<   2012年 02月 ( 16 )   > この月の画像一覧

大きな白樺(第二段階)

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画面に大きな白樺が立っている。手前にはブドウ畑が広がり,奥には農家や畑がみえている。と、さしずめ小説の出だしならこう書き始めたいところである。鴎外の小説「桟橋」の出だしは,桟橋が長い,長い、である。ここでは,南仏の空は青い,青い,と続けたい。

まさしく美術も文学も作り上げていくことに変わりはない。作者の意識や理想、思想や経験などがからまってひとつのものが出来上がっていく。静物画、風景、人物、抽象、具象,どう転んでいっても裏をかえせばすべて自画像のようなものである。

さてこの大きな白樺を小説風に続けていくなら、画面は広い,広い。画面は四角い,四角い。画面は平らだ,平らだ.どれが適語だろうか。

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by papasanmazan | 2012-02-29 17:15 | 風景画 | Comments(0)

暮色ヴァントゥー(完成)

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毎年恒例になって描いている冬の夕暮れのヴァントゥー山であるが,とにかく難しい。あの暮れなずむ赤紫の山肌は誰の眼をも惹くものだが、いざ絵画にしようとすると本当に難しい。。出来るだけ現象面にとらわれまいとはするのだがあの陽の沈む一瞬の美しさにはなかなか勝てるものではない。

というわけで今までにももう何枚も試みてきた暮色ヴァントゥーだが,今年のこのF12号の油彩も(60,6×50,0㎝)どうやらこの辺りで筆のおきどころのようである。現在の私としては制作に不満はない。現象面に引っ張られすぎることも少なかったように思う。

これから先どれくらいの表現にまでこういった画面を高めていけるのかは全く未知のことではあるが,常に美しいものへのあこがれはあるのだから自分の制作にもそういった反映するものが欲しいと願っている。厳しさのなかにも和らかさを、堅固な構成の中にもゆとりを。

もうすぐ春である,来年の冬にはまた夕暮れのヴァントゥー山にモデルになってもらおう。その時までには少しは進歩もしているだろう。
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by papasanmazan | 2012-02-29 01:08 | 風景画 | Comments(2)

農家とヴァントゥー山(第二段階)

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サムホールの小さな絵ではあるが道具立ての多い構成である。家あり、山あり、木あり、畑ありなどで少々うるさくもある。しかし小さな画面にこまごまとものを押し込んでいくのも一興で,割に描きやすくもある。それほど拡がりを気にしなくてもすむ。

こういう道具立ての多い画面は色彩の調和をはかっていくのが一番仕事の目安になるように思われる。余り小さな形にはこだわらないほうがコセコセしなくてよさそうである。ただしどのようなおおきさのキャンバスであっても制作中はよく距離をとって,少し離れて画面を見直すことが大切である。

今この絵を描いている場所は私の家からはマザンの中心を通ってちょうど反対側になる。ところが現在マザンのあちらこちらで下水工事のために道が閉鎖されている。長年いわれていた完全下水のための工事でここしばらくは車の通行が困難である。

森鴎外の小説に普請中というのがある。ある高等外務官が外国で知り合った歌手と日本の高級レストランで再開するのだが、そのレストランは普請中なのである、そして話のオチには,日本も普請中ということになる、

いまマザンは普請中、ひょっとすると私の絵も普請中かもしれない。

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by papasanmazan | 2012-02-27 21:10 | 小さな絵 | Comments(2)

冬の木立ち(完成)

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F4号の大きさのわりには制作の時間もかなりかかったこの絵であるがこれもようやく仕上がった。画面の密度としてはこれでよいと思う。以前から描いてみたかった風景だけに現在は満足している。もう少し大きな画面、たとえば20号位だともっとはっきりした構成になるのだろうが。

木立ちが並列しているところへ奥行きや空間を与えていかねばこういった絵は何をしているのか分からなくなってしまう。その場合に添景としての家や,遠景などの扱いが大切になってくる。これらはあくまで脇役なのだからアッサリとおさめておきたい。

なかなかさり気なく、軽く表現するというのは難しいものである。主役、脇役をわきまえずにべた一面描き込んで,まるで窒息しそうな画面になるのはいただけない。どこもかしこも上手に描けていると思っているのは作者一人で,観るものはアップ、アップしているかもしれないのだ。

この辺りはまだまだ制作意欲のそそられる所ばかりである。
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by papasanmazan | 2012-02-25 20:05 | 風景画 | Comments(2)

丘の風景(完成)

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どうにか完成したようでホットしたところである。最初にこの実景を見たときの感じは非常に緊張したようなものだったが、制作を続行していてもほぼその感じを持続出来た。その結果として一枚の絵としては大幅にゆらぐようなこともなかった。

ある程度は途中の段階でももちこたえられるようになったと思う。どうしても制作を進めていく上で画面が崩れる場合がでてくる,それは形や色の展開していく過程では当然であるしまた必要でもある。それを元に戻したり、進めたりしていく訳だが,絶えず自分で判断しながら筆を加えていかねばならない。

そのときの意識をどう筆でつないでいくかということが問題になってくる。それをもって制作の進行といっていいのだろう。要するに何かをもちこたえながら進めていく,それがその人にとっての一つのペースになっていく。

F8号の風景画一枚の完成である。

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by papasanmazan | 2012-02-24 19:47 | 風景画 | Comments(4)

大きな白樺

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大きな白樺の木が立っている。手前にはブドウ畑がひろがリ、そのむこうには農家や丘が見えている。よく車で通っているところなのでこの白樺は気になっていた。今年はこの辺りで制作することが多い。もう冬は過ぎよう,春が来るという時期なので,この白樺は来年まわしにしようかとも思ったのだが何とも魅力がでてきた。

F15号(65.1×53.0㎝)のキャンバスに始めてみた。ちょうど長かった寒波も去ったところなので戸外でも落ち着いて制作出来るようになってきた。一度寒さが遠のいて晴れてくると冬でも南仏の日射しはかなりのものである。

空も青い,青い。そのなかでオレンジ色の葉っぱをつけた白樺が一段と大きく見えている。この白樺やプラタナスの幹は白色といってもそれほど単純で一様なものではない。こういう色をあつかう時には周りの色との比較をよくしないと失敗する。

たとえば水を描くときもそうである。水自体には色はなく,他の色の反映で水の存在が分かってくるのだからこれも周りとの比較が必要である。強いていえば色と色との関係をみきわめ、またその色というものの中には面積が含まれるのであるから,一枚の絵を描くのにも分析力と総合力の複雑な意識のからみあいが展開されるのである。

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by papasanmazan | 2012-02-23 09:09 | 風景画 | Comments(2)

マザンとヴァントゥー(第一段階)

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第一段階といってもかなり進んだ制作状態である。さて八割かたは完成に近づいているだろうか。ひょっとするともうあと一筆,二筆で出来上がるのかもしれない。と思いきや無惨な描き込み過多で、単に鈍さだけの目立つ画面になる場合もある。

マザンに住んでもう九年近くになる。少しづつ新しい家も増えているが、このF3号(27、3×22、0㎝)の絵を描いている場所から見るマザンの村やヴァントゥー山の全景はほとんど変わらない。四季を通じて美しい表情は有り難い。出来ればこのままでいてほしいものである。

こういったパノラミックな風景はどこに焦点を当てるかが難しい。またひとつだけをクローズアップしすぎるわけにもいかない。とくにこれはF3号という、いわば小さな絵なので,マザンの教会をある程度描き込むくらいの説明にしておいて、あとは山の容積と森の塊などで全体を包む,という感じで制作を続けている。

ようやく寒波も去ったようで,遅れている制作を取り戻さなければならない。

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by papasanmazan | 2012-02-22 21:24 | 風景画 | Comments(2)

ふくれっつらとアマリリス(第一段階)

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花は好きだがあまり絵のモチーフとして花は使わない。その散り際を観るのはなんだか寂しいし,制作が長くかかってしまうので,どうも花をモチーフにすると気ぜわしくって落ち着かない。それでも最近は続けて花を扱った静物画を描いている。

三週間ほど前に買った鉢植えのアマリリスが大きな花をつけた。これと以前からごひいきのカルポー作のふくれっつらの小さな彫刻を卓上においてF6号の縦型(31.8×41.0㎝)に描いてみた。元来立て型は安定が悪く,物もおさめにくいものだが花の高さの関係でこうなった。

カルポーの彫刻は好きである。たとえばパリのオルセー美術館に行くと,その後輩にあたるロダンよりもカルポーの,ある意味では軽快さといったような動きに惹かれることがある。ロダン美術館で重厚な作品群に取囲まれた後のカルポーの作品のさわやかさというか,一種消化剤のような感じがするのである。

そのカルポーの造った少年の胸像である。なぜかスネてふくれっつらをしている。あまり植木鉢の面積が多すぎるので,籠にポッソリ植木鉢を隠し込んだ。

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by papasanmazan | 2012-02-19 21:11 | 静物画 | Comments(2)

丘の風景(第三段階)

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ようやくひどかった寒さも少しやわらぎ、懸念していたこの丘の風景画を描きに出かけられるようになった。F8号の油彩である。丘は葉のおちたポプラや白樺などで覆われ,その隙間からあちこちに石造りの家が見えている。  

冬の寂しい静かな風景である。しかし最初にこの実景に出会った時から,全体としてのダイナミックな量感に惹かれたのである。まるで左上から右下にかけて転がり落ちるような塊が表わせないものだろうか,と狙いを定めた。

画面を作り上げていく上での一つの狙いである。出発点のイデーと言っていいと思う。それを油絵具という材料を使いながら追求していくわけである。しかしそれほど一直線にイデーを追っていくことがなかなか出来ない。

時間の経過や,自分の中にある弱さなどで最後までそのイデーをひっぱっていくのは至難のわざである。現にこの絵も少し表面の複雑さに惑わされて,画面全体が弱くて説明過多になってきてしまっている。確かに進んでいる,と現場で思えるような時、これがなかなかのクセモノなのである。

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by papasanmazan | 2012-02-17 20:03 | 風景画 | Comments(3)

花とキリスト(第三段階)

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アトリエの片隅に観葉植物や,外の寒さから守るために幾鉢かの花を置いている。日当りがいいので冬とはいえ時折水もやったりする。そんな中にキリストの像を置いて,花の色や葉っぱの緑をアクセントにしてF10号(53、0×45、5㎝)のキャンバスに描いている。

人工的な設定の静物画ではあるが,それはそれでいいと思う。ただ物の置き方や取り合わせが如何にも人工的であっても画面が作り物になってはいけないと思う。絵画そのものの考え方が自然とは違った別の世界なのだから、人間の考えがそこには当然盛込んでこられる訳である。

しかし観る人の眼に対してはナチュレルな世界であっていきたいと思う。ウソはウソの世界なのだが,そのウソ以上の世界を表現出来ればと思うのである。

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by papasanmazan | 2012-02-15 23:20 | 静物画 | Comments(2)