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晩秋ヴァントゥー山


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昨年11月の日本での個展を終えて、フランスに戻ってすぐにF10号の風景画を描き始めた。この風景はぜひ秋の枯れた感じの時がいいだろうと心待ちにしていた場所、ベル・ヴュウからの俯瞰図である。

春、夏よりも大地の傾きがよく画面の動きにあわさって、秋の落葉した木々の群れの色彩に流れていく全体感に制作していて大変に魅力を感じたものである。しかし途中でモチーフの実景に引っ張られて過ぎて、これもやはりアトリエにしばらく放置しておいたものである。

少し時間を取って、間を置くというのか、余り直情的になり過ぎないように心がけていくのも大切なことだと思う、今年の正月を越してから、やおら制作を続行した作品である。晩秋のヴァントゥー山といっても完成したのは真冬の寒い日だった。





by papasanmazan | 2019-01-27 19:35 | 風景画 | Comments(2)

大きい松


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昨年の今頃、ちょうど冬の寒い時だったがF20号のキャンバスに大きな松の木と、その背景のプロヴァンスの平野をモルモワロンの上から見下ろして描いていた。割合に特徴を上手くとらえることが出来て、制作としてはいいペースだったのだが途中からどうにも筆がどうにも進まなくなり、季節が春めいてきて、そのままの状態でアトリエに立てかけていたキャンバスをどうやら今年になって続けることが出来た。

昨年と比べると風景などのとらえ方がかなり大きくなってきたように思う。細かい部分もいい加減に扱うつもりはないのだが、省略していくことに抵抗がなくなり、またその省略するところと描き込むところの構成が明確に自分でわかるようになってきた。それがいかにも構成している、という風なのはワザとらしくて嫌みなものだが、かなり自然な感じで現せる様になっていると思う。

ほんの少しの色の扱い、面の立て方、輪郭のつなぎ具合などどれをとってもつくづく難しいものだと痛感させられる。

先日の明け方、6時頃完全な月蝕がこのフランスの南部でもよく見られた。天気予報では、あるいは少し雲がかかってよく見えないかもしれないとのことだったが、予報に反してまったくの天体観察日和だった。我が家のヴェランダから、防寒準備につつまれて、読書でも出来そうな月明かりの明け方、だんだんと月が翳ってやがて真っ暗になるまで、その美しさに見とれていた、人類が宇宙旅行に出かけようかといっている時代、これは確かに科学の発達には違いがなく、その恩恵を大いに受けているには違いないのだが、ただ単に月の美しさにうたれているのも決してわるいことではない。時代遅れといわれようが、現実離れと思われようが、ときとしてかぐや姫の昔をしのぶのも一興と、それ位の覚悟で生き抜いていきたいものである。




by papasanmazan | 2019-01-23 09:40 | 風景画 | Comments(2)

チェスの静物


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F12号のキャンバスにチェスを使った静物画を描いてみた。大きな布をあしらって、ピッコロ、パイプ、ワイン杯それに三つのザクロを組み合わせた静物画である。以前はよくこのチェスをモチーフに選んで幾何的な模様を画面構成に利用したものである。特に若い頃は幾何模様や抽象的な直線、曲線を打ち出したような絵を描いていた時期もある。

それというのも源氏絵巻に代表されるような日本的なものに随分と魅力を感じていたからである。西洋の油絵の本質である世界と物質という考えとはまったく違った日本の美、それは物から離れた抽象美だと気づいていた。どうにかそういった考えを自分の油彩に取り入れていこうとかなり悪戦苦闘したものである。


しかしそうした無理な仕事にはやがて限界が現れ、描くもの、描くもの、すべてにスランプにおちいる結果になってしまった。それを打ち破るには謙虚に自然と向かい合って、自分の頭の中だけの仕事ではなく、物をしっかりと取り込んだ仕事が必要であった。その時以来自然のなかでイーゼルをたてて風景を描く姿勢が現在まで続いている。しかし自分の中に抽象作用が現れてくるのはやはり日本人なのだからか、または若い頃没頭した鉄斎、雪舟、宗達などの影響がまだまだ残っているからなのだろうか。




by papasanmazan | 2019-01-16 01:45 | 静物画 | Comments(2)

バルーの城と糸杉


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バルーの城に近づいた急斜面にオリーブの畑があって、そのむこうには岩山が見えている。ところどころに糸杉が立っていて風景全体に垂直感が強くでている場所で最近はよく制作するようになった。一度その場所でイーゼルを立ててみると次から次へと絵心を誘うような景色が見えてくるものである。不思議なもので今までなんとなく見ていたものが急に意味ありげなものになってくるのである。


フランス語の見るという動詞にvoirというのがあって、これは大変に日常的によく使う言葉であるが、ただ見る、という意味だけではなく分かる、理解する、という意味ももっている。普通に見るという時にはこれも一般的にregarderという動詞もあるし、理解するというのにはcomprendreというのもよく使う。しかしvoirには二つの意味があって、その時々で使い分けるのだが、風景などをよく見ていると段々と以前とは違って何かくっきりとしてくる時がある、すなわちその風景を理解しだすのである。


そうなってくるとその場所での制作が連作とは言わぬまでも、だんだん二枚、三枚と続いていくことが多い。このF10の風景画もそういう制作の中の一つである。このあたりの崖や岩山全体ももっと描いてみたいと思っている。





by papasanmazan | 2019-01-09 20:15 | 風景画 | Comments(0)

ヴナスクの教会


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ヴナスクはフランスの美しい村に選ばれているところで、ところどころ岩盤が目をむいたように現れて、松林に囲まれた小高い丘の上にある小さな村である。遠くから見える全景は美しい流れを作り、教会は特にその中で目を惹かれる建物である。その教会は何度も描いているが、先日久しぶりに行ってみると、教会の入り口付近をおおっていた大きな菩提樹の木が切り倒され,すっかり景観が変わっていた。

菩提樹には気の毒な話かもしれないが,絵にするには随分と描きよくなっていた。姿のいい菩提樹ではあるが教会の建物の構造を現すにはかなり邪魔な要素であった。そしてその木のためになんとなく画面がしまりがなくなり、アイマイな感じがいつまでも付いてまわっていたものである。


そのスッキリした姿を見てこれはかなり決定的なものが描けそうな気がした。翌日さっそくP12号のキャンバスを用意して、いつもイーゼルを立てる制作場所、墓場の隣に出かけて描いたものである。冬の景色で余り明るい色はないが、色彩の調和を考えながら完成させた作品である。




by papasanmazan | 2019-01-05 02:08 | 風景画 | Comments(2)

崖の風景


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明けましておめでとうございます、今年も制作した油彩や水彩などを少しづつアップしてゆきますので、よろしくお願いいたします。

新作はF20号の油彩、崖の風景である。なにも崖っぷち、というような自虐的な意味ではなく、この崖を懸命に登り詰めたところに何か新しい、素晴らしいものが待っている、そこに到達するための日々の努力をおこたらないようにしたい、そういったモチーフとしての崖である。正月そうそうシャレでもないが、命ガケの油彩画かもしれない。


仕上がりも粗い感じを残すようにした。自分でもためらったのだが、途中まではわりあいスムースな制作で、画面としてもおとなしく柔らかな色調だったが、仕上がっていくにつれてあらっぽい筆触になっていった。油彩の制作にペインティングナイフを使うことはまったくなく、絶えず筆だけの、それもどちらかというとやわらかい筆を使うことがほとんどの制作なのだが、今回のこの作品はまるでナイフを使ったような制作になった。

西洋の物質感を代表する、たとえばクールベのエトルタの岩のような表現は、いかにも写実のきわみのような生々しさを見せ付けられるが、自分としては日本を代表して雪舟の山水長巻の岩の重層の表現にひきつけられるのが正直なところである。そういうこともあってか以前からナイフを使ったような制作はあまりしたことがない。今回のこの崖の作品は何か一つの転機になっていくのかもしれない。



by papasanmazan | 2019-01-01 23:02 | 風景画 | Comments(2)