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ヴァントゥー山と丘の家




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先日投稿したF6号の赤い鎧戸の家と同じく、この夏の終わりから描き始めて日本での個展中の一時中断を経て、冬になってやっと完成したF10号の風景画である。場所も期せずして赤い鎧戸の家と同じところである。緑一色だった丘はすっかり枯れ葉色になっていたが、かまわずに制作を続けた結果である。

自然の風景、また室内の静物、人物や肖像画、どれも自分とは対立した、自分の外にあるものをモチーフにして制作をしているのだが、ようやく最近になって気づいたことがある、創造ということは自分の内にあるものだ、もちろんその外にあるものと共存していくのだが、大切なことはその内にあるものに深く気づいていくことである。

あるいは禅で言う己事究明ということ、ソクラテスが言うおのれ自身を知れ、ということと同じことなのだろうと思うのだが、絵画の制作においても創造のもとを見つめること、それが画面に直結してくるような気がしてならないのである。

そういったところでは余り季節の移り変わりなどが気にならなくなって、この二点の作品の制作につながった。

by papasanmazan | 2019-12-30 00:27 | 風景画 | Comments(2)

野の花




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毎日、夕方になると犬の散歩に出掛ける。制作を終え、筆を洗って休憩し始めるとクリップ(愛犬の名)がこちらの顔をのぞきに来て散歩をねだってくる。朝には家内と、そして夕方と、日に二回の散歩を楽しみにしている。単純なものだが、そのつどかわいいものだと思う。

冬の時期になると、枯れたブドウ畑の下にダイコンの花が咲き乱れて、一面真っ白になっている。ひとつひとつの小さな花をよく見ているとどれも美しい形をしている、そしてそれが重なり合って、まるで白いカーペットのような野原である。

観賞用の色とりどりの花もきれいだが、自然の中に染まった野の花は格別に好きである、どの花を見てもすぐに描きたくなる。この夏には黒地の紙にパステルでエニシダを描いたが、同じ趣向でこんどはダイコンの花を描いてみた、黄色が白色になったのだが、どちらもクリップの散歩と同じような単純さである、しかしこの単純さに何か大切なものが隠されているのではないだろうか。

by papasanmazan | 2019-12-24 11:53 | パステル | Comments(2)

赤い鎧戸の家




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今年の夏の終わりから10月の日本への一時帰国前まで制作していたもので、その一時帰国の間制作を中断していたのを、フランスに戻ってから再開してみた。F6号の風景画で、丘の上にある赤い鎧戸のある家である。何年か前にF4号に描いたことがあるが、不満が残りもう一度挑戦してみた。

もちろん中断した期間が二ヶ月くらいあるので、季節の違いからすっかり丘の色彩が変わってしまっている。しかし今はそういった状況などどうでもいいようになってきた。というのは表面に現れた現象を描こうというのではなく、もっと奥にある本質にまで画面をつき進めたいという気持ちが強くなってきたからである。


フランスに戻ってから意識的に理屈っぽい美術書を読んでみた。あえて名前は挙げないがその本の内容についてはよく理解が出来る。また書かれていることも正しいと思うのだが、一番強く感じるのは制作の実際にはそういった理屈は全く不用な感じがする。

そこでこれは愛読書の一つだが、またセザンヌの書簡集を再読してみた。ここでやはり自分の思っていることが再確認されることになった。セザンヌの最晩年に、たとえばエミール・ベルナールとのやり取りのなかで、さかんにベルナールの質問に答えてセザンヌの絵画に対する理論を展開しようとするのだが、実際のセザンヌの制作しているのはそんな理論上にはないのである、もっと自然に即した、本質に根ざした感覚と経験によるもの、それはとても口で言い表せるものではない、ということに最近はとみに共感できるようになった。

そういった最近の意識で制作すると余り季節の違いから来る色彩の変化などは気にならなくなってくる。では何をよりどころに絵を描いているのか、とたずねられたら、落語の素人うなぎではないが、前に回ってうなぎに聞いてくれ、といったような答えになってしまいそうである。

by papasanmazan | 2019-12-22 19:39 | 風景画 | Comments(2)

柿の木のある家


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もうすぐクリスマスだというのに今年のフランスは全国的なストで、公共の交通が麻痺していたり、大々的なデモ行進で深刻な状況になっている。日本でも同じことなのだろうが、老齢年金の支給が先送りにされそうなのに対する反対運動がそもそもの発端で、クリスマスといえば一番にぎやかなはずの歳末商戦にも大きな影響がでてきているようである。政府と労使の話し合いも平行線をたどって、解決のメドも今のところたっていない。

それに加えて、これも全国的な天候による災害が広がっている。大雨によるもの、強風によるものなど、地球の環境破壊が如実に感じられて、何か不安に覆われた感じがする。日本での個展が終わって南フランスに戻ってきてからも落ち着いて戸外で制作できる日が少なく、なかなか作品も出来上がらない状況である。

そんな中で今年の夏、集中して描いていたキャロンの村の家で、大きな松の木を背景にした一軒ポツンと建っているのを見つけていたのだが、晩秋になって行ってみると柿の実が少し残っていた、余り色彩的にも、構成的にも人目をひくような風景ではないのだが、その柿の実の色になんとなく魅かれてF10号のキャンバスに描いてみた。


何気ない絵になっているが自分としていい勉強になったものである。大きく物をつかむこと、そしてそれを出来るだけ大きく見せること、細かい神経は使っていてもそれを画面には出さないこと、それでもって一つの作品として完成せること、これらは今まで明確には意識しなかったことである。

by papasanmazan | 2019-12-18 23:05 | 風景画 | Comments(2)