<   2012年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

赤い岩(第二段階)

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岩と岩が組み合わさって一つの構成物になったものなどを見ていると、現実をフトわすれて原始の時代に戻ったような錯覚に陥るときがある。遠く忘れ去られたようなものが急に自分の身の回りに舞い戻ってくるのである。いつのものとも知れぬ、まだ自分が生まれるずっと以前の、悠久のかなたのものを思い出す、と言ったようような錯覚である。

しかしこれは錯覚であろうか、現在この赤い岩を描いている場所にじっと一人でいると、時間を越えたような絶対空間を感じてしかたがない。たとえば以前パリのノートルダム寺院でバッハのオルガン音楽を聞いた時に、あの背の高い寺院の内部の空間の中に音が浮遊していた、空間を越えて絶対時間を感じてしかたなかったのと同じような経験である。

たしかにこれは自分にとっていい兆候なのだと思う。家内にこの場所に連れてきてもらった最初の一瞬から、ここだという感じがしたのである。小手先の絵画技術とか、出来上がった作品の見栄えなど問題にならないような根本のもの、創造力の根源といったようなものをこの場所は私に与えてくれる。ようやく見つかったモチーフである。

セザンヌは戸外写生に出掛ける時に、さあモチーフに行こう、といったそうである。これはセザンヌを理解するのに非常に大切な言葉である。決して、絵を描きに行こう、とは言わないのである、モチーフに行こう、である。セザンヌをよく理解したゴーギャンは絵を描きに出掛ける時に、さあセザンヌに行こう、といったそうである。これはゴーギャンを理解するのに大切な言葉である。

私も戸外の制作に出掛ける時に、さあ赤い岩に行こう、といずれ言えるようになりたいものである。
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by papasanmazan | 2012-09-26 15:46 | 風景画 | Comments(0)

ギャルソン(第二段階)

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息子をモデルにしたこの肖像画、余り大きな崩れもなく順調に,静かに制作は進んでいる。全行程のさてどの位まで来ているのだろうか、おそらく半分以上はクリアー出来ているとは思う。

しかし難しいのはこの辺りからで,最初の出だしの軽やかさが絵の具のの重なりとともに段々と新鮮さを失って、実にいやな心理的な重さと重複してくるのである。最後の完成までこのまま一気にいけないものかしらと何度思ったことだろう。

しかし何事も辛抱して進めて行かなくては次の仕事の発展につながらないものである。よくモデルやモチーフを見て注意深く描く,という基本の繰り返しのみだと思う。しかしよくこのモデルを見ているとなんとなく自分の顔を見ているようで気持ちが悪い、おまけに首も太いし、鼻も立派に大きい。漱石の「我が輩は猫である」のなかに鼻子というイヤな女がでてくるが、おもわずその鼻子をおもいだしてしまった。

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by papasanmazan | 2012-09-25 17:45 | 人物画 | Comments(0)

バルーの坂道(完成)

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描き始めの頃はリズミカルに、それこそ色がわいてくるように快く進んでいた制作も,途中からどうにも対象にひきずられて、気持ちも筆も重くなって仕方がなかった。自然を目の前にしていると,ときとしてこのように余りにも相手にひっぱりまわされることがある。対象を写し過ぎるのである。筆が走るというのか、むやみにスピードが上がるときは要注意である。

この絵の場合、下方の坂道に自分のリズムが集中されてきた時になってようやく画面全体に生気がもどってきたようである。それでも部分,部分も難しく,また全体としての表現に高めていくのはやはりいつまでたっても至難の業である。

とても作品を創るなどとおこがましいことはいえない、絶えず素直な気持ちで勉強していくしかしかたがないのではないだろうか。やっとの思いでこのF15号のバルーの坂道も一段落である。

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by papasanmazan | 2012-09-23 15:35 | 風景画 | Comments(0)

ザクロ(第一段階)

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美大を出てから三,四年した頃だったろうか、ある夜,自宅の近くでたわわになっているザクロの赤い実がとても美しく見えたのである。就職もせずにちょっとしたバイトをしながら絵を描いていた。何か新しいものを探し求めていたそんな時に、このザクロをみつけたのである。

これを描こうと即,決めた。家にとび帰って,花切りばさみをやにわに手にして,ザクロの実のついた枝を失敬してきた,自分の部屋の天井からそれをぶらさげて、ザクロの大木に見立てて描き出したのである。

まだ外に出て、たとえば人前でイーゼルを立てて制作するなどとても出来なかった。要するにウブで純な時もあったのである。室内でそんな絵を描きながら,何となくこれでいけると思った。私はこれが自分の絵の出発点だと思っている,そういった意味でこのザクロというモチーフはとても大切なのである。

まだパリの近郊に住んでいる頃、ドーデのプチ、ショーズという小説を読んでいると,南仏のザクロの木のことが書いてあった。そのときはまだ南仏は夢物語であったが,今は目の前にある。こんどは自然の中で,本当に地面から生えて、群れをなして突っ立っているザクロの木や実が、そこにイーゼルを据えて描けるのである。

秋空の真っ青な中でF10号のキャンバスに描き始めている。最近になってみつけた自宅近くの赤い岩の絵ともども,赤の色がしばらくは続きそうである。そしておそらく自分にとってこの二つのテーマは自分の死まで続くような予感がする。

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by papasanmazan | 2012-09-22 18:31 | 風景画 | Comments(2)

ギャルソン(第一段階)

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アルルの女の人物画がようやく終わった頃,約一ヶ月の予定で、大阪にいる息子がマザンの家に帰ってきた。ちょっとした用事を片付けるためなのだが,ただ帰すのはもったいないと,これも家内同様モデルになってもらう事にした。以前にも二度テーマにしたことのあるギャルソンの姿である。そういえば一度目のモデルは息子の友人であった。結局その絵は時間足らずで未完成に終わったので,なんとか今回はものにしてみたいものである。

F6号のキャンバスを縦型に使って始めてみる。家のヴェランダに小さな丸いガーデンテーブルを置いて、コーヒーカップと、もう十年来吸わなくなったパイプを添え物にしている。衣装は白いカッターシャツに黄色が主体のハデなチョッキで,麦わらの帽子の出で立ちは前と変わらない。出来るだけラクなポーズをとらせているが,余り動かないので描きやすい。


この息子も今はどのような職種につくのかは分からないが,どうも私と同じような自由業むきのようである。全く私には理解出来ないが動画や漫画のような仕事を一人で開発しているようである。まだフランスの高校にかよっている頃からそういう美術系にめざめてきたようだが、なんといっても世代の違いは大きく,私の専門にしている油絵などは時代遅れのものかもしれない、ただし動画や漫画といっても古典的な純粋絵画を観る事の大切については教えた事がある。とくに上村松園の美人画の平面性。装飾性、抽象性などは、いまの息子のしている仕事を垣間見ていると,かなり理解しているのだなと思うし,影響されているものもあるのかなと思われるフシがある。

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by papasanmazan | 2012-09-21 18:44 | 人物画 | Comments(0)

アルルの女(完成)

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好きな人物画とはいえなかなか完成にはいたらないもので、この辺りでよしと思ってもまた不満が出てくる。出来るだけアッサリとした感じで仕上げていきたいのだが。ついついマチエールも重くなりがちである。とくにブラウスの白には最後までてこずった。

最後には家内の注文で髪型をアルル風にまで変えていったのである。こんな事なら最初からもう一枚やり直したほうがいいのではないかと思うときすらある。こんな時にこそじっくり落ち着いて画面を理解しながら進めなければならない。

人間とは不思議なものだと思う事がある、理解した事だけしか出来ないし,理解出来れば必ずそこの部分は解決出来てゆく。だからやみくもに描きなぐってもダメなものはダメである、何が不足しているのか,どうすればいいのか,いや何はともあれ自分としてはどうもってゆきたいのか、そのあたりから考えをまとめていかなければならないと思う。

ともあれたいへんに苦労したが実感のある制作で終始出来た作品になったようで、サインもおえたところである。

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by papasanmazan | 2012-09-19 21:57 | 人物画 | Comments(2)

楽器と人形(第一段階)

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静物画のモチーフに楽器を取り入れる事が多いのは,音楽を聞くのも好きなこともあって楽器にあこがれがあるのと、楽器のもつメカニックな構成を画面上で表現してみたいからである。以前にも全く同じ角度でクラリネットとトランペットを卓上において,他にオレンジなどをあしらって静物を描いた事がある。その作品はまだ手元に置いて壁に飾っているが、それをもっと発展させてみたいと日頃から思っていた。

二つの楽器はそのままにして,その他の構成物がなかなかこれといったものが思い浮かばなかったのだが、ある日突然人形はどうだろうかと心づいた。その人形というのも南仏ゆかりのサントン人形である。ここまでくるともう画面が目の前に見えてくるようである。或る日,家内と一緒に骨董市にでかけて、そのサントン人形の気に入ったものを買い込んできた。あとは湯のみや布などのありふれたもので構成してみてP12号のキャンバスに描き始めてみた。

サントン人形は南仏の素朴な土製の人形で,キリスト降誕の場面、いわゆるクレッシュをあらわした人形の群像がそもそものいわれなのだが、それぞれ独立した人形としても売られていて、それらをコレクションしていく楽しみもある。サントン人形を専門に扱った店もあって、お客さんに個々の人形の役割や性格を説明しているフランス人の店主の姿をよく見かけたりする。

今度のこの静物画では横ののびをしめす楽器二つと,小さいながら縦の性格をもつ人形との対比がうまくかみ合うかどうかが問題になってくるだろう。

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by papasanmazan | 2012-09-15 18:48 | 静物画 | Comments(0)

アルルの女(第三段階)


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アルルの女といってもモデルは家内で,日本人である。ちょっと看板にいつわりあり、といわれるかもしれないが,克明な肖像画を描くつもりでもなく、また似顔絵を描いているわけでもないので私としては何の抵抗もなくアルルの女の画題でいいと思っている。四年ほど前の一回目のアルルの女の制作はフランス人がモデルだったが、その時はポーズの時間もきっちり計って描いていたが,家内がモデルだとそのようなこともなく自由に描いている。

かなり集中的に描き込んできて,全体のヴァルールも高まってきた。つまり色価が高まる,使っている絵の具の色が画面のなかでものの色になり、それらの個々の色が互いに響きあうようになって画面全体がいきいきとしてくるわけである。そうすると眼に見えているキャンバスの四辺がクッキリと限定された感じがして、いわゆる絵が四角く感じられるのである,空間が決定されてくると言ってもよく,画面が立ってくると言った実感にもつながってくる。

この絵の場合,制作の進行の一つの判断は白いブラウスにある。その白さ充分に出しきった時に完成したといえるだろう。その白さを出そうととして油絵の具の白を多用しても、またそこだけを妙に白の厚を塗りをしても無駄ある。絵の具のナマの色がそのまま画面のものの色、ここではブラウスの白になるわけではない。画面全体の色調の中ではじめて白と保証されてくるのである。絵の具の色が絵の中で、彩られた色、つまり色彩となるのである。ヴァルールが高まるとはそういった充実感だと思って間違いない。

いずれにしても完成までにはまだまだヴァルールをあげていかなければならない、。

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by papasanmazan | 2012-09-14 15:50 | 人物画 | Comments(5)

サン、ピエール、ヴァッソル遠望(完成)

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オリーブの林を通して見るサン,ピエール、ヴァッソルの村は小さくて静かなたたずまいである。ひっそりとした中にも人々の生活が通っているようで,何か失われた大切なものを思い出したような気分になる。絵にする時にはそうした感情は抜きにするが、もし思わぬところでそうしたものが表れていたとすれば,それはそれでかまわないだろう

オリーブといえばオリーブグリーンという絵の具もあるくらいで、いかにも渋い色合いだが,よく見ると緑色を主体に,茶色やうすい紫色などもふくまれている。そしてそれにオリーブの葉っぱ独特の葉の裏の輝いたような白さである。

ただこの葉の裏の白を強くしすぎると、まるでガラス質のような反射に陥ってしまうので要注意である。私はそういったオリーブの林らしさは二の次にして,遠景を含めた緑の諧調というもので全体をとらえてみたかった。

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by papasanmazan | 2012-09-10 19:03 | 風景画 | Comments(0)

夏の丘(完成)

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七月に末頃からサムホールの小さなキャンバスに、夏のギラギラした光に照らし出された丘の風景を描いていた。奥に見えるヴァントゥー山の外れの肌がまるでオレンジ色のようだった。丘の緑との対比がいかにも鮮やかな印象である。

今年のはじめ,まだ冬の景色と言ってもいいような枯れた畑も作品に仕上げたが、これもサムホールの大きさであった。これら二枚の絵、夏の丘と冬の畑はちょうど隣り合わせにおいてみるといい対になるようである。今年の秋の横浜での個展には並べて飾ってみたいものである。

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by papasanmazan | 2012-09-09 18:59 | 小さな絵 | Comments(4)