<   2014年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

マルモールの村(完成)

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既に何度か絵にしているマルモールの村である。F4号の油彩でまた制作してみた。こじんまりはしているが典型的なプロヴァンスの村という感じがする。

私事だがこのマルモールの村にはちょくちょく通うことがある、かかりつけの歯医者さんがここでキャビネを開いているからである。新しい診療機材をそろえたところで、いつも診てもらっている。この先生が絵画や音楽好きで、診察室や待合室に絵を懸けられるようにしてあり、時々小さな展覧会みたいなこともしているようである。

私が画家だと分かって是非いちど作品を並べて下さい、ということでミニ展覧会を今年の二月に開いたのである。先生が気に入った作品を買ってくれ、それを治療費に充てたのもなにか田舎臭い話で面白かった。



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by papasanmazan | 2014-05-31 21:58 | 風景画 | Comments(2)

ゼラニウム(完成)

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久しぶりにパステルで花を描いてみた。庭先や玄口に植えてあるゼラニウムである。この花は強くて長持ちしてくれるので毎年たくさん植えている。今年はとりわけピンクの花がきれいである。赤と合わせて並べてみた。

花を油彩で描くと制作時間の関係で、どうももう一つ落ち着いて取り組めないような気がしてならない。最近はそうでもなくなったが、花が枯れてしまいそうな気がしてならないのである。そこでパステルで描いてみることが多くなる。今まではそうしたパターンだったがひまわりを描き出してから静物画としての花、といった捉え方でも制作出来るようになってきた。一つ幅が出来たような気がする。この辺りをもっと進めてパステル、油彩、それに水彩をも加えた花の静物画というものも目指してみたい。

そうはいいながらこのゼラニウムのようなパステルを描くのは好きである。



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by papasanmazan | 2014-05-28 14:45 | パステル | Comments(2)

桃(完成)

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テレビのニュースでヴナスクのサクランボやカルパントラのイチゴが話題になっていた。この南仏は野菜や果物の宝庫のようである。夏になるとメロンヤやイチヂクも大量に出回って味覚の天国、桃やアブリコもこれからの楽しみである。

漱石の小説「三四郎」を読んでいると、汽車のなかで廣田先生が桃を食べながら社会批判を三四郎に聞かせる場面がある。あの設定が私は好きだ。なにげないサワリだが漱石の大きなプロットになっている。食べ物の話では同じく「草枕」のなかの羊羹もいい。

出回りだした初ものの桃を、いい香りをかぎながらF4号に描いてみた。



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by papasanmazan | 2014-05-23 18:14 | 静物画 | Comments(0)

門番さんの小屋(完成)

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p20号に門番さんの小屋を描いていたのだが、途中までは上手くいっていたつもりが、急に画面の下の部分が説明過多になってしまい、画面としてちぐはぐな進み具合になってとうとう途中で放り出してしまった。その後もその現場を通りかかるたびに気になって仕方のないモチーフの場所であった、

気を取り直して一ヶ月ほどしてからキャンバスも新たに、イーゼルを立てる位置ももっと対象物に近づけて制作をし直したものである。大きさは前のとおなじくP20号である。手前はブドウ畑一面になってしまった。そうとしか構図がとれなかったのである。しかし小細工が出来ない分、大きく仕上がったかもしれない。悪く言うと退屈な画面だともいえるだろう、



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by papasanmazan | 2014-05-19 18:25 | 風景画 | Comments(0)

椅子と楽器(完成)

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三十才代の後半、フランスに移住する少し前だったが、京都の博物館で雪舟の恵可断臂図を一人で長時間にわたって眺めたことがある。図は洞窟らしき中で岩に向かって座禅を組んでいる達磨(ダルマ)に対して弟子志願の恵可がその意志を伝えるために自分の腕を切り落として,それを達磨に差し出しているところである。

恵可は自分の不安を達磨に訴えるのであるが,今まで拒絶していた達磨は自分の腕を切り落としてまでその意志をしめす恵可に即答するのである、その不安を今すぐここに出してみよ、と。恵可はそれを聞いて直ちに悟りを得た、という図である。中国の禅の世界では達磨が初祖、恵可が二祖になっている。

広い博物館の中で、観客もほとんどなく、静寂そのもののうちに三時間ほど眺めていたのだが、急にハッとしたのである。これはまさしく現実だ、と。実際の場面に立ち会っているのだ、と。こういうところを禅匠にふっかけたら、お前は居眠りしていたんだろう、といわれるのがおちかもしれない。それはそうかもしれないし、それでいいとも思う。禅なり宗教なりではそれでいいのだろうが美の世界は違っている。感覚的なものだからである。恵可断臂が現実、リアリズムとして感じられる、それが雪舟の芸術なのである。雪舟の画面としての実在感だといっていい。その実在を見たというのがこれがまた私の実感につながっている。詩人のランボーはヴォワイヤン(見者)の説のなかで、詩人が見たものは見たのだ、といっている、まさにその見たものである。

いわゆる物を物らしく描いて実在感があるというのがレアリズム一般の考え方だろうが、それとはまた違った実在感というものがある。雪舟の画面でよく理解出来た経験であった。そういった静物画をめざしてF30号に古い椅子や楽器などを組み合わせて試みた制作である。いわゆる見栄えのしない絵かもしれないが、自分では納得いくまで描き込んだつもりである。それに個々の物に対しても説明的な要素はほとんどないと思っている。椅子の背もたれと脚の色と形におおいに苦労した。



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by papasanmazan | 2014-05-16 23:03 | 静物画 | Comments(3)

オーゾンの橋(完成)

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禅の世界で碧巌録という書物があって、無門関という本とともに参禅者には二大教科書ともいえるものである。ともに禅の大宗匠にちなむ逸話などにあるいは解釈があたえられ,あるいは讚が寄せられたりして、それらをもとにして自分の意識の深いところを探っていこうとするのである。ちょっと読んだところでは難しくて何がなんだか分からないようなところもあるが、しばらく続けているとほのかな明かりが見えてくる。禅の世界に限らず、自己鍛錬にもいいかとも思われる本である。

その碧巌録の第五十二則にこういう話がある。趙州というところには立派な石橋があってそれで有名な場所である。そこにこれも有名な従諗(じゅうしん)という和尚が居て、一般的には趙州和尚という通り名で呼ばれている。あるとき若い修行僧がこの趙州の地に通りかかり、かねてから聞いていた有名な石橋を探したがどこにも見当たらない、あるのはぼろぼろの木橋ばかりである。そこでその修行僧は趙州和尚に問答をふっかけた。この問答をするというのは若い相撲取りが横綱の胸をかりて稽古を付けてもらうようなものである。

趙州はかねてから石橋で聞こえたところであるが、ただの木橋があるだけではないか、と。趙州答えて曰く、お前には石橋が見えぬのじゃ。僧がまた尋ねる、それではその石橋とは一体何なのだ、趙州答えて、ロバも渡す、馬も渡す。

こういった話である。私もオーゾンの小さな石橋をF12号に油彩で描いてみた。誰かにオーゾンの石橋とは何かと尋ねられたら趙州和尚にならってこう答えてみたい、色もあるし、形もある、と。



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by papasanmazan | 2014-05-10 23:39 | 風景画 | Comments(2)

いちご(完成)

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新鮮ないちごが出回り始めた。カルパントラはフランスの中でも有数のいちごの産地で、この時期にはよくテレビのニュースでも取りあげられている。我が家のちかくにも直売の農家があり、そこのいちごはまた格別に美味である。またその農家ではエンドウ豆(プチポワ)も売っていて、これがまたまた天上のおいしさである。

贅沢だがそんな新鮮ないちごを並べてF0号の小さなキャンバスに描いてみた。なんといっても赤の美しさだが、それを補うのに白い布と白い皿を使ってみた。描いている間中いいにおいもして大変に楽しく軽やかな進み具合であった。




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by papasanmazan | 2014-05-04 18:47 | 小さな絵 | Comments(2)

春のオーゾン川(完成)

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春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いてゐるねと、ささやきながら。

そんな風景である。みるみるうちに新緑になり色彩の変化にはついて行けないが、一つの画面として考えてみた。まったく自然の色に頼るわけでもなく、また全くそれから離れるのでもない。どこに規準を置いているかと言えば自分が今まさに筆を下ろしているその画面をよく見ているだけなのである。そして自分の今居るその自然ともよく相談はしているのである。

そんなことなどは素知らぬふうに春の小川はさらさら流れていた。

F3号の油彩である。


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by papasanmazan | 2014-05-01 19:06 | 風景画 | Comments(2)