![]() もう四年ほど前になるだろうか、人けのない冬のルシオンにかよってF30号のこの絵を描き込んでいた。赤土の村で有名なルシオンであるが、最近はなかなか観光客も多くなり、冬場の人の少ないときを選んで制作したものである。 ルシオンを初めてみたときの印象は強烈だった。土の赤さと、松の緑の対比、即座に日本の宗達の屏風絵を思い浮かべた。松島図などである。四年前のことであるからまさか東北地震のことなどは夢にも思わず、かつて訪れたことのある松島の実景などとルシオンを比べたりしていたのである。 とにかく赤と緑をふんだんに使かってみたかった。何点か同時に制作して、この30号の絵も一応完成させて寝室に飾っていたのだがやはり不満がでてきた。かなりの期間考えあぐねていたのだが、仮に四年間としてその間に少しは画技も上がったのだろう、特に赤色のヴァルールがもっと上がると確信出来たので再加筆してみた。 結果的に言ってレアリティーが大分でてきたように思われる。以前の画面よりも人が這い登っていけそうな勾配がついたようである。自分としては満足している。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-30 22:49
| 風景画
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![]() 進んだり後退したり悪戦苦闘中、ようやく少し光が見えてきたようなところで本日はおしまいにしてきた。ハンク、ウィリアムスのアイ、ソー、ザ、ライトのように光は点滅するのだろうか。画面の部分、部分はそれなりにつかめていくのだが、全容が感じられなくて元に戻ってばかりいる。 おそらく岩というものに振り回されているのだと思う。まわりのものと岩との接点を決めながら色価を上げていこうとするのだが、ついつい細部にこだわりすぎて全体にまでヴァルールがいき及ばないのである。 もっと単純化が必要だ、と気がついたところでようやく制作に光が見えてきた。要するにほとんど家と岩だけの画面だと思い切って進めていけばいいのであろう。画面が切り立って、あるいは美しさなどはなくなるのかもしれない、しかし一つの平面にはなっていくだろう。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-29 18:52
| 風景画
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![]() ほぼ完成、あともう少しのツメがほしい。もう少しといいながら案外時間のかかることもある。いつもは出来るだけ造形感や構成を主に追求したいと思っているのだが、この作品はどうも主題も春の到来からくるのか、音楽の楽しさのようなものに流れがちである。 よく耳を澄ますと本当に鳥の声が多いこの地方である。家のヴェランダでコーヒーを飲みながらこの鳥の声に聞き入っているのだが、近頃は制作をするときにも音楽をならさなくなった。それよりも自然の声をそのまま耳にするほうが好ましくなってきた。 あれほど好きだったクラシック音楽も制作時に聞くことはない。別に音楽がどうのこうのというのではなく、聞くのはやはり好きで沢山聞くのだが制作とは切りはなれてしまった。その代わりに自分の絵画の中にもっと音楽の要素が入らないものだろうか。 どうもいつもガチンコの絵ばかりでいられなくなってきたのかもしれない。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-29 03:00
| 風景画
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![]() 制作としては進んでいるはずなのだが画面がいっこうにまとまってこないので大変に苦労しながらの仕事である。こういう経験は今までにもある。非常に気持ちは高ぶって、画面に集中できているのだが、それとは裏腹に絵として立ち上がってこない感じがする。 あるいは気持ちのほうが先走りしすぎているのかもしれないし、あるいは思い入れが強すぎるともいえそうである。自分自身としては決して悪くないと思う途中の段階ではあるが、さて仕上がっていくとしてどういったものになるのやら見当がつかない。 タッチの荒さとか、画面の密度はなんとかとりまとめていけるだろうが、いわゆる生動感をどう保っていけるのか、その辺りの兼ね合いがこれからの一つの課題になるだろう。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-28 00:26
| 風景画
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![]() もうこれくらいでいだろうと思って現場からアトリエに持ち帰ってもどうしても不満足で、そんな状態でまた現場での制作に戻って加筆することを三度繰り返したはずである。たいてい自分でもいやになることすらあるのだが、これも仕方なかろう、まだまだ腕が悪いのである。 ねばるのもいいが、ねばって増々悪くなるときもある。若い時にはその果てに作品を途中で放棄することの連続であった。今はなんとかもちこたえられるようになってきた。あるいってんが上手くいくとそこを全体に及ぼしていきながら作品を持ち上げていくことも必要である。 理想からいえば最初の描き始めから最後の筆を置くときまで一気にかけ上がるのがいいのだろうがなかなかそうはいかないものである。ともあれこのF15号の作品はこれくらいにしておいて良さそうだ。もしまだ何か不満があればキャンバスを変えて新しい作品を考えなければならないだろう。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-25 01:10
| 風景画
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![]() 昨年のちょうどサクランボの実が真っ赤になっていた頃、ヴナスクの村 を遠望できる良い場所を探し当ててF4号の油彩を描いたことがある。それはそれで完成したのだがなにか平板な感じがしてもの足らな かった。 今年もその辺りを探してみて、もっとピッタリくる場所が見つかった。 画面右端に空の空間を与えながら崖が突き出している風景である。その崖を支えている岩盤が眼をむき出したように現れている。村の姿は今までにも描いているので慣れてはきているが、全容を遠望するのは初めてである。 少し横長、P6号(40,9×27,3)のキャンバスを 選んでみた。手前に大きな糸杉がつっ立っているが、これも大いに結構 である、垂直性にもっていける。今回は村の建物などはあくまでも添え もの程度に扱って、崖の突き出た姿を取り込んだ全容を描くということが 主眼である。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-22 16:13
| 風景画
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![]() アーモンドの花に続いてサクランボの花も咲き出した。ゴッホが駆け抜けるようにパリを離れてアルルにやってきたのが1888年の2月、最初は雪にみまわれた。それが3月になって花が咲きだすと急に果樹園の作品が増えてくる。 パリ時代に獲得した色彩がアルルの果樹園を手始めに、南仏の輝く光のなかで炸裂し始める。自分の身を賭しての色彩の昇華である。画家ゴッホが歴史に登場してくる、その大きな要因がここにある。そんなゴッホが間近に観たものが現に目の前にある。 今描いている丘の周りも花盛りになってきた。なんと平和な風景だろう。一種のユートピア、桃源郷ではあるまいか、などと一人興にいっていると急にトゥールーズで連続射殺事件が起きて、スクーターに乗った犯人はまだ捕まっていないとの報道がトップニュースである。これは興に乗っているのではなく狂の世界で、恐の世界でもある。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-21 16:46
| 風景画
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![]() 日本のテレビの大河番組や探訪シリーズなどでいわゆる歴史物がもてはやされて既に長い時がたっている。歴史の実像や虚像を取り混ぜて、観ている者をひとかどの歴史学者にさせてくれるのだろうか、根強い流行である。 フランスでもドラマ形式の自国の歴史物をよくやっている。革命期のものやルイ14世を中心とした王朝物語、それとはまた別にデュマの小説を元にしたようなフィクション。そうかというと第二次大戦のドキュメントや近日ではアルジェリア戦争の摘発ものなど様々であるが、またかと思うほどの放映量を考えるとこれも一種の歴史物現象なのかもしれない。 なにもカタイものだけではあるまい、かつて大阪の漫才の骨董品、捨丸、春代も舞台で歴史物を話していた。【蚊帳のなかから足投げ出して 楠木正成これにあり 足、蚊が攻めるじゃないかいな】 志ん生も落語のマクラで【頼朝公おんとし五歳の時のシャレコウベ】などとふっていた。そのうちに平清盛と聖徳太子が同じ幼稚園に通っていた、というような説もチラホラするかもしれない。 現在描いている崩れ果てたこの石造りの家にもかっては人が住み、生活を営んでいた。名前もいわれも残らないものだろうが、私には一つの歴史がここにこそ感じられる。人は歴史の事件ということを取り上げるが、ものをいわない事実の中に自分を投影していくのも歴史なのではあるまいか。 そういうふうに考えだすとこのキャバンヌを描く筆もなぜか走り出してきた。岩も松もキャバンヌも、私までもが皆同等に感じられてくるのである。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-20 11:55
| 風景画
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![]() 岩の表現が難しいというのが分かってきた。面取りをしていくのはさほどでもないし、色彩におきかえていくのもまずは無難に進めていけるだろうが、そういった分析的な捉え方ではなく、本質的な存在にまで押し詰めていきたいのである。 美術の二大要素は形と色である、そしてこの二つをああでもない、こうでもないと組み合わせながら一枚の絵画を仕上げていくのが画家の仕事であるが、分析的に理解した物と物の関係を総合的に一枚の平面の中に組み立てていく。 そこまではどの画家も一様に取り組んでいく仕事の仕組みなのであるが、さてその先きはとなると皆それぞれの欲求が違ってくる。一般にはそれを個性とよんでおいていいのだろう。同じ主題、同じモチーフを使っても種々、様々な絵が出来てくる。 同じ岩を描いてもそうだろうと思う。私に一番身近に思い出されるのはなんといってもオルセー美術館のクールベの絵である。エトルタの海岸だけではなく、森の中の鹿を描いた作品のちょっとした小石にいたるまでのレアリティーにひかれるのである。 クールベのナイフを使ったような荒々しい表現の物質感などはまさしく西洋絵画だと納得させられる。時間と空間をもとにした存在感である。しかし私には近年、どうもこの存在感から離れていこうという欲求が強く働くのである。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-20 01:51
| 風景画
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![]() 真冬に始めたこの小さなサムホールの絵も相変わらずの時間の掛かりようで、周りが早春になってようやく完成した。下手をすると制作を来年まで持ち越すところであった。もう少し楽に仕事がはかどらないものかと常に思うのだが、一つには生来の不器用さもあるのだろう。 親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている、というのは坊ちゃんの出だしだが、無鉄砲を不器用に差し替えるとそのまま私に当てはまる。ただその不器用なことについてはもういいかげんあきらめもついたのでグチもいわずに制作するようになってきた。 サムホールくらいの大きさの出来上がりとしてはこの位で良いと思う。ただ構図というようなものではなく、物の選択が甘いと反省する。如何にも絵になりすぎている嫌いがある。よく日本の農家などを如何にも写実的にあつかって郷愁を誘うような絵があるが、ロマンティシズムとセンチメンタリズムとのはき違えだと思う。そして画面はあくまでカラッとしているのが私の理想である。 ▲
by papasanmazan
| 2012-03-17 19:44
| 小さな絵
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