー(完成)

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前回この絵の第一段階ではほとんど出来上がりそうな,そんな具合であったがやはりそうは簡単にはいかないもので,その後何度か現場で描いた。崩れさるというところまではいかないが,山の存在、前景の広がりなど個々に見すぎた嫌いがある。

意識を全体性にとその都度持ち直しての加筆であった。この頃はそれくらいのことでは色が濁るとか、バランスが悪くなるとかいうこともあまりないので仕事としては楽しみながら進めていける。大きさもF3号なので描き込みとしてはこのくらいのところであろう。

まだまだこの場所からは描いてみたいパノラマである。もっとスッキリとした表現も,そして季節の違った色調の画面も考えられる。

# by papasanmazan | 2012-03-03 19:57 | 風景画 | Comments(2)

マザンの教会とのこぎり山(第二段階)

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厳しかった寒さが通り過ぎると今度はまた急に暖かくなった。天気予報でも盛んに春だ、春だと言っている。なるほど制作に向かう車から見ると、道ばたのアーモンドの花が咲きだしている。確かに春だ、この花が毎年真っ先に春を告げてくれる。

これから夏のラヴェンダーまで次から次と花が咲き続けていく。空も真っ青である。ところが今日は早朝から霧が出て、風景がどこかへ行ってしまっている。少し日射しが出てきてヤレヤレ、F4号のマザンの教会を続行にでかける。

葉を落としたポプラの色は青空の中で金色に輝いている、その色と建物との接点との深い色とを結びつけていくのがこの絵のひとつのポイントになると思う.その結びつきによって垂直感が強調されていく。それを支える水平感は村の建物全体の横の流れや、背景に迫っているのこぎり山の存在で示されていく。

とここまではいいのだが,急にまた霧が出てきてまずのこぎり山が見えなくなった,続いてマザンの村も消え去った。きょうはこれでおしまい。

# by papasanmazan | 2012-03-02 19:46 | 風景画 | Comments(0)

大きな白樺(第二段階)

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画面に大きな白樺が立っている。手前にはブドウ畑が広がり,奥には農家や畑がみえている。と、さしずめ小説の出だしならこう書き始めたいところである。鴎外の小説「桟橋」の出だしは,桟橋が長い,長い、である。ここでは,南仏の空は青い,青い,と続けたい。

まさしく美術も文学も作り上げていくことに変わりはない。作者の意識や理想、思想や経験などがからまってひとつのものが出来上がっていく。静物画、風景、人物、抽象、具象,どう転んでいっても裏をかえせばすべて自画像のようなものである。

さてこの大きな白樺を小説風に続けていくなら、画面は広い,広い。画面は四角い,四角い。画面は平らだ,平らだ.どれが適語だろうか。

# by papasanmazan | 2012-02-29 17:15 | 風景画 | Comments(0)

暮色ヴァントゥー(完成)

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毎年恒例になって描いている冬の夕暮れのヴァントゥー山であるが,とにかく難しい。あの暮れなずむ赤紫の山肌は誰の眼をも惹くものだが、いざ絵画にしようとすると本当に難しい。。出来るだけ現象面にとらわれまいとはするのだがあの陽の沈む一瞬の美しさにはなかなか勝てるものではない。

というわけで今までにももう何枚も試みてきた暮色ヴァントゥーだが,今年のこのF12号の油彩も(60,6×50,0㎝)どうやらこの辺りで筆のおきどころのようである。現在の私としては制作に不満はない。現象面に引っ張られすぎることも少なかったように思う。

これから先どれくらいの表現にまでこういった画面を高めていけるのかは全く未知のことではあるが,常に美しいものへのあこがれはあるのだから自分の制作にもそういった反映するものが欲しいと願っている。厳しさのなかにも和らかさを、堅固な構成の中にもゆとりを。

もうすぐ春である,来年の冬にはまた夕暮れのヴァントゥー山にモデルになってもらおう。その時までには少しは進歩もしているだろう。
# by papasanmazan | 2012-02-29 01:08 | 風景画 | Comments(2)

農家とヴァントゥー山(第二段階)

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サムホールの小さな絵ではあるが道具立ての多い構成である。家あり、山あり、木あり、畑ありなどで少々うるさくもある。しかし小さな画面にこまごまとものを押し込んでいくのも一興で,割に描きやすくもある。それほど拡がりを気にしなくてもすむ。

こういう道具立ての多い画面は色彩の調和をはかっていくのが一番仕事の目安になるように思われる。余り小さな形にはこだわらないほうがコセコセしなくてよさそうである。ただしどのようなおおきさのキャンバスであっても制作中はよく距離をとって,少し離れて画面を見直すことが大切である。

今この絵を描いている場所は私の家からはマザンの中心を通ってちょうど反対側になる。ところが現在マザンのあちらこちらで下水工事のために道が閉鎖されている。長年いわれていた完全下水のための工事でここしばらくは車の通行が困難である。

森鴎外の小説に普請中というのがある。ある高等外務官が外国で知り合った歌手と日本の高級レストランで再開するのだが、そのレストランは普請中なのである、そして話のオチには,日本も普請中ということになる、

いまマザンは普請中、ひょっとすると私の絵も普請中かもしれない。

# by papasanmazan | 2012-02-27 21:10 | 小さな絵 | Comments(2)

冬の木立ち(完成)

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F4号の大きさのわりには制作の時間もかなりかかったこの絵であるがこれもようやく仕上がった。画面の密度としてはこれでよいと思う。以前から描いてみたかった風景だけに現在は満足している。もう少し大きな画面、たとえば20号位だともっとはっきりした構成になるのだろうが。

木立ちが並列しているところへ奥行きや空間を与えていかねばこういった絵は何をしているのか分からなくなってしまう。その場合に添景としての家や,遠景などの扱いが大切になってくる。これらはあくまで脇役なのだからアッサリとおさめておきたい。

なかなかさり気なく、軽く表現するというのは難しいものである。主役、脇役をわきまえずにべた一面描き込んで,まるで窒息しそうな画面になるのはいただけない。どこもかしこも上手に描けていると思っているのは作者一人で,観るものはアップ、アップしているかもしれないのだ。

この辺りはまだまだ制作意欲のそそられる所ばかりである。
# by papasanmazan | 2012-02-25 20:05 | 風景画 | Comments(2)

丘の風景(完成)

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どうにか完成したようでホットしたところである。最初にこの実景を見たときの感じは非常に緊張したようなものだったが、制作を続行していてもほぼその感じを持続出来た。その結果として一枚の絵としては大幅にゆらぐようなこともなかった。

ある程度は途中の段階でももちこたえられるようになったと思う。どうしても制作を進めていく上で画面が崩れる場合がでてくる,それは形や色の展開していく過程では当然であるしまた必要でもある。それを元に戻したり、進めたりしていく訳だが,絶えず自分で判断しながら筆を加えていかねばならない。

そのときの意識をどう筆でつないでいくかということが問題になってくる。それをもって制作の進行といっていいのだろう。要するに何かをもちこたえながら進めていく,それがその人にとっての一つのペースになっていく。

F8号の風景画一枚の完成である。

# by papasanmazan | 2012-02-24 19:47 | 風景画 | Comments(4)