冬の木立ち(完成)

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F4号の大きさのわりには制作の時間もかなりかかったこの絵であるがこれもようやく仕上がった。画面の密度としてはこれでよいと思う。以前から描いてみたかった風景だけに現在は満足している。もう少し大きな画面、たとえば20号位だともっとはっきりした構成になるのだろうが。

木立ちが並列しているところへ奥行きや空間を与えていかねばこういった絵は何をしているのか分からなくなってしまう。その場合に添景としての家や,遠景などの扱いが大切になってくる。これらはあくまで脇役なのだからアッサリとおさめておきたい。

なかなかさり気なく、軽く表現するというのは難しいものである。主役、脇役をわきまえずにべた一面描き込んで,まるで窒息しそうな画面になるのはいただけない。どこもかしこも上手に描けていると思っているのは作者一人で,観るものはアップ、アップしているかもしれないのだ。

この辺りはまだまだ制作意欲のそそられる所ばかりである。
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# by papasanmazan | 2012-02-25 20:05 | 風景画 | Comments(2)

丘の風景(完成)

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どうにか完成したようでホットしたところである。最初にこの実景を見たときの感じは非常に緊張したようなものだったが、制作を続行していてもほぼその感じを持続出来た。その結果として一枚の絵としては大幅にゆらぐようなこともなかった。

ある程度は途中の段階でももちこたえられるようになったと思う。どうしても制作を進めていく上で画面が崩れる場合がでてくる,それは形や色の展開していく過程では当然であるしまた必要でもある。それを元に戻したり、進めたりしていく訳だが,絶えず自分で判断しながら筆を加えていかねばならない。

そのときの意識をどう筆でつないでいくかということが問題になってくる。それをもって制作の進行といっていいのだろう。要するに何かをもちこたえながら進めていく,それがその人にとっての一つのペースになっていく。

F8号の風景画一枚の完成である。

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# by papasanmazan | 2012-02-24 19:47 | 風景画 | Comments(4)

大きな白樺

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大きな白樺の木が立っている。手前にはブドウ畑がひろがリ、そのむこうには農家や丘が見えている。よく車で通っているところなのでこの白樺は気になっていた。今年はこの辺りで制作することが多い。もう冬は過ぎよう,春が来るという時期なので,この白樺は来年まわしにしようかとも思ったのだが何とも魅力がでてきた。

F15号(65.1×53.0㎝)のキャンバスに始めてみた。ちょうど長かった寒波も去ったところなので戸外でも落ち着いて制作出来るようになってきた。一度寒さが遠のいて晴れてくると冬でも南仏の日射しはかなりのものである。

空も青い,青い。そのなかでオレンジ色の葉っぱをつけた白樺が一段と大きく見えている。この白樺やプラタナスの幹は白色といってもそれほど単純で一様なものではない。こういう色をあつかう時には周りの色との比較をよくしないと失敗する。

たとえば水を描くときもそうである。水自体には色はなく,他の色の反映で水の存在が分かってくるのだからこれも周りとの比較が必要である。強いていえば色と色との関係をみきわめ、またその色というものの中には面積が含まれるのであるから,一枚の絵を描くのにも分析力と総合力の複雑な意識のからみあいが展開されるのである。

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# by papasanmazan | 2012-02-23 09:09 | 風景画 | Comments(2)

マザンとヴァントゥー(第一段階)

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第一段階といってもかなり進んだ制作状態である。さて八割かたは完成に近づいているだろうか。ひょっとするともうあと一筆,二筆で出来上がるのかもしれない。と思いきや無惨な描き込み過多で、単に鈍さだけの目立つ画面になる場合もある。

マザンに住んでもう九年近くになる。少しづつ新しい家も増えているが、このF3号(27、3×22、0㎝)の絵を描いている場所から見るマザンの村やヴァントゥー山の全景はほとんど変わらない。四季を通じて美しい表情は有り難い。出来ればこのままでいてほしいものである。

こういったパノラミックな風景はどこに焦点を当てるかが難しい。またひとつだけをクローズアップしすぎるわけにもいかない。とくにこれはF3号という、いわば小さな絵なので,マザンの教会をある程度描き込むくらいの説明にしておいて、あとは山の容積と森の塊などで全体を包む,という感じで制作を続けている。

ようやく寒波も去ったようで,遅れている制作を取り戻さなければならない。

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# by papasanmazan | 2012-02-22 21:24 | 風景画 | Comments(2)

ふくれっつらとアマリリス(第一段階)

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花は好きだがあまり絵のモチーフとして花は使わない。その散り際を観るのはなんだか寂しいし,制作が長くかかってしまうので,どうも花をモチーフにすると気ぜわしくって落ち着かない。それでも最近は続けて花を扱った静物画を描いている。

三週間ほど前に買った鉢植えのアマリリスが大きな花をつけた。これと以前からごひいきのカルポー作のふくれっつらの小さな彫刻を卓上においてF6号の縦型(31.8×41.0㎝)に描いてみた。元来立て型は安定が悪く,物もおさめにくいものだが花の高さの関係でこうなった。

カルポーの彫刻は好きである。たとえばパリのオルセー美術館に行くと,その後輩にあたるロダンよりもカルポーの,ある意味では軽快さといったような動きに惹かれることがある。ロダン美術館で重厚な作品群に取囲まれた後のカルポーの作品のさわやかさというか,一種消化剤のような感じがするのである。

そのカルポーの造った少年の胸像である。なぜかスネてふくれっつらをしている。あまり植木鉢の面積が多すぎるので,籠にポッソリ植木鉢を隠し込んだ。

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# by papasanmazan | 2012-02-19 21:11 | 静物画 | Comments(2)

丘の風景(第三段階)

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ようやくひどかった寒さも少しやわらぎ、懸念していたこの丘の風景画を描きに出かけられるようになった。F8号の油彩である。丘は葉のおちたポプラや白樺などで覆われ,その隙間からあちこちに石造りの家が見えている。  

冬の寂しい静かな風景である。しかし最初にこの実景に出会った時から,全体としてのダイナミックな量感に惹かれたのである。まるで左上から右下にかけて転がり落ちるような塊が表わせないものだろうか,と狙いを定めた。

画面を作り上げていく上での一つの狙いである。出発点のイデーと言っていいと思う。それを油絵具という材料を使いながら追求していくわけである。しかしそれほど一直線にイデーを追っていくことがなかなか出来ない。

時間の経過や,自分の中にある弱さなどで最後までそのイデーをひっぱっていくのは至難のわざである。現にこの絵も少し表面の複雑さに惑わされて,画面全体が弱くて説明過多になってきてしまっている。確かに進んでいる,と現場で思えるような時、これがなかなかのクセモノなのである。

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# by papasanmazan | 2012-02-17 20:03 | 風景画 | Comments(3)

花とキリスト(第三段階)

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アトリエの片隅に観葉植物や,外の寒さから守るために幾鉢かの花を置いている。日当りがいいので冬とはいえ時折水もやったりする。そんな中にキリストの像を置いて,花の色や葉っぱの緑をアクセントにしてF10号(53、0×45、5㎝)のキャンバスに描いている。

人工的な設定の静物画ではあるが,それはそれでいいと思う。ただ物の置き方や取り合わせが如何にも人工的であっても画面が作り物になってはいけないと思う。絵画そのものの考え方が自然とは違った別の世界なのだから、人間の考えがそこには当然盛込んでこられる訳である。

しかし観る人の眼に対してはナチュレルな世界であっていきたいと思う。ウソはウソの世界なのだが,そのウソ以上の世界を表現出来ればと思うのである。

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# by papasanmazan | 2012-02-15 23:20 | 静物画 | Comments(2)

冬のヴァントゥー山(第三段階)

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ほぼ一ヶ月ぶりにこの絵にむかった。その間の二週間以上は猛烈な寒さのために戸外での制作は無理だった。今朝になってようやく少しばかり寒さが緩んだので、気持ちも新たに七つ道具を背負い込んで現場に出かけたのである。

大まかな進み方はこれで良いと思っていたのだが、それはアトリエの中で観ているときの話だけで、やはり自然の中で点検するとアナだらけの画面である。横の広がりはまずまずだが,縦のつながりが悪い。そのために深さが足りなくなっている。

人の目の動きというものはたいしたものである。上下,左右、斜め、全体、細部など人間の脳から発せられる命令に応じて,あらゆる視神経が画面に対応されていく。どれほど精巧なカメラでも人間の眼にはかなわない。

その眼を最大限に使うのが造形芸術なのである。どれほど口上手に説明してしても眼で判断したものがだめなものならばダメである。それには正直に従わなければいけない。

それで奥へ、奥へと切り込みを入れ込んでいくつもりで垂直の動きを特に強めていく様にした。しかしまだまだ課題は残る,全体としての表情がまだ足りない。写真でいえばお見合い写真のような取りつくろった,無表情なもので,生き生きとしたポートレイトになっていないのである。

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# by papasanmazan | 2012-02-14 20:01 | 風景画 | Comments(0)

冬の木立ち(第二段階)

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毎日の天気予報の気温ばかりが気にかかるこの頃である。この風景画も描き始めてからもう数週間になるが,厳寒のためになかなか制作が進まずにいる。F4号(33,4×24、3㎝)の、それほど大きな物ではないのだが,それでもやはり神経はとがってくる。

小さな画面の密度というのは難しい。ただただ細かくすればいいというものでもない。主役、脇役それぞれの働きもあるし,ヴァルールを高めていきたいというのは大きさに関わらず度の画面でも同じことである。

特にこの絵の場合,木立の扱いをよく考えておかなければならない。幹や小枝の扱いを線的にするところ,面として扱うところ,そしてそれらと空間との関係、木々の間に作られる空間と空とのつながりなどである。

たかだか4号のキャンバスに描き表していく場合でも,画面全体の働きを考えるとやはり視神経と,頭で順序づけるところ,筆のさばきなどの兼ね合いで、それほど簡単には進まないものである。

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# by papasanmazan | 2012-02-12 22:37 | 風景画 | Comments(0)

農家とヴァントゥー山(第一段階)

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猛烈な寒さの続くフランス、テレビのニュースでも連日各地の被害が報道されている。今年は大統領の選挙戦だが,それ以上にこの厳寒が大きな問題になっている。少しくらいの寒さなら充分に着込んで外での風景制作を続けるのだが,この何週間かはさすがに室内の静物画が多くなっている。

そんな中、陽がうんと高くなったときを見計らってサムホールの小さなキャンバス(22.7×15.8㎝)にヴァントゥーを背景にした畑の中の農家を描いている。丸い小さな建物が面白く以前から描いてみようと思っていた、

こういった建物が自然と上手くマッチしているのが大変に有り難い。そこに生活そのものがあるからだろう、「つくりもの」という感じがしないのである。寒さの中で春を心待ちにしている人たちがきっとその建物の中にいるのである。

画面にははそういう感情や心情、またセンチメンタルな気持ちなど一切持込むつもりはない。しかし描いている途中、少し退がって全体の画面を確かめていると,かじかんだ指を暖めながら,いやでも冬の寒さが身にしみるのである。


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# by papasanmazan | 2012-02-11 19:45 | 小さな絵 | Comments(2)

チューリップ (完成)



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ようやく一つ落ち着いたところまできたように思う。最初から懸念していた,花の奥にそえた白いビンもなくして画面はスッキリした。その小さな白いビンを消した当初はなにか空しい画面だったが、ようやく密度も整ったようである。


前にも言った様に,花や葉っぱの個々の説明などをしようとは思わない、一枚の絵としての存在感が欲しいのである。結果としては、なんとヘタクソな絵だ,と観る人によっては思われるかもしれない。そういった絵である。


私としては花瓶の直立しているのを強調したかった。その点に関しては非常に満足しているし,この夏にはこの感覚でもってヒマワリにもう一度活気を与えたような画面が考えられるのではないだろうか。

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# by papasanmazan | 2012-02-10 11:43 | 静物画 | Comments(2)

チューリップ(第二段階)


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F8号にチューリップと花瓶、その奥に小さな白いビンを添え物にした静物画、それほど難しくないはずなのだが、なんのなんの、これほど悪戦苦闘しようとは思わなかった。普通の意味でいって,形をとり、色を塗っていって明るさと暗さ,奥行き、ヴォリュームなどが保証されてきてできあがってくるはずなのである。


物が表現され,実在感が出てきて充足された空間をあじわうこと、視覚上の錯覚をもふまえて一枚の絵が出来上がるとはそういうことなのだろう。しかしどうしてこうモタモタしなければいけないのだろうか。
理由は分かっている,実在感に対する感覚が違ってきているからである。


たとえば花があり,葉っぱを緑で添え,花瓶を描いて絵を組み立てる、そして物それぞれの基礎的な面付けでヴォリュームをとらえていく。そういった個々の物という考えから隔たってきているのである。一枚の画面という考え,タブローという概念である。


一つの表された画面だけが存在する,と言っていい。これがなかなか理解出来ないのである、だからマラルメの詩が難しく感じるのである。ここを徹底して分かっておかないと、モナ、リザにはヴォリュームは感じるが,源頼朝像にはヴォリュームがない,などという議論に陥ってしまうのである。


画面ということではモナ、リザも頼朝もおなじことである。さてこのてこずっているチューリップ、どうすればいいのか,一つの答えは簡単である。花瓶が立てばいいのだと思う。判断はそこにしかないようだ。

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# by papasanmazan | 2012-02-10 11:40 | 静物画 | Comments(0)

チューリップ(第一段階)


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天気予報を見ているとしばらく風が強く,曇りや雨の日が続くようであった。これは外での制作が出来ないのでマズイと思い、あわてていつもの花の卸し農家に行った。


冬場なのであまり種類は多くないが、それでも色彩にかこまれている。ユリのつぼみがあって,これは咲くのにどれくらい時間がかかるの、とたずねたら、三週間くらい,でも咲いたら長持ちする,と言う。


明日からでも描きたいので,これは駄目だというと,チューリップならすぐに咲く、とのこと。大きなつぼみのものを八つ包んでくれた。さてアトリエにおいてある花瓶で,家内がこの間のみの市で買ってきたオランダ製のものに飾ってみた。


昼食が終わり,いつものクセで少し昼寝をしてからアトリエに入ったら、なんとそのチューリップがもう既に満開なのである。なるほどすぐに咲く,と言ったはずである。あわててF8号のキャンバスをもちだした。

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# by papasanmazan | 2012-02-10 11:36 | 静物画 | Comments(0)