<   2012年 10月 ( 9 )   > この月の画像一覧

木の根と赤い岩(第二段階)

c0236929_1744114.jpg

非常に手応えがあって、いい勉強になる赤い岩のテーマであるが、相手がこれほどの強い構成物なので、こちらの手順もそれほど上手くは流れていかない。西洋絵画の基本である物のボリュームを扱っていく方法のなかで、面の集積を追求していくことがよくある。この赤い岩の絵でも岩の組み合わせを面の多様な性格として追っていってるのである。

その面を決めていく形を明確にする固有の色と、画面全体にわたっての空間処理としての色も計算しながら制作を進めていかなければならない。形と色というのが絵画の二大要素であるが、そのどちらかでも不足を感じると画面として弱いものになっていく。

確かにその辺りをよくわきまえて仕事をしているつもりなのだが、これが決して理屈道理にはいかないのである。寒色で面の奥を現し、暖色で手前に岩をひっぱり出す。確かにそれを繰り返し手全体を整えていこうとするのだが、やはりそれだけではないものがある。

何か理屈や理論とは別のものが働きかけなければとても進めてはいけないのが現状である。


[PR]
by papasanmazan | 2012-10-27 17:43 | 風景画 | Comments(0)

赤いカーディガン(第一段階)

c0236929_17315132.jpg

最近ザクロや赤い岩などをモチーフにするせいか、赤の色にひかれている。ここでまた赤いカーディガンを肩からかけた裸婦をF4号縦型に描き出してみた。もう十年以上前にパリのグラン、ショミエールでF30号に描いたものをもとに、現在の感覚で再び制作しているのである。

南仏に移ってもうほぼ十年になるが、それ以前はパリの近郊で暮らしていた。しかし子ども達の日本語を大切に考えると、どうしてもパリにアパルトマンを借りるしかなかったのである。それでパリ近郊の家と、パリのアパルトマンの二重生活になったのだが、冬の寒い、戸外での制作が無理な時には、そのアパルトマンから、裸婦が自由に描けるグラン、ショミエールに通ったものである。

人物画は大好きである。現在は裸婦のモデルを雇うわけにはいかないし、近くのカルパントラあたりの裸婦の教室をあたってみても、ほんのクロッキー程度なので、古い作品を探し出して、気に入ったものをもう一度作ってみようというところである。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-23 17:20 | 人物画 | Comments(0)

ヴァントゥーとマザン遠望

c0236929_2322643.jpg



F0号の大きさは規格のキャンバスとしては一番小さなもので、いってみればほとんど手のひらに入る位である。そんな小さな画面に、何も遮るもののない天空、その下に南仏の巨人とよばれるヴァントゥー山、そして私たちの村マザン、手前に広がるオリーブの畑など、家の前の広大な風景を全部取り入れてみた。

これも一つの絵画の楽しみである。ミニチュア絵画の中に描き込まれた中世や、宮廷の生活にふとひきこまれるときがあるが、ささやかなものの中にも全宇宙があっていいはずである。それほど大げさにいわずともいいのだろうが、最近私は小さな画面を描くのが楽しくなってきている。

以前は4号以下のものなどを描くのが大嫌いであった。ただ肩がこって仕方がない、というのが実感だったが、年齢もあってかこのごろは小さなキャンバスをみても嫌気はささない。

ひとつには画面の密度という意味が少し理解出来てきたからではないだろうか、なにも細かく描き込むだけが密度につながるわけではないのだが、画面の作り上げ方が見えてくると自然に筆がついてくるようになってきたようである。このF0号の風景画でもそれはいえるようである。要するに自分の作品を注意深く見ていくことが大切なのだと思う。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-18 22:57 | 小さな絵 | Comments(0)

ザクロ(完成)

c0236929_1553244.jpg


再び挑戦してみたザクロの絵だが、これもようやく納得出来るまで描き込めた。F10号の割には大きく見えて自分では満足している。ほぼ四十年ぶりの赤いザクロなのだが、こうして描いてみると以前の画面が思い出されてくる。あの当時はなにがなんでも赤い実ということで、赤の上にも赤を塗って、かえって透明色のガランスが黒ずんでしまって,どうにも効果が上がらなかったのを覚えている。

さすがにその辺りの絵の具の扱いはマシになったかもしれないが、画面全体としてはどれくらいの違いがあるだろうか、やはり気になるところである。今年のザクロの制作はこれまでであるが、さてこれから先このテーマは続けたものかどうかはいまのところ未定である。もっと興味をひかれる強烈なモチーフが現れるかもしれないし、今までとは違った表現のザクロに思い当たるかもしれない。ゆっくりとそのあたりを考えていかねばならない。

年齢のせいもあるのかしら、自分の経験や、ちょっとした自分史を振り返ってみることが時々でてくるようになった.。懐古趣味というのも困ったものだが、自分自身をよく認識するという上ではそんなにすてたものではないだろう。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-10 15:42 | 風景画 | Comments(2)

ギャルソン(完成)

c0236929_1740488.jpg


F6号の大きさといえばたとえば日本の家などに飾るのには手頃な大きさだが、描く側にとっては少し小さな絵だといえそうである。本当はもう少し大きなキャンバスに描いてみたかったのだが、息子のマザンにいる予定も余り長くはないので、これくらいが適当なところだろうか。

ギャルソンというのがテーマで、息子の肖像画というつもりはなかったのだが、そこはやはり肉親の情というのか、顔の表情にも最後は気をつかったりした。背景の緑と人物がうまく同調しながら、しかも人物を際立たせるというのはなかなか難しいものである。

それほど苦労したようなあとは見えないが、これでかなり描き込んだものになった。十一月の日本での個展に出品しようかどうか迷っているところである。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-07 17:32 | 人物画 | Comments(4)

木の根と赤い岩(第一段階)

c0236929_17472827.jpg

先日来赤い岩の絵を描いているが、ふと制作の途中で眼を上げると頭上に大きな木の根っこが見えている。赤い岩の中に埋まり込んだ木の根が、その周りの岩の断片と相伴って大変面白い造形美を作り上げているのである。それに見とれていると描きかけの絵はそっちのけになって、根っこをもっとよく見ようとあちこちと動き始めたのである。一応の最良と思われる場所は探し当てたが、もうその制作のことばかりが気になって仕方なくなってきた。

翌日F20号のキャンバスに木の根と赤い岩を描き出した。後で考えてみるとあんな大きな木の根が頭の真上に張り出していたのかと思うとちょっと落ち着かなくなってくる。まあそれは仕方ないとして赤い岩を主題にした二枚の油彩は取り組んでいて非常に好調に進みつつある。

岩で思い出すのはなんといっても雪舟である。現在もアトリエに国宝の山水図の複製の掛け軸を掛けて毎日眺めているが、大好きである。絶対感というのはこういう作品のことをいうのだと思う。先日ルーブルで見たモナ、リザと共通のものがある。このあたりになると洋の東西など問題ではなくなってくる。そして絵を見ていて楽しいとか、快いとかいうような感情移入なども問題ではなくなってくるのである。願わくば死ぬまでに少しでも近づきたいクラスの絵画である。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-06 17:46 | 風景画 | Comments(0)

ザクロ(第二段階)

c0236929_0155031.jpg


ザクロの実の赤や黄色、葉っぱの明るい緑や暗い緑、幹の褐色、それらをすかした空の色、いわゆる空間を作る色や形が互いにしのぎをけずって、あるいは赤や黄色の暖色が面積を大きく占めてきたり、それだけでは息がつまって寒色の空間がまた必要になってきたりする。

若い頃にこのザクロを主題にして絵を描いていた頃、輪郭線と、それからその線から物の中央部に向かって面に転換されていく過程が大切であることにはじめて気づいたものである。それと今もいった暖色と寒色の使い分け、殆どこの二つを理屈に仕立てて制作していたものである。

これらのことは私の絵画人生のうえで大きかったし、大変勉強になった事柄である。勿論現在の制作の根底になってはいるが、以前ほど理屈を先に立てていく必要はなくなった分、少し気分的な余裕は出てきたように思う。ただしそれだけ絵を描くのが簡単になったのかというと、いやいやそんなことは到底なく、ますます難しくなってきた、というのが実感である。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-05 00:01 | 風景画 | Comments(0)

ギャルソン(第三段階)

c0236929_1748189.jpg


全体の密度も加わりヴァルールも高まってきたようだが、この辺りが要注意である、余りに筆に頼って、たとえばヴェランダの手すりや、着ているヴェストの模様などの説明が多過ぎると、絵として弱く、表面的になりがちである、あくまで造型性をおしていきたいのである。

先日もルーブル美術館で思ったことなのだが、あれだけの数の作品はあるものの、そして一枚、一枚の作者はそれぞれの苦心や工夫をしているのだろうが、本当に造形美として成り立っているものを取りあげていけば、案外鑑賞にに耐えうるものは少ないのではないだろうか。

そして画面に神経が行き届いているかどうか、単に神経が細かいというのではなく、細かい上に全体の中にそれが活かされているかどうかが問題になってくる、どうやら私の課題を発見するためのパリ行きだったようである。これからはこの解決にまたむかっていかなければならない。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-02 17:46 | 人物画 | Comments(0)

パリの美術館で。

c0236929_17461128.jpg


三日間ほど家内とパリの美術館を観るのに出掛けてきた。私は一人で昨年もルーブルやオルセーなどを訪れたが、もうこの年齢になるとパリ自体の観光などということもなく、見たいと思う美術館も、また作品も限られてくる。好奇心が少なくなったのかなと思うが、いいものだけで十分だとも思えてくる。

相変わらずモナ、リザの前は人だかりだが、やはりこれは最高級のなかでも最高のものだと思う。他の作品、たとえば対面して展示されているヴェロネーゼのカナの饗宴などに比べると全く小さな絵であるのにもかかわらず、このモナ、リザの存在感は比較にならぬ程大きいものである。この絵だけは充分に時間をかけてみる価値があると思う。若い頃だったら終日でも観ただろうが、今はほぼ午前中いっぱい位の時間が限度である。それでも長く観ればみているほどその空間の存在に気づかせてくれる作品である。

いつもル−ブルに行くとまっ先きにモナ、リザの前に立ってしまって,その後に他の絵画作品を見ようとしてもなんだか興味が薄らいでしまってしかたがなくなっていけない。今回もあとはニケとミロのヴィーナスの彫刻のほうに回ってしまった。これらも超一級である。永遠の芸術である。もうこれらに触れるだけで至福感にいたってしまうが、足も疲れてくる。ミケランジェロの奴隷の前に置かれた椅子に二人とも座り込んでしまった、

久しぶりにチュイルリーの公園で昼食。ここもあいかわらず同じようにサンドウィッチなどをほうばるカップルやサラリーマンなどでにぎわっている。目の前にはマイヨールの彫刻がある、やはりパリは美術品が豊富で、雰囲気が贅沢である。昼食後に家内はロダン美術館に廻ったが、私は再びルーブルに戻って二時間ほどフランス彫刻の作品をデッサンした。リシュリュー館の一階はかつてマルリーの森を飾った彫刻群が乱立している。他の場所に比べて人が少ないので、以前からここでよくスケッチして過ごすことにしている。

二日目はオルセーとオランジュリーの近代美術だけで満足だった。ほんのちょっとしたヴァカンスだったが、パリは私たちにはこれで充分である。アヴィニョンとパリの間のTGVは行きも帰りも速かった。

[PR]
by papasanmazan | 2012-10-01 17:43 | 展覧会 | Comments(0)