<   2012年 04月 ( 17 )   > この月の画像一覧

アイリスとリラ

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出歩くあちらこちらでアイリスが咲いている。白や紫、うすいブルーなどの色が眼を楽しませてくれる。家々の庭や道ばたなどのところ狭しと並んでいる。そして眼をあげればリラの花も満開である。こちらはピンクにちかい薄紫や白い花。この二つの花を花瓶に差して静物画を描いている最中である。

とくに花瓶に挿した花はしおれやすいので気忙しくてかなわない。といいながらヒマワリやチューリップなど、この頃は少しずつものにできるようになってきた。F12号のキャンバスに描いているが、制作が進むにつれなんだか非常に自分にとって重要なものになってきた。いわゆる花を主題にした卓上の静物にはちがいないが、その主題を越えたものになるかもしれないという予感がある。

とにもかくにももう少し進めて、自分自身考えを整理しなければ何ともいえないところである。画面の平面性とか、いつもの構成から一つ違ったところに進むかもしれないのである。

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by papasanmazan | 2012-04-28 12:01 | 静物画 | Comments(0)

ポプラの道(第一段階)

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先日もいったようにマザンの下水工事のおかげであちこちに新しい風景が見つかってくる。これもその一つで、高い立派なポプラが並んだ農道がマザンの村の中心へと続いている。それを上から見おろすと、畑や木々を画していく道のつながりの白っぽい色がなかなかに美しい。風景全体も牧歌的である。

牧歌的とか、まるで妖精の出てきそうな森とか、また嵐の吹き荒れそうな風景、そういったような一種ロマンチックなもの、標題的な絵画というものを私は余り好まない。何か感情に溺れてしまいそうな気がするからである。しかしそういう感情がセンチメンタルにながれてしまわない限りにおいては自分でもこういう絵も描いてみたくなる。

多分この辺りの場所はまだまだ描いてみたいような風景が見つかりそうだが、てはじめにF3号のキャンバスに始めてみた。ポプラの色は日に日に濃くなるようである。制作のスピードも負けないようにしなければならない。

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by papasanmazan | 2012-04-24 22:31 | 風景画 | Comments(0)

コクリコ

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今年は遠出しなくても家の前の畑にコクリコ(ひなげし)の花が咲き並んで、一面赤色に染まっている。ここに住みだして初めてのことである。こんな楽な戸外でのパステルも珍しい。家の庭のバラやアイリスはいつでも手軽に用意できるのだが、コクリコは毎年近くではあるが花のある場所を探して描きに出かけていた。

同じモチーフでもやはり年々描く感じは変わってくる。今年のものは相当軽い表現になってきたようである。これは特にコクリコでは以前から望んでいたことで、このようなコクリコの花畑などはできるだけ軽やかに、あたかも風に吹かれてそよいでいるような様子をだしてみたいと思っていた。ところが未熟であればあるほど描き込みを増やさなければ画面がもたない、だんだんと重たいものになってくる、それのぎりぎりのところで完成ということになっていた。

やはり経験の積み重ねもあるのだろうか、最初に意図したことをそのまま直接的に推し薦めることが可能になってきた。特に水彩やパステルはその手順、手際も大切である。それらをふまえたものが今年のコクリコに表れてきたようである。

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by papasanmazan | 2012-04-23 22:44 | パステル | Comments(0)

オーゾンのほとり(第一段階)

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一昨年の夏にこのオーゾンのほとりを描いたのだが、描いている途中から堂々巡りをしたような状態で、ようやくの思いで仕上げるには仕上げたのだがその時からもう一度制作するつもりにしていた。かなり重い画面になってしまった反省から、今度はまだプラタナスが若葉の頃をみはからって、色彩の軽さを使ってみようとの意図をたてていた。

今回はF8号のキャンバスに描いている。うっそうと繁っていた前回とは違って全体が淡い調子ですすめられそうな現場であるが、色を見分けていくことがなかなかに難しい。特に木立の下草の色彩をどうやって全体の中の調子として組み込んでいくかが問題になってくる。

オーゾンという小さな川の流れだが、こういう蛇行したS字型の構図は案外簡単なもので、かえって奥行きがつきやすいところに画面の弱点が表れてくるものである。つまり奥行きだけにとらわれていると知らず知らずのうちに絵が完成したように錯覚してしまうのである。そういうことでは駄目なので、あくまで水の平面化、画面性ということをおしすすめていかなければいけない。また水に映った木の陰や、空の反映などだけのいかにも絵になりそうな要素も排していかなければいけない、卑俗なものは不要だと思う。しょっちゅう自分にいい聞かせている、絵を描いてはいけないのである、と。

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by papasanmazan | 2012-04-21 17:58 | 風景画 | Comments(2)

笠松の見える風景(第一段階)

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今マザンはここ二十年来の公約、街全体の完全下水道工事にかかりだしているので、あちこちで道が寸断されている。ある地点までいくとすぐに回り道の標識が出てきて、なかなか目的地に行くまでが大変である。


しかしこの工事を皆が望んでいたので、車の通行もお互いに譲り合いながらなんとか日常の生活を続けている状態である。戸外での制作に出かけるのも一苦労することがあるが、また逆に利点も折々にある。というのは、いつもと違った道を探さなければならないので新しい風景に出会えることにもなる。

ほんのちょっとした視点の違いで今まで見慣れていたものも急に目新しいものになることがあるように、風景も少しの角度の違いや、距離感の差などで妙にいきいきとしたものになる。先日も通行止めになった道を迂回してマザンの中心部に近づくと大きな笠松が眼についた。気がついてみるとその笠松は反対側からしょっちゅう眺めていたものであった。

その笠松や手前の畑、畑の中のキャバンヌなどの背後にはやはりヴァントゥー山が眺められる。一つまた描ける場所が見つかった、F6号に始めてみた

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by papasanmazan | 2012-04-21 00:21 | 風景画 | Comments(0)

いちご

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私の住んでいるマザンのとなりの大きな町がカルパントラで、毎週金曜日の朝市と、フランスでも有数のイチゴの産地として有名である。もう少しすればこのカルパントラ産のイチゴも市場に出回るだろうが、今はスペイン産のものが並んでいる。

スペインのほうがフランスよりも温度が高く、そのぶん野菜や果物の収穫もはやいのだろうか、いつもスペイン産がいち早く出回ってそのあとにフランス産になる。しかしこのイチゴを比較するとスペインのは色は真っ赤で、形もしっかりしてきれいなのだが、食べると酢っぱくてかなわない。

これに比べるとフランス産のものは味が非常に柔らかく、甘くて美味である。ただし値段はフランス産のほうが高い、だからフランス産のものが出回る頃にはスペイン産のものを市場から閉め出してしまうのである。

絵のモチーフはだんぜんスペイン産である。イチゴの赤はまた格別に美しい。ルノアールは特別にいい顔料のガランスの赤を注文したそうだが、その赤を使ったイチゴの静物は忘れられない。

10×10㎝の小さな正方形のキャンバスに描いてみた。 

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by papasanmazan | 2012-04-19 22:11 | 小さな絵 | Comments(2)

ロック アルリック(第二段階)

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ロック アルリックを主題に今までに何枚か描いてきたが,いつも思うのはその背後にひかえているダンテル ドゥ モンミライユの山のことである。その向かって左端にある尖った山の稜線や姿全体をみていると、いつも鉄斎の蓬莱山を思い出すのである。

今までいろいろな絵をたくさん観てきたが,数から言っても鉄斎が一番多いし,絵画を理解出来たのも鉄斎のおかげだと思っている。とにかく美術館などでいい絵を観る時は、うんと離れたところから観ることが必要である。勿論近くでも観るのだが、それだけでなく作品から距離をとって全体像もよく見ることである。

ご存知のように鉄斎は89才まで描き続けて一生を終えた大画家だが、とくに80才を超えた頃からの晩期のものがいいとされる。代表的な紙本の水墨や、淡彩をほどこしたもの、また大和絵を自家籠中にしたような彩色のものなど、とにかく作品数も多いのだが、そのなかでもいわゆる山水画を先ほど言ったように離れて観ていると、その絵の中で流れている水が晩年のものになるとまさしくゴーッと音をたててくるのである。

木こりであろうか、三人ばかり滝のそばの岩陰で、仕事を終えて、酒でも飲んで気持ち良さそうに寝転んでいる。暑い夏の頃だろうか、如何にも涼しげで平和そのものである。そしてその滝の水がゴーッと音を立てて水しぶきをあげているようだ。人と自然との全ったき象徴がここにある。

いずれロック アルリックの絵もそんなユートピアのような世界に一歩でも近づきたいものである。

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by papasanmazan | 2012-04-18 20:44 | 風景画 | Comments(0)

ヴナスク遠望(完成)

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季節の中でも春は変化がはやいので戸外での制作も何となくあわただしい感じがする。ヴナスクのサクランボの満開だった花も散ってこれからは実がだんだん赤くなってくるだろう。食卓にはホワイトアスパラが出回りだして楽しみがまたやってきた。

P6号のヴナスクを遠望したこの絵もようやく完成した。それほど大きくはないのだがかなりの時間がかかった作品である。サクランボの移り変わりを横目にしながらの制作であった。手前の大きな糸杉二本の扱いが問題であった。

主役はこの糸杉なのか,遠くに見えるヴナスクの村なのか,一応タイトルはヴナスク遠望にしたのだが今回は村のたたずまいは軽い描写でもっていって,糸杉から奥に入った感じをだしてみたかった、その考えに絶えず戻って制作を進めてみた。

なかなか思った通りにはいかないが軌道修正しながらでも続けていくべきものである。

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by papasanmazan | 2012-04-17 19:13 | 風景画 | Comments(2)

岩と家(完成)

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先のF12号の岩と松とキャバンヌと同様にこの絵もこれくらいでよさそうである。思えばこの二枚の作品はほとんど同時進行で,お互いに助けあったような制作だった。アトリエでも二枚並べて比較しながら検討してみていた。

出来上がった作品の結果がいいのに越したことはないが,途中の段階での思索、考案,そういったものが非常に大事だと思う。画家は手と眼を使って仕事をしていくが,自分の中にたえず一人の批評家をも持ち合わせていかなければならない。誰しも作品の完成を願うのは当たり前だろうが,ただ仕上がりだけを気にしたような中身のない作品などは考えものである。

若い頃から作品を検討する一つの概念があった。絵というものは一つの基底面から奥に入っていなければならない、ということである。すなわちこれが画面という考え方である。タブローという考え方である。これは決して近代絵画以降の考えではない,それ以前の絵画にも意識のある、なしに関わらず一級の作品を一級たらしめているよりどころである。ただ近代以降はその辺りが非常に意識的になったのである。それがボードレールの仕事であった。

最近のこの二枚の作品を目の前にしながら盛んにやはり今までの思索が交錯するのを感じたのである、基底面から奥に入っていなければならない、と。

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by papasanmazan | 2012-04-15 15:30 | 風景画 | Comments(2)

岩と松とキャバンヌ(完成)

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一応この辺りで完成ということになるだろう。この前から何度もこれで良い,描き終えた,と思っては再度気になって、また加筆する,といった具合だった。そういえば今までにスムースに描き始めから完成まで流れどうりリニいったことなどは一度としてなかった。

たとえば制作の時間がかかりすぎて次の年までその作品を持ち越すこともある。そのあげく次の年には自分の中に進歩したのか,変化したのか,何かしら前のものを続けていけないようなものが持ち上がってきて、結局その作品は没になるようなことが多かった。

何事も経験ではあろうがそれほど楽しい思い出ばかりでもない。このF12号の岩と松とキャバンヌを描いた作品でも半年先、一年先にはどんな思いがでてくるのか今の私には分からない。

いちおうの存在感は出たようなところで完成したといえそうである。

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by papasanmazan | 2012-04-14 18:44 | 風景画 | Comments(2)