カテゴリ:風景画( 325 )

バルーの松と城

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南フランスに住んでもう15年になるが、いまだにその美しさは尽きないままでいる。初めてこんな近くにバルーの城があるのに気づいてから、角度をいろいろ変えながらかなりの数の油彩や水彩を描いてきている。なかでも城やバルーの村の全景が見渡せる小さな礼拝堂のある丘からは手前の松の林も取り入れた構図が格好で、大変に気に入った場所である。

最初にこの場所で制作したときのことは今でもよく覚えている。M25号の横型に城や村の俯瞰図を描いたのだが、喜び勇んで始めたものの、途中からその難しさに四苦八苦して、ようやくあえぎあえぎ仕上げたものだった。特に手前の松の重なりが難題であった。

以来この構図はもう一度必ずやってみようとづっと暖めていた課題である。それに加えてもう一枚、この城からづっと向かって右のほうに展開していく村の姿も松の林を配しながら描いてみる、つまり右双,左双の二双の油彩にしてみようという試みである。大きさは共にM25号である。

まずこの出来上がった城と松の絵であるが、最初に描いた時から十数年の隔たりがあるので進み方が完全に違ってきている。目の前のモチーフになる風景も、使っている材料の油絵の具や筆など何の変わりもないのだが、進むスピードがまるで違っているし描いている本人の心構えも遠くへだった感じがする。先日このブログに載せた笠松と丘のときに感じた一つのエポックと同じ感覚でつながっている制作である。何か同じ通奏低音がづっと鳴り続けていような気持ちでの制作であった。

右双の作品は五日ほど遅れた描きはじめで、今制作半ばである。

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by papasanmazan | 2018-05-21 02:49 | 風景画 | Comments(1)

バルーの村とヴァントゥー山





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いつも描いているヴァントゥー山は横に広がって雄大な形を見せている。南フランスの巨人と呼ばれるだけあって、その高さだけではなく山すその広がりなども含めて実に描き応えのある風景である。我が家の付近からだけでも今までに何枚のキャンバスを費やしてきただろうか。


そのヴァントゥー山も方角を変えてバルーの側から見るとぐっと違った形になってくる。まるで小型の富士山のような三角形が現れてくるのである。手前の丘などを合わせてみていくと精進湖から見た子抱き富士のような感じになっている。この風景も以前から描いてみたいと思っていたのだが、ようやくまとまった構図の場所が見つかった。バルーの村はずれの民家がいくらか見えていて色彩の変化につながり、糸杉がにょっきりと立っているのが垂直性を与えてくれる。


P12号に描き始めたのだが、やはりいつもの描き慣れたのと形が違うので制作の進み方が遅くなる。山の構造の面がなかなかつかみにくいのである。描き始めから数日たってようやく全体の構造がつかめてきた。一つ調子がつかめると後は割合にスムースにおさまっていく物である。こちら側からのヴァントゥー山,描く場所も選びながらもっと制作できるはずである。

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by papasanmazan | 2018-05-13 02:53 | 風景画 | Comments(0)

プロヴァンスの小屋






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今年の四月に完成したF10 号のプロヴァンス風景と同じ場所でもう一枚、笠松や糸杉、小屋など道具立てはまったく変わらずに、ほんの少しイーゼルの位置を変えたくらいで描いてみた。今度はP10号で、しかもフランスサイズのキャンバス、これは日本のP10号よりもまだ細長い形のキャンバスである。


先日のF10号を描いている時点でもう一枚もっと横長のものを描いてみたいと思っていたのがこの形をとらせることになった。モチーフに選んでいる笠松の横の広がりが前作とは違った狙いで、出来上がった作品もそれぞれの性格の強さ、弱さなどがくらべられそうである。


このように同じ場所、同じようなモチーフでも捉え方や、自分の創作意欲によってかなり表現が違ってくるものである。出来上がったものを見て絵を描いている本人も不思議な気持ちにさせられる時がある。

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by papasanmazan | 2018-05-07 01:06 | 風景画 | Comments(2)

笠松と丘






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赤い岩を描きに行く道の途中で笠松が群れをなしているところがあって、いつもは横目で眺めながら車を走らせているのだが、先日ちょっとした脇道を見つけたので中にまで入ってみた。そこには急に開けた景色が展開していて、横目で眺めた笠松が堂々と目の前に並んでいた。その向こうにはいつものブローヴァックの丘が見えている。


大変に意欲をそそられた風景でさっそくP15号のキャンバスに制作を始めた。相当に描きこんだ画面になって完成したのだが、とにかく集中しきった時間の連続であった。毎回の制作の間もほとんど休憩することもなく、意識が完全に画面に向かっていた。


いままですでに何十年と制作してきたわけだが、この一枚は自分としては一つのエポックになると思う.作品の出来ばえがどうのこうのということ以上に、今まで制作してきたことの集約がこの一枚に出てきていると言える。


べつに感慨に浸っているわけではないが、とにかくこれからが大切だと思っている。

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by papasanmazan | 2018-04-21 00:53 | 風景画 | Comments(2)

赤い岩の道




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久しぶりに赤い、赤い岩で囲まれた道で制作した。何度かここの道は描いているが、かなり長い距離で歩ける道ではあるが途中の幅が狭く、どうしても入り口付近のほうが制作しやすくなっている。いろんな角度を試してみるのだが三年ほど前にF20号に描いたのと同じ場所で、今回はF15号のキャンバスに始めてみた。

やはり何年かの違いで描き出しからの感じは違ってきている。スムーズになってきているだけではなく個々のものの描写が、これはすばやく描いていったほうがいいと思われるところを以前よりもモタつかずに描きこんでいける、逆にこれはこのまま何も手を加えずにしばらくそのままにしておいたほうがいいという部分などの判断が躊躇なく出来るようになっている。その分制作はらくである。

もう一ついえることは赤い岩だからといって妙に赤の色にこだわらなくてすむようになってきている。これはおそらく赤という色だけに限らず制作全般の色彩の施し方にも出てきているような気がする。つまり全体的に色彩が以前よりも軽く出るようになってきているといってもいいのだろうか。

それと細部の描写も簡単に表せるところは簡単にするというコツもつかめたような感じである。

しかし自分の持っている造形感、これはあくまでも推し進めていくつもりである。

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by papasanmazan | 2018-04-09 15:42 | 風景画 | Comments(2)

プロヴァンス風景






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プロヴァンスの風景として映画やグラヴィアなどで小さな教会や建物の横に糸杉がたっていたりオリーブの緑が添えられているような光景を見かけることがある。何かひなびた親しみのある風景なのだが、そういう何気ないものも描いてみたいと思っていた。ちょうどバルーのお城を抜けてロック・アルリックの岩山へ向かう途中に糸杉と大きな笠松が並んだ横に小屋が建っている見晴らし台がある。

そこからの眺望はヴァントゥー山がまるで富士山のように見える角度にひらけている。この見晴らしもいずれ描いてみたいとは思っているのだが、今回はF10号のキャンバスにその笠松や小屋、糸杉などを取り入れた風景に取り組んでみた。


常緑の松や糸杉の色もまだ早春の光の中ではいつもほどコントラストがきつくなく、全体としては対比的な強さには欠けるかもしれないが、色彩のやわらかさには魅力があった。この風景は真夏の炎天下でも一枚描いてみたい気持ちになるが、それとともにこのF型のキャンバスよりももう少し横に細長い形のP型にももう一枚試してみて、笠松の広がりを強調したものも面白いかもしれない。

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by papasanmazan | 2018-04-07 03:10 | 風景画 | Comments(2)

旧作 バルーの大きな松





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これも昨年7月中旬に出来上がったF15号、バルーの大きな松に加筆したものである。もうすでに暑くなっていた頃に描いていたのを覚えている。この作品の不満だったてんは特に深い色の部分の諧調が足らないというものだった。昨年の段階ではそのあたりにも気をつけていたつもりだったが、やはりまだ足らなかった。どれだけ集中して描き込んだとしても、画面上で足りないものはやはり足りないのである。目の判断に頼るしかない。


そういった不足しているものに何とか答えを与えようと努力していくわけだが、その点でその判断の基準に話が戻るのである。やはり何らかの理想が自分の中にあるのだろう、どこかで学んだこと、獲得したこと、それらは実際の経験によるものもあるだろうが、三次元の現実世界から離れた、何か神秘的な作用が働くのではないのだろうか。それを私は直感によるものといいたいのである。


科学の世界が分析による論理力に基づくのとは違って芸術は直感による理想との交感が第一義の美学になるのではないかと思っている。

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by papasanmazan | 2018-03-29 00:44 | 風景画 | Comments(0)

旧作 ボーセの石切り場






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一昨年(2016年)3月29日に完成した作品、ボーセの石切り場にも加筆してみた。この絵は出来上がったときから岩場の細部に不満があった。端的に描写がまだまだ足りないので岩の部分と下方の人家との対比がはっきりせず、その結果絵としての流れが上から下のほうにうまく引っ張れないでいた。そこのところをどうすればいいのか一昨年当時には分からなかった、それがはっきり見えてきたので、やはり現場にもう一度戻って加筆してみた。


岩場の左側の張り出しが足りなかったのが原因である。そこのところを強調することで急に画面が立ってきたようである。縦型に使ったキャンバスであるから名実ともに絵が立ってきた、それでよしとする。


さてその見えてくるところ、いったい何を持って不足しているものなら不足していると判断できるのだろうか。何か基準なり、理想なりをどこかで判断の元にしているのではないか、しかし自分の過去を振り返ってみてもそのようなことをどこかで学んだような記憶がない。


過去と言い現在、未来と言えばこれは時間である、そして絵を描いている自分は現実の空間の中にいる、この時間、空間に限定されて生活をしているのを自覚できるのが人間である。その時間の過去の部分に思い当たるものがない美の基準が急に現在の自分に見えてくるというのはどうしたことなのだろうか。これは今いった時間や空間を離れたところに何かがあるのではないか、そんな不可思議な思いにとらわれるのである。(この項続く)。

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by papasanmazan | 2018-03-26 08:06 | 風景画 | Comments(2)

旧作 赤い森の木立ち





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昨年三月上旬に完成したF12 号、赤い森の木立ちに加筆したものである。この絵はずっと気にかかっていたもので、物の納まりや構図全体はそれほど問題にならないのだが、木々の間のヌケが少なすぎて少し息苦しい画面になっていた。その木と木の間に空間を与えていくのはさして難しくないと思われていたのだが、それだけではまだ何か物足りないものを感じていた。


その物足りないものにハッと気づいたのである。全体のリズムといっていいのだろうか、気韻生動とでもいったものである。それは対象になる自然物を腕だけを頼りに写していくだけで出来上がるものではない。もっと自分の中にある動機をつきつめて表現していかなければ出てこないものではないだろうか。


そういった何かを表現してみたいと思う気持ち、情働はどこからくるものなのだろうか、こここのところをよく自覚しておかなければならないと思う。制作にいたるまでの自分の内面を探求することである。それを突き詰めているといつも出てくるのがプラトンのイデアの説で、そのイデアを想起していく、思い出していく、ということになる。

そういった何らかの学習したものや、経験したものを思い出していくこと、それがないと美なり真なり善というものが成り立たないのではないか、まったくの感覚や自然経験だけでは創り出せないのではないか、そう思えてならないのである。(この項続く)


このF12号も現場で加筆した。直感的な色を生かすようになってきたこの頃の制作である。

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by papasanmazan | 2018-03-22 20:24 | 風景画 | Comments(0)

旧作ヴナスクのプラタナス


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冬の間の制作もようやく一段落して、これから春にかけてもかなり制作の予定が立っている。出来ればもう少し建物などを取り入れた風景なども試みたいと思っている。

それからこの頃、旧作、特に昨年のものだが、一応完成させ、サイン済みの作品にも再び目を向けてみたりしている。その時はまずまずそれでよしとしていたものだが、どうもまだ完全に納得がいかない心情で、日本の個展にも飾らなかったものがかなりの枚数である。その内の何点かをぢっと夜中に見つめていると段々に見えてくるものがある。

単に見ているのではなく、見つめていると、普通に見ているというのではなく。見えてくる、という直覚につながってくる。ものを見るということは認識の単純なものかもしれないが、見える、ということは創造につながる直覚である。自分の描いた作品を見ていて、なおその上に画面が見えてくるのである。

不思議な経験であって、これはいままでになかったことである。このことはもっと突き詰めて考えてみなければならないし、自分の中では特にプラトンの想起の説につながっていくところである。このあたりは今後もっと文章にもしたほうがいいと思う。


とりあえず一枚の旧作を出してみる。昨年の2月末に完成したヴナスクのプラタナスという作品、F15 号を再び現場に持っていって加筆してみた。


じっと見つめていて全体としてはかなり良く描き込めていたと思ったのだがメリハリが足りない。プラタナスの立っている実在感が際立っていない、それは遠景の水平感が足りないからである、と気づいたのである。総合して色彩を色彩として独立させてもヴァルールが外れないだけの力はついてきているので、思い切った仕事を進めてみるようにしたものである。自身を持って制作すればよいのだと思っている。

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by papasanmazan | 2018-03-21 02:10 | 風景画 | Comments(2)