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マザンの教会とヴァントゥー山(完成)

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2000メートル近くある大きなヴァントゥー山をF0号(18×14センチ)の小さなキャンバスに描いてみた。F0号は規格サイズとしては一番小さなキャンバスである。これも一つの絵画の楽しみだろうか、うんと大きなものを小さな画面の中に表現してみるということは。

風景であっても、また静物のいろいろなモチーフであっても最初にキャンバスの大きさを決めていくのはなかなか難しいものである。対象が大きいからといって必ずしも大きなキャンバスや紙が必要だとは限らない。赤ちゃんの顔は4号以下の小さなもので、大人の顔は10号以上の大きなキャンバスに描かなければならないとは決して決まっているわけではない。物と物との組み合わせ、人物の扱い方、自然の切り取り方、それを受け止める画家の感性でそれぞれのキャンバスが選択される。

小さな芥子の花にも全世界が宿り、小さな体の力士が倍ほどの体重のある大男を投げ飛ばす相撲の魅力もある。南仏の巨人とよばれるヴァントゥー山を小さなキャンバスに描き現すのはガルガンチュア物語の荒唐無稽におちいることもあるまい。そういうとラブレーの真骨頂まるつぶれであろうか。とにかくF0号の風景画である。

この絵は事情があって途中で制作を急いだのだが、それも一段落してから思い直してもう一度加筆していった。そうするとこんな小さな画面でもどんどん構築力が強まっていくものである。結局かなりの描き込みになり自分としては大変満足出来る物になった。セッカチな気性の自分を陶冶するにはこういった小さな画面もいいのかもしれないと苦笑ものである。

# by papasanmazan | 2012-05-05 23:38 | 小さな絵 | Comments(2)

ロック アルリック(第三段階)

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青空が出てくればやはり南仏の光の強さが実感される。悪天候に閉じ込められていたのがようやくの思いで久々の戸外での制作である。S8号のロック、アルリックを続ける。

この頃の制作で気づくのは、全体感を大切にするのは今までどうりなのだが、全体ばかりを思うあまりに細部をともすると意識外にしすぎていた傾向があったということである。そのことに気がついてからは制作の進行が少しづつ変わってきた。

全体の把握をしつつ目の前の制作の進行をも重視しなければならない。明日のことばかり夢見ててはいけない、現在の、この今、というところをしっかりさせなければならない。そして今できることは、今してしまわなければならない。

# by papasanmazan | 2012-05-03 00:10 | Comments(0)

オーゾンのほとり(第二段階)

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またもやフランスは異常気象に見舞われ、ここ南仏はこの一週間ほどの毎日が雨と強風が吹き荒れる有様で、とても戸外で描けるような状態ではなかった。気温も低く、フランス全土でかなりの被害が報道されている。そうかと思うとアルザス地方は真夏の暑さのようで、水着姿の人たちもいるとテレビのニュースで流れていた。

そんな一週間ではあったが季節だけは進んで自然の姿もすっかり変わってしまっている。芭蕉の青葉、若葉の陽のひかりがみなぎっている。もう少し淡い色調の葉っぱの中で制作するつもりであったが思わぬ天候に見舞われてしまった。

それでも出来るだけの創り込みはしなければならないし、またこういう時にはかえって新しい発見もあるものだ。緑の調子をとりもどしつつ続けてみた。

随分モチーフ離れもしだしてきたが、画面は立ち上がってきたのでもう少しの進行を努力したい。

# by papasanmazan | 2012-05-02 01:02 | 風景画 | Comments(2)

アイリスとリラ

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出歩くあちらこちらでアイリスが咲いている。白や紫、うすいブルーなどの色が眼を楽しませてくれる。家々の庭や道ばたなどのところ狭しと並んでいる。そして眼をあげればリラの花も満開である。こちらはピンクにちかい薄紫や白い花。この二つの花を花瓶に差して静物画を描いている最中である。

とくに花瓶に挿した花はしおれやすいので気忙しくてかなわない。といいながらヒマワリやチューリップなど、この頃は少しずつものにできるようになってきた。F12号のキャンバスに描いているが、制作が進むにつれなんだか非常に自分にとって重要なものになってきた。いわゆる花を主題にした卓上の静物にはちがいないが、その主題を越えたものになるかもしれないという予感がある。

とにもかくにももう少し進めて、自分自身考えを整理しなければ何ともいえないところである。画面の平面性とか、いつもの構成から一つ違ったところに進むかもしれないのである。

# by papasanmazan | 2012-04-28 12:01 | 静物画 | Comments(0)

ポプラの道(第一段階)

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先日もいったようにマザンの下水工事のおかげであちこちに新しい風景が見つかってくる。これもその一つで、高い立派なポプラが並んだ農道がマザンの村の中心へと続いている。それを上から見おろすと、畑や木々を画していく道のつながりの白っぽい色がなかなかに美しい。風景全体も牧歌的である。

牧歌的とか、まるで妖精の出てきそうな森とか、また嵐の吹き荒れそうな風景、そういったような一種ロマンチックなもの、標題的な絵画というものを私は余り好まない。何か感情に溺れてしまいそうな気がするからである。しかしそういう感情がセンチメンタルにながれてしまわない限りにおいては自分でもこういう絵も描いてみたくなる。

多分この辺りの場所はまだまだ描いてみたいような風景が見つかりそうだが、てはじめにF3号のキャンバスに始めてみた。ポプラの色は日に日に濃くなるようである。制作のスピードも負けないようにしなければならない。

# by papasanmazan | 2012-04-24 22:31 | 風景画 | Comments(0)

コクリコ

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今年は遠出しなくても家の前の畑にコクリコ(ひなげし)の花が咲き並んで、一面赤色に染まっている。ここに住みだして初めてのことである。こんな楽な戸外でのパステルも珍しい。家の庭のバラやアイリスはいつでも手軽に用意できるのだが、コクリコは毎年近くではあるが花のある場所を探して描きに出かけていた。

同じモチーフでもやはり年々描く感じは変わってくる。今年のものは相当軽い表現になってきたようである。これは特にコクリコでは以前から望んでいたことで、このようなコクリコの花畑などはできるだけ軽やかに、あたかも風に吹かれてそよいでいるような様子をだしてみたいと思っていた。ところが未熟であればあるほど描き込みを増やさなければ画面がもたない、だんだんと重たいものになってくる、それのぎりぎりのところで完成ということになっていた。

やはり経験の積み重ねもあるのだろうか、最初に意図したことをそのまま直接的に推し薦めることが可能になってきた。特に水彩やパステルはその手順、手際も大切である。それらをふまえたものが今年のコクリコに表れてきたようである。

# by papasanmazan | 2012-04-23 22:44 | パステル | Comments(0)

オーゾンのほとり(第一段階)

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一昨年の夏にこのオーゾンのほとりを描いたのだが、描いている途中から堂々巡りをしたような状態で、ようやくの思いで仕上げるには仕上げたのだがその時からもう一度制作するつもりにしていた。かなり重い画面になってしまった反省から、今度はまだプラタナスが若葉の頃をみはからって、色彩の軽さを使ってみようとの意図をたてていた。

今回はF8号のキャンバスに描いている。うっそうと繁っていた前回とは違って全体が淡い調子ですすめられそうな現場であるが、色を見分けていくことがなかなかに難しい。特に木立の下草の色彩をどうやって全体の中の調子として組み込んでいくかが問題になってくる。

オーゾンという小さな川の流れだが、こういう蛇行したS字型の構図は案外簡単なもので、かえって奥行きがつきやすいところに画面の弱点が表れてくるものである。つまり奥行きだけにとらわれていると知らず知らずのうちに絵が完成したように錯覚してしまうのである。そういうことでは駄目なので、あくまで水の平面化、画面性ということをおしすすめていかなければいけない。また水に映った木の陰や、空の反映などだけのいかにも絵になりそうな要素も排していかなければいけない、卑俗なものは不要だと思う。しょっちゅう自分にいい聞かせている、絵を描いてはいけないのである、と。

# by papasanmazan | 2012-04-21 17:58 | 風景画 | Comments(2)

笠松の見える風景(第一段階)

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今マザンはここ二十年来の公約、街全体の完全下水道工事にかかりだしているので、あちこちで道が寸断されている。ある地点までいくとすぐに回り道の標識が出てきて、なかなか目的地に行くまでが大変である。


しかしこの工事を皆が望んでいたので、車の通行もお互いに譲り合いながらなんとか日常の生活を続けている状態である。戸外での制作に出かけるのも一苦労することがあるが、また逆に利点も折々にある。というのは、いつもと違った道を探さなければならないので新しい風景に出会えることにもなる。

ほんのちょっとした視点の違いで今まで見慣れていたものも急に目新しいものになることがあるように、風景も少しの角度の違いや、距離感の差などで妙にいきいきとしたものになる。先日も通行止めになった道を迂回してマザンの中心部に近づくと大きな笠松が眼についた。気がついてみるとその笠松は反対側からしょっちゅう眺めていたものであった。

その笠松や手前の畑、畑の中のキャバンヌなどの背後にはやはりヴァントゥー山が眺められる。一つまた描ける場所が見つかった、F6号に始めてみた

# by papasanmazan | 2012-04-21 00:21 | 風景画 | Comments(0)

いちご

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私の住んでいるマザンのとなりの大きな町がカルパントラで、毎週金曜日の朝市と、フランスでも有数のイチゴの産地として有名である。もう少しすればこのカルパントラ産のイチゴも市場に出回るだろうが、今はスペイン産のものが並んでいる。

スペインのほうがフランスよりも温度が高く、そのぶん野菜や果物の収穫もはやいのだろうか、いつもスペイン産がいち早く出回ってそのあとにフランス産になる。しかしこのイチゴを比較するとスペインのは色は真っ赤で、形もしっかりしてきれいなのだが、食べると酢っぱくてかなわない。

これに比べるとフランス産のものは味が非常に柔らかく、甘くて美味である。ただし値段はフランス産のほうが高い、だからフランス産のものが出回る頃にはスペイン産のものを市場から閉め出してしまうのである。

絵のモチーフはだんぜんスペイン産である。イチゴの赤はまた格別に美しい。ルノアールは特別にいい顔料のガランスの赤を注文したそうだが、その赤を使ったイチゴの静物は忘れられない。

10×10㎝の小さな正方形のキャンバスに描いてみた。 

# by papasanmazan | 2012-04-19 22:11 | 小さな絵 | Comments(2)

ロック アルリック(第二段階)

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ロック アルリックを主題に今までに何枚か描いてきたが,いつも思うのはその背後にひかえているダンテル ドゥ モンミライユの山のことである。その向かって左端にある尖った山の稜線や姿全体をみていると、いつも鉄斎の蓬莱山を思い出すのである。

今までいろいろな絵をたくさん観てきたが,数から言っても鉄斎が一番多いし,絵画を理解出来たのも鉄斎のおかげだと思っている。とにかく美術館などでいい絵を観る時は、うんと離れたところから観ることが必要である。勿論近くでも観るのだが、それだけでなく作品から距離をとって全体像もよく見ることである。

ご存知のように鉄斎は89才まで描き続けて一生を終えた大画家だが、とくに80才を超えた頃からの晩期のものがいいとされる。代表的な紙本の水墨や、淡彩をほどこしたもの、また大和絵を自家籠中にしたような彩色のものなど、とにかく作品数も多いのだが、そのなかでもいわゆる山水画を先ほど言ったように離れて観ていると、その絵の中で流れている水が晩年のものになるとまさしくゴーッと音をたててくるのである。

木こりであろうか、三人ばかり滝のそばの岩陰で、仕事を終えて、酒でも飲んで気持ち良さそうに寝転んでいる。暑い夏の頃だろうか、如何にも涼しげで平和そのものである。そしてその滝の水がゴーッと音を立てて水しぶきをあげているようだ。人と自然との全ったき象徴がここにある。

いずれロック アルリックの絵もそんなユートピアのような世界に一歩でも近づきたいものである。

# by papasanmazan | 2012-04-18 20:44 | 風景画 | Comments(0)

ヴナスク遠望(完成)

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季節の中でも春は変化がはやいので戸外での制作も何となくあわただしい感じがする。ヴナスクのサクランボの満開だった花も散ってこれからは実がだんだん赤くなってくるだろう。食卓にはホワイトアスパラが出回りだして楽しみがまたやってきた。

P6号のヴナスクを遠望したこの絵もようやく完成した。それほど大きくはないのだがかなりの時間がかかった作品である。サクランボの移り変わりを横目にしながらの制作であった。手前の大きな糸杉二本の扱いが問題であった。

主役はこの糸杉なのか,遠くに見えるヴナスクの村なのか,一応タイトルはヴナスク遠望にしたのだが今回は村のたたずまいは軽い描写でもっていって,糸杉から奥に入った感じをだしてみたかった、その考えに絶えず戻って制作を進めてみた。

なかなか思った通りにはいかないが軌道修正しながらでも続けていくべきものである。

# by papasanmazan | 2012-04-17 19:13 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(完成)

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先のF12号の岩と松とキャバンヌと同様にこの絵もこれくらいでよさそうである。思えばこの二枚の作品はほとんど同時進行で,お互いに助けあったような制作だった。アトリエでも二枚並べて比較しながら検討してみていた。

出来上がった作品の結果がいいのに越したことはないが,途中の段階での思索、考案,そういったものが非常に大事だと思う。画家は手と眼を使って仕事をしていくが,自分の中にたえず一人の批評家をも持ち合わせていかなければならない。誰しも作品の完成を願うのは当たり前だろうが,ただ仕上がりだけを気にしたような中身のない作品などは考えものである。

若い頃から作品を検討する一つの概念があった。絵というものは一つの基底面から奥に入っていなければならない、ということである。すなわちこれが画面という考え方である。タブローという考え方である。これは決して近代絵画以降の考えではない,それ以前の絵画にも意識のある、なしに関わらず一級の作品を一級たらしめているよりどころである。ただ近代以降はその辺りが非常に意識的になったのである。それがボードレールの仕事であった。

最近のこの二枚の作品を目の前にしながら盛んにやはり今までの思索が交錯するのを感じたのである、基底面から奥に入っていなければならない、と。

# by papasanmazan | 2012-04-15 15:30 | 風景画 | Comments(2)

岩と松とキャバンヌ(完成)

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一応この辺りで完成ということになるだろう。この前から何度もこれで良い,描き終えた,と思っては再度気になって、また加筆する,といった具合だった。そういえば今までにスムースに描き始めから完成まで流れどうりリニいったことなどは一度としてなかった。

たとえば制作の時間がかかりすぎて次の年までその作品を持ち越すこともある。そのあげく次の年には自分の中に進歩したのか,変化したのか,何かしら前のものを続けていけないようなものが持ち上がってきて、結局その作品は没になるようなことが多かった。

何事も経験ではあろうがそれほど楽しい思い出ばかりでもない。このF12号の岩と松とキャバンヌを描いた作品でも半年先、一年先にはどんな思いがでてくるのか今の私には分からない。

いちおうの存在感は出たようなところで完成したといえそうである。

# by papasanmazan | 2012-04-14 18:44 | 風景画 | Comments(2)

パンジー

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小さなパステル紙に鉢植えのパンジーを描いてみた。地の色はグレーで、花の色としては白、紫,そして濃い赤紫である。先日の金魚草と同様に葉っぱの表現に気をつけてみた。以前は葉っぱは本当に花の添えものとして扱っていたが,小さいながらもこの葉っぱのかたまりなどに面を与えて方向性をだしていくと今までとは少し違ったパステルになってくる。

面づけていくのも余り多用すると理屈っぽいものになりがちだが,程度をわきまえて使っていっていいと思う。これはパステルに限らず油彩にも大いに利用していってよさそうである。ともあれパンジーの可愛い花は庭にも、パステル画にも満開である。

# by papasanmazan | 2012-04-13 18:11 | パステル | Comments(2)

岩と家(第四段階)

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出来上がるのか、このまま放棄するのか、分からないままに、苦しみながらも楽しくまだ描き続けている。私の絵の上でのテーゼ、同一平面上に同時空間をあらわすこと、これがこの画面で相当実現出来るのではないかと思っている。

現場にも数えきれないくらい足を運んで描いているのだが、まだ完成とはいえない。ひょっとするとあと一筆なのかもしれない、もしくは’今の私には不可能なのかもしれない。様々に思いは広がるのだが、絶えず心の中で呪文のように唱えている、橋は流れて、水は流れず、と。

画面でその絶対感がでれば完成といえる。

# by papasanmazan | 2012-04-10 19:11 | 風景画 | Comments(4)

金魚草

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今年になってはじめてパステルの花を描いた。もう花の盛りの季節である。油絵とはまた違ってパステルや水彩は大好きである。毎年の個展にもパステルの作品は何点か飾るが、特に女性に人気があるようだ。

金魚草もよくモチーフにするが、葉っぱの扱いが難しい。今年も咲き出した金魚草をよく見ていると、いつもとは違った表現が必要だと感じられる。それが葉っぱなのである。今までよりも葉っぱの描き込みを多くして、もっと花をもり立てていったほうがいいと思う。

そう思いだすとパステル全体の表現にまで考えが及んできた。これから以降の作品は花だけに限らずもっと密度を考えたものにしなければならない。あるいは今までのものの描き込みが過ぎた部分もあるのかもしれないし、もっと全体の効果をはからなければならないのかもしれない。とにかく今までとは違った感覚がパステルや水彩に働きかけているのは事実である。

# by papasanmazan | 2012-04-06 20:10 | パステル | Comments(2)

ロック アルリック(第一段階)

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天に向かって突き出ている岩山に石造りの家がへばりついている。自然と人間の共存の姿がそこにある。教会もあるし、岩山のてっぺんには十字架も立っている。その村の名前がロック アルリックである。

本当に小さな村で、夏の観光シーズンをのぞけばいつも静かだが、よく整備された美しいたたずまいである。後ろには岩をむき出したダンテル ドゥ モンミライユの山が横たわっていて、これも絶景である。正方形8号のキャンバスに描き始めた。

ロック アルリックまで車で20分位だが、途中の景色もすばらしい。それに今はもう花があれこれと咲き出している。藤が満開、シャクヤク、アイリス、それに道ばたのコクリコも赤い花をみせている。こうなってくると何故か気持ちだけが浮き足立って、落ち着いて制作していられないような季節である。

# by papasanmazan | 2012-04-06 12:19 | 風景画 | Comments(0)

青いグラス(第二段階)

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たかだか4号位の小さな静物なのだが、まだ形を探しあぐねている状態で、あるときには色彩が形を消し去っていったり、また形が色を押さえ込んでいったり、いわば右にも左にも、また上にも、下にも動き続けている画面である。

決定的なフォルムは必ずどこかに隠れているはずである。それを筆で探し当てようとする探偵小説もどきの仕事であるが、気長に考えれば描いているほうも楽しいのかもしれないが、たいていいやになることが多い。

決して答えを先送りしているのではないが、微妙な、ちょっとした接点が難しいものである。この静物画などは典型的なものだと思う。

# by papasanmazan | 2012-04-05 18:59 | 静物画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第四段階)

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これは長く時間のかかる制作になるだろうとは描きはじめから思っていたが、案の定である。難しい主題だからというだけではなく、私自身の心理的な変化によるのかもしれない。別に心理的といっても何が変化したわけでもないのだが、言葉でいうと、風景を読む、ということがとみに気持ちの中に表れてくるようになってきたのに気づいている。

たとえばある風景に接して、ああ美しい風景だとか、これは絵になる風景だとはよく思うところである。この二つを合わせると一般的な言い方をすると、これは絵のように美しい風景だ、ということになる。そして旅先の名所などの魅力になっていることが多いようである。またビューポイントなどという言葉もある。

私の今いわんとする風景を読む、というのはそういった美しさということとは違った風景との接し方である。それはその風景が自分にとって意味を持つものであるのか、画家である自分として意味のある絵になる風景なのかどうか、それを読み取ろうとする心理が働きだしている、ということである。

なるほど、素直に、理屈っぽく考えないで描けばいいではないかとも思うのだが、どうもそこに自分が関わってくる意味が重要な気がしてならないのである。現在のこのキャバンヌの絵bなどもそうである。普通に言って美しくも何ともない風景である、しかし画面にするのには私には大いに意味、意義のあるモチーフである。モチーフとは対象でもあるしモチベーションの意味にもなる。

# by papasanmazan | 2012-04-03 12:46 | 風景画 | Comments(2)

ヴナスク遠望(第二段階)

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季節がどんどん進んでいく。サクランボの花が満開だと思っていたらもうほとんど葉っぱばかりになっている。この場所から見ているヴナスクはどの時間帯でも少し逆光気味である。従って少し色彩の対比が見分けにくいのが難点である。

もう三十年近く前になるが、日本にいた頃、冬場は富士山をよく現場で描いていた、ほとんどが山梨県側で、そこも静岡に比べて逆光の弱点があった。ただ静岡側の工場地帯と違って空気がまだきれいで澄んでいた。

もうすぐ太陽が昇って光が当たりだすだろうと思って待っていてもなかなか思いどうりにはならず、ついに逆光のままという場所もある。山中湖畔からの富士がそうだった。結局自分で色彩を弁別していくしかないのである。このヴナスクの岩盤も自分の眼と頭を使った色彩使いが必要である。

# by papasanmazan | 2012-04-01 19:02 | 風景画 | Comments(0)

ルシオン

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もう四年ほど前になるだろうか、人けのない冬のルシオンにかよってF30号のこの絵を描き込んでいた。赤土の村で有名なルシオンであるが、最近はなかなか観光客も多くなり、冬場の人の少ないときを選んで制作したものである。

ルシオンを初めてみたときの印象は強烈だった。土の赤さと、松の緑の対比、即座に日本の宗達の屏風絵を思い浮かべた。松島図などである。四年前のことであるからまさか東北地震のことなどは夢にも思わず、かつて訪れたことのある松島の実景などとルシオンを比べたりしていたのである。

とにかく赤と緑をふんだんに使かってみたかった。何点か同時に制作して、この30号の絵も一応完成させて寝室に飾っていたのだがやはり不満がでてきた。かなりの期間考えあぐねていたのだが、仮に四年間としてその間に少しは画技も上がったのだろう、特に赤色のヴァルールがもっと上がると確信出来たので再加筆してみた。

結果的に言ってレアリティーが大分でてきたように思われる。以前の画面よりも人が這い登っていけそうな勾配がついたようである。自分としては満足している。

# by papasanmazan | 2012-03-30 22:49 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(第三段階)

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進んだり後退したり悪戦苦闘中、ようやく少し光が見えてきたようなところで本日はおしまいにしてきた。ハンク、ウィリアムスのアイ、ソー、ザ、ライトのように光は点滅するのだろうか。画面の部分、部分はそれなりにつかめていくのだが、全容が感じられなくて元に戻ってばかりいる。

おそらく岩というものに振り回されているのだと思う。まわりのものと岩との接点を決めながら色価を上げていこうとするのだが、ついつい細部にこだわりすぎて全体にまでヴァルールがいき及ばないのである。

もっと単純化が必要だ、と気がついたところでようやく制作に光が見えてきた。要するにほとんど家と岩だけの画面だと思い切って進めていけばいいのであろう。画面が切り立って、あるいは美しさなどはなくなるのかもしれない、しかし一つの平面にはなっていくだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-29 18:52 | 風景画 | Comments(2)

早春の丘(第三段階)

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ほぼ完成、あともう少しのツメがほしい。もう少しといいながら案外時間のかかることもある。いつもは出来るだけ造形感や構成を主に追求したいと思っているのだが、この作品はどうも主題も春の到来からくるのか、音楽の楽しさのようなものに流れがちである。

よく耳を澄ますと本当に鳥の声が多いこの地方である。家のヴェランダでコーヒーを飲みながらこの鳥の声に聞き入っているのだが、近頃は制作をするときにも音楽をならさなくなった。それよりも自然の声をそのまま耳にするほうが好ましくなってきた。

あれほど好きだったクラシック音楽も制作時に聞くことはない。別に音楽がどうのこうのというのではなく、聞くのはやはり好きで沢山聞くのだが制作とは切りはなれてしまった。その代わりに自分の絵画の中にもっと音楽の要素が入らないものだろうか。

どうもいつもガチンコの絵ばかりでいられなくなってきたのかもしれない。

# by papasanmazan | 2012-03-29 03:00 | 風景画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第三段階)

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制作としては進んでいるはずなのだが画面がいっこうにまとまってこないので大変に苦労しながらの仕事である。こういう経験は今までにもある。非常に気持ちは高ぶって、画面に集中できているのだが、それとは裏腹に絵として立ち上がってこない感じがする。

あるいは気持ちのほうが先走りしすぎているのかもしれないし、あるいは思い入れが強すぎるともいえそうである。自分自身としては決して悪くないと思う途中の段階ではあるが、さて仕上がっていくとしてどういったものになるのやら見当がつかない。

タッチの荒さとか、画面の密度はなんとかとりまとめていけるだろうが、いわゆる生動感をどう保っていけるのか、その辺りの兼ね合いがこれからの一つの課題になるだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-28 00:26 | 風景画 | Comments(4)

大きな白樺(完成)

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もうこれくらいでいだろうと思って現場からアトリエに持ち帰ってもどうしても不満足で、そんな状態でまた現場での制作に戻って加筆することを三度繰り返したはずである。たいてい自分でもいやになることすらあるのだが、これも仕方なかろう、まだまだ腕が悪いのである。

ねばるのもいいが、ねばって増々悪くなるときもある。若い時にはその果てに作品を途中で放棄することの連続であった。今はなんとかもちこたえられるようになってきた。あるいってんが上手くいくとそこを全体に及ぼしていきながら作品を持ち上げていくことも必要である。

理想からいえば最初の描き始めから最後の筆を置くときまで一気にかけ上がるのがいいのだろうがなかなかそうはいかないものである。ともあれこのF15号の作品はこれくらいにしておいて良さそうだ。もしまだ何か不満があればキャンバスを変えて新しい作品を考えなければならないだろう。

# by papasanmazan | 2012-03-25 01:10 | 風景画 | Comments(2)

ブナスク遠望(第一段階)

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昨年のちょうどサクランボの実が真っ赤になっていた頃、ヴナスクの村 を遠望できる良い場所を探し当ててF4号の油彩を描いたことがある。それはそれで完成したのだがなにか平板な感じがしてもの足らな かった。

今年もその辺りを探してみて、もっとピッタリくる場所が見つかった。 画面右端に空の空間を与えながら崖が突き出している風景である。その崖を支えている岩盤が眼をむき出したように現れている。村の姿は今までにも描いているので慣れてはきているが、全容を遠望するのは初めてである。

少し横長、P6号(40,9×27,3)のキャンバスを 選んでみた。手前に大きな糸杉がつっ立っているが、これも大いに結構 である、垂直性にもっていける。今回は村の建物などはあくまでも添え もの程度に扱って、崖の突き出た姿を取り込んだ全容を描くということが 主眼である。

# by papasanmazan | 2012-03-22 16:13 | 風景画 | Comments(2)

早春の丘(第二段階)

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アーモンドの花に続いてサクランボの花も咲き出した。ゴッホが駆け抜けるようにパリを離れてアルルにやってきたのが1888年の2月、最初は雪にみまわれた。それが3月になって花が咲きだすと急に果樹園の作品が増えてくる。

パリ時代に獲得した色彩がアルルの果樹園を手始めに、南仏の輝く光のなかで炸裂し始める。自分の身を賭しての色彩の昇華である。画家ゴッホが歴史に登場してくる、その大きな要因がここにある。そんなゴッホが間近に観たものが現に目の前にある。

今描いている丘の周りも花盛りになってきた。なんと平和な風景だろう。一種のユートピア、桃源郷ではあるまいか、などと一人興にいっていると急にトゥールーズで連続射殺事件が起きて、スクーターに乗った犯人はまだ捕まっていないとの報道がトップニュースである。これは興に乗っているのではなく狂の世界で、恐の世界でもある。


# by papasanmazan | 2012-03-21 16:46 | 風景画 | Comments(0)

岩と松とキャバンヌ(第二段階)

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日本のテレビの大河番組や探訪シリーズなどでいわゆる歴史物がもてはやされて既に長い時がたっている。歴史の実像や虚像を取り混ぜて、観ている者をひとかどの歴史学者にさせてくれるのだろうか、根強い流行である。

フランスでもドラマ形式の自国の歴史物をよくやっている。革命期のものやルイ14世を中心とした王朝物語、それとはまた別にデュマの小説を元にしたようなフィクション。そうかというと第二次大戦のドキュメントや近日ではアルジェリア戦争の摘発ものなど様々であるが、またかと思うほどの放映量を考えるとこれも一種の歴史物現象なのかもしれない。

なにもカタイものだけではあるまい、かつて大阪の漫才の骨董品、捨丸、春代も舞台で歴史物を話していた。【蚊帳のなかから足投げ出して 楠木正成これにあり 足、蚊が攻めるじゃないかいな】 志ん生も落語のマクラで【頼朝公おんとし五歳の時のシャレコウベ】などとふっていた。そのうちに平清盛と聖徳太子が同じ幼稚園に通っていた、というような説もチラホラするかもしれない。

現在描いている崩れ果てたこの石造りの家にもかっては人が住み、生活を営んでいた。名前もいわれも残らないものだろうが、私には一つの歴史がここにこそ感じられる。人は歴史の事件ということを取り上げるが、ものをいわない事実の中に自分を投影していくのも歴史なのではあるまいか。

そういうふうに考えだすとこのキャバンヌを描く筆もなぜか走り出してきた。岩も松もキャバンヌも、私までもが皆同等に感じられてくるのである。

# by papasanmazan | 2012-03-20 11:55 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(第二段階)

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岩の表現が難しいというのが分かってきた。面取りをしていくのはさほどでもないし、色彩におきかえていくのもまずは無難に進めていけるだろうが、そういった分析的な捉え方ではなく、本質的な存在にまで押し詰めていきたいのである。

美術の二大要素は形と色である、そしてこの二つをああでもない、こうでもないと組み合わせながら一枚の絵画を仕上げていくのが画家の仕事であるが、分析的に理解した物と物の関係を総合的に一枚の平面の中に組み立てていく。

そこまではどの画家も一様に取り組んでいく仕事の仕組みなのであるが、さてその先きはとなると皆それぞれの欲求が違ってくる。一般にはそれを個性とよんでおいていいのだろう。同じ主題、同じモチーフを使っても種々、様々な絵が出来てくる。

同じ岩を描いてもそうだろうと思う。私に一番身近に思い出されるのはなんといってもオルセー美術館のクールベの絵である。エトルタの海岸だけではなく、森の中の鹿を描いた作品のちょっとした小石にいたるまでのレアリティーにひかれるのである。

クールベのナイフを使ったような荒々しい表現の物質感などはまさしく西洋絵画だと納得させられる。時間と空間をもとにした存在感である。しかし私には近年、どうもこの存在感から離れていこうという欲求が強く働くのである。

# by papasanmazan | 2012-03-20 01:51 | 風景画 | Comments(0)

農家とヴァントゥー山(完成)

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真冬に始めたこの小さなサムホールの絵も相変わらずの時間の掛かりようで、周りが早春になってようやく完成した。下手をすると制作を来年まで持ち越すところであった。もう少し楽に仕事がはかどらないものかと常に思うのだが、一つには生来の不器用さもあるのだろう。

親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている、というのは坊ちゃんの出だしだが、無鉄砲を不器用に差し替えるとそのまま私に当てはまる。ただその不器用なことについてはもういいかげんあきらめもついたのでグチもいわずに制作するようになってきた。

サムホールくらいの大きさの出来上がりとしてはこの位で良いと思う。ただ構図というようなものではなく、物の選択が甘いと反省する。如何にも絵になりすぎている嫌いがある。よく日本の農家などを如何にも写実的にあつかって郷愁を誘うような絵があるが、ロマンティシズムとセンチメンタリズムとのはき違えだと思う。そして画面はあくまでカラッとしているのが私の理想である。

# by papasanmazan | 2012-03-17 19:44 | 小さな絵 | Comments(0)