カテゴリ:風景画( 353 )

プロヴァンスの村




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建物と少しの松などを添えたプロヴァンスの村、キャロンの街道のあたりを描いてみた。M10号の細長い画面である。建物を一つ一つ捉えるのではなく、自然の中の流れの中の調和として考えながら、対比も与えて描きあげたものである。

色彩としてはまだ夏の強烈なものはないが、やはり澄んで純度の高いものが感じられる風景である。私としてはそこに何とか透明感を与えてみたいのである。制作としても全体をつかみながら互いの関係を徐々に明確にしていきたい。一気に描き上げるような情熱的なものはないが、じっくりと構成された隠れた強さが出ればと思っている。

by papasanmazan | 2019-03-25 01:53 | 風景画 | Comments(0)

キャロンの家と松





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今年の一つの目標はプロヴァンスの村の建物や集落を描くことである。この地方に住んでもう15年以上になったのだが、ヴァントゥー山をはじめとしてプロヴァンスの風景を随分油彩や水彩で描いてきたが、いわゆる石造りの家を主題としたものは少なかった。


以前定期的に個展をしていたデパートの画廊から、もっとプロヴァンスらしい風景、村の中の花を飾った家々や、雰囲気のある店などの情景などの絵を描いたほうがいいといわれたことがある。パリで言ったらセーヌの川岸や凱旋門をあしらった絵、フーケッツの赤いサロンを描け、といったところだろうか。どうも私には気乗りもしないし興味のない話だった。


しかしプロヴァンスの家並みや村の集落を造形的に扱いたいとは前々から思っていた。素朴で飾りのない構造的に強いものを求めていたのである。まずはマザンから近いキャロンの家と松を並べて描いてみた、P8号のキャンバスである。

by papasanmazan | 2019-03-21 20:12 | 風景画 | Comments(0)

バルーの松と家





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以前描いてみたもので少し気になるもの、もっと何らかの発展になるかもしれないと思われるもの、そういった画題をよく考えながら突き詰めていくのも大切なことかもしれない。新しい主題だけを求めるのではなく、常に自分と向き合っていくということを心がければ、古いとか新しいとかいうことは問題にならなくなってくるような気がする。

このブログで2017年7月14日にさかのぼってバルーの大きな松というF15号の作品を投稿したことがあるが、この構図を使ってもう一枚油彩を試してみた。特別寸法で10号より少し小さな画面である。


キャンバスを縦型に使って松の木の高さを増し、家並みももっと構築性を出すようにしてみたかった。そのほうが全体としてしまったような感じが出てくるのではないか、冗長なものが避けられるのではないか、という思いからであった。制作としてもその事前の計画とあいまって割りにキビキビと色も形も決まっていった。途中の抵抗されるような感覚も少なく、気持ちのいい進み具合だった。パステルを描いている時がこの感じに似ていると思うのだが、出来上がったものはやはり油彩の空間である。

by papasanmazan | 2019-03-15 06:39 | 風景画 | Comments(2)

プロヴァンスの平野




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2015年3月3日の日付でこのブログに投稿したバルーの農家という作品と同じ場所で四年ぶりに、これも同じ構図、ほぼ同じ風景をF12号のキャンバスに描いてみた。前回はF15号だった。この場所からの見晴らしはいかにもプロヴァンスらしく、オリーブや松の緑に大地のオレンジがかった褐色などの対比が魅力である。 


前回の15号の作品を写真で見ていると、近景などはよく描き込めていると思うが遠景の処理がまだうるさく、もっとアッサリとした省略が必要だと思われる。そういう意味からも、また現場の美しさからいってももう一枚描いてみたくなったのである。


今回は少し視点を左に移して、緑の色も出来るだけ明るく抜けたように操作をしながら、全体の軽みを増そうと心がけた。油彩の重厚感を人はよく口にするが、私は透明感のあるほうが好きである。透明で、キャンバスに吸い付いたような色彩の美しさに魅力を感じている。


日本画の岩彩と違って油彩本来の透明性を大切にしたいのが制作の願いである。そこに清潔さを感じるからである。

by papasanmazan | 2019-03-08 03:26 | 風景画 | Comments(2)

バルーの城

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2月20日に投稿した城への道とほぼ同じ場所、城へ向かっていく道のちょうど曲がり角の地点でもう一枚バルーの城を描いたF8号の油彩である。手前に葉っぱの散ったブドウ畑が広がっているのだが、地面とブドウの木の枝々が合わさった色がその日の天候で黄色になったりオレンジがかった色になったりして美しかった。


同じようなモチーフを扱ってもやはり出来上がった作品の感じはかなり違ってくる。余り感情的なものをいれたり、即興的な面白さを狙ったような作品は出来るだけ避けて、現象面だけではなく、その奥にある実在の永遠性が表せるように、と常に考えているが、なかなか実際の制作では難しい。


偶然そこにでくあわしたものや、余分だと思われるものは省略するようにしているが、それでも目の前の現象に引っ張られてしまうことがある。相手が美しいものだったらどうしても写し過ぎてしまって後悔する事しばしばである。






by papasanmazan | 2019-03-03 04:14 | 風景画 | Comments(0)

城への道



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バルーの城をF12号のキャンバスを縦型に使って描いてみた。昨年の夏、この城を遠望したところや、大きな松と組み合わせたものなどを何点か描いたのだが、その時に新たに角度の違った場所を探し当てていた。今まで気づかなかった道を大きくうねると城の姿がはっきりと見えてきたのである。

他にも並行して進めていた制作がたくさんあり、個展のために日本の一時帰国もしなければならなかったので、この新しい場所での仕事はお預けになっていたものである。

大きく曲がった道を抜けて遠くの城に至る、聞けば何か寓意でもありそうに思われるが、ただ一枚のキャンバスに描かれた風景画である。カフカの難攻不落の城のようなものではない、画面一つの存在を心がけただけのものである、しかしこの画面一つという意味が私には一生をかけて実現させてゆく仕事になりつつあるような気がしている。




by papasanmazan | 2019-02-20 09:44 | 風景画 | Comments(0)

ヴナスクのプラタナス


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昨秋の芦屋での個展で、案内状にF15号のヴナスクの白樺という作品の写真を利用した。その会場での当作品の評判は一番目立つところに展示したせいもあるのだろうが、割合によかったようである。自分自身でも納得できるものであったのだが、展覧会後に家内の意見で、あの絵をもう一度描いてみたら、ということであった。

なるほど割合に落ち着いて制作したもので、あまり過不足は感じないものなのだがまだ発展するだけの余地がありそうに思えた。真冬になってからそのヴナスクの現場に出かけて想をもう一度練ってみようと試みた。せっかく新しく描くのだから少しでも構図を変えたり、キャンバスの大きさも違えたり、などと右へ行ったり左に向かったり、登ったり下ったり(ここは小高い丘になっている)、色々試してみるのだがどうにもならない。

かなりの時間をかけたのだがとうとう昨年とまったく同じ位置、まったく同じF15号ということになってしまった、そう決めるしか描けないのである。

出来上がったものは自分としては今回もこれでよし、かなりの発展がある、と満足している。





by papasanmazan | 2019-02-14 03:36 | 風景画 | Comments(2)

冬の雑木林

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真冬の、葉を落とした木々の姿は美しい。昨年の1月30日にこのブログに投稿したF20号の冬の木々と同じ場所で今年も裸木の群れをP15号に描いてみた。昨年はその林の中で制作したが、今年は木々の並列しているところを選んで、林から距離をおいた姿をポイントにしてみた。

この並列した構図は見ていて美しいが、描く段になるとなかなか奥行きがでてこないので難しいものである。出来上がったと思っても何か平板な感じで、物足りないものがいつまでも残る、今まではそういった制作がおおかった。それにも懲りずにやはり冬になるとあの枝々や幹の交錯する姿を見ると描きたくなるのである。


まだ美大に行ってた頃、武蔵野の欅の林が立派で、描いてみたい気持ちがあってもどうすればいいのか分からなかったことを思い出す。その欅の林で忘れられないのは故堀内規次先生の絵である。静物画、漁船シリーズ、室内の人物など才気ある作品をどんどん世に出されていたが、武蔵野の欅もその中の一つのシリーズであった。通っていた美大の関係で目をかけていただき、二ヶ月に一度位、田無のご自宅のアトリエにお邪魔していた。先生は芸術家ぶったようなところはまったくなく、酒に酔った若造の私の駄法螺を、ただニコニコしながら聞いていてくださるだけだったが、若いうちはそんなにいい絵は描けないよ、絵だけではなくいろんな芸術を吸収することだ、といつも教えてくださっていた。そういう私ももう先生のなくなった年齢を越えてしまっている。








by papasanmazan | 2019-02-10 00:05 | 風景画 | Comments(2)

白い岩(加筆)


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昨年1月5日に投稿したF15号の風景画、白い岩にほぼ一年経てから加筆した。一応制作としては完成したと思ったので、サインも入れてアトリエで時々眺めていた作品なのだが、なんとなく物足りない感があり、冬の時期までお預けの状態にしておいた。

今年の正月明けの寒い日にふたたびキャンバスを持って現場で自分の作品と実風景とをかわるがわる見直してみた。実風景は変わることはないかもしれないが、自分の見る目は相当に違ってきているように思う。

フランス語でよくイマージュという言葉をつかう。英語のイメージに近い言葉かもしれないが、日本語のイメージにあたる印象といった意味よりもフランス語のイマージュは画像に近い意味があるように思われる。印象という言葉の持つ、少し雰囲気的な、心境的な感覚ではなく、もっと明確な,視覚の要素の強い言葉がイマージュのように思われる。もっともフランス人全部が意識的にそういう風に使っているわけではないだろうが、時折聞かれる言葉である。

現場で実際の風景を眺めながら、昨年仕上げた画面を点検していると、なるほどここはこうして、こういう考えでこう描いたのだな、とは思い当たるのだが、今いったイマージュという意味で不足しているものがある。要するに表現できていないのである。

表現するということは外界のものを単に写すことではない、画面というものを作り上げることである、イマージュを確定していくことである、と次から次に言葉を選びながらこのF15号の絵に加筆してみた。





by papasanmazan | 2019-02-01 17:28 | 風景画 | Comments(0)

晩秋ヴァントゥー山


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昨年11月の日本での個展を終えて、フランスに戻ってすぐにF10号の風景画を描き始めた。この風景はぜひ秋の枯れた感じの時がいいだろうと心待ちにしていた場所、ベル・ヴュウからの俯瞰図である。

春、夏よりも大地の傾きがよく画面の動きにあわさって、秋の落葉した木々の群れの色彩に流れていく全体感に制作していて大変に魅力を感じたものである。しかし途中でモチーフの実景に引っ張られて過ぎて、これもやはりアトリエにしばらく放置しておいたものである。

少し時間を取って、間を置くというのか、余り直情的になり過ぎないように心がけていくのも大切なことだと思う、今年の正月を越してから、やおら制作を続行した作品である。晩秋のヴァントゥー山といっても完成したのは真冬の寒い日だった。





by papasanmazan | 2019-01-27 19:35 | 風景画 | Comments(2)