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カテゴリ:風景画( 389 )

白い道

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以前は一つのシリーズのようにして描いていた白い道、家から目と鼻の先の小さな見晴らし台から見える、マザンの村につながっていくS字型の道を中心にした風景画を久しぶりにP15号の大きさの油彩画にしてみた。


車が通ると白い砂ぼこりがもうもうと立ち上っていたこの道も今ではきれいに舗装され、周りの私道にも糸杉の並木が植えられて随分整った景観に生まれ変わっている。まだまだ自然がいっぱい残っているこの辺りではあるが人工的な感じが押し寄せてきている。

それでも初春の柔らかな美しさに魅せられて、新しく加わった糸杉なども取り入れて制作したみた。

by papasanmazan | 2020-03-21 18:55 | 風景画 | Comments(2)

赤い森の岩と木




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赤や橙色、黄色で覆われた森の中で良く仕事をする。あまり人から理解されない画面ばかりが出来上がるのだが、次から次に描きたいモチーフの場所が見つかって、あきもせずにこの色の世界に取り組んでいる。

これはとにかく純粋に色と形の世界であって決して言葉やストーリー、説明の要素はない。つまり感情の入る余地のない仕事なのだと思う。自分としてはこの世界が一番好きである。絵画の本質をついていけそうな気がするからである。よそ目からすると本当に何をしているのか、ただ退屈なだけの絵の連続に過ぎないのかもしれない。

今回はF12号を縦型にしてみた画面である。奥の森の緑が幾分以前より軽くなってきたようである。

by papasanmazan | 2020-03-10 00:25 | 風景画 | Comments(2)

ヴァントゥー山とマザンの村

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南フランスの巨人といわれるヴァントゥー山も色々な角度から絵にしてきたが、我が家の目の前の野原からマザンの村を見渡して、その背景になるヴァントゥー山の全景もすばらしい。やはり南仏に越してきてからの風景画
ではこの場所が一番数が多いだろう。

このヴァントゥー山は南フランスで唯一のスキー場なのだが、地球温暖化のせいで昨年、今年と二年連続で雪がなく、スキー場も閉鎖であった。家から手軽に行けるのでスキー大好きの家内は毎年楽しみにしていたのだが、落胆続きの冬である。来年を待つしかない。

F4号のキャンバスにまた新たにこの風景を描いてみた。いつもと同じ構図なのだが、そういえば真冬のこの景色を油彩にするのはあまりなかったように思う。

by papasanmazan | 2020-03-04 17:02 | 風景画 | Comments(2)

ヴァントゥー山と大きな木




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先日投稿したF15号のマザンの大きな木を制作しているのと並行して、P12号にも少し離れた場所でヴァントゥー山を大きく扱かった油彩を描いてみた。大きな木は同じものである。

冬枯れの褐色の葉っぱも画面に取り入れ、色彩のアクセントとして考え、ヴァントゥー山の山襞や野原の色彩とできるだけ結び付けていく、その色彩の連絡や対比に寒色を役立てるような意図だった。中央に見えるマザンの教会は単純化して目の休まるところにしてみたかった。

12号くらいの大きさは今の自分としては戸外制作にはちょうどいい大きさだが、この構図やモチーフの配列などでいえば30号くらいまでの大きさでも充分に制作できると完成した物を見ながら思っている。

by papasanmazan | 2020-02-27 19:47 | 風景画 | Comments(0)

モルモワロンの教会遠望




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2017年の夏、モルモワロンの村を遠望した風景画を集中的に大小何枚かの油彩画に制作したことがある。大きいのは確か40号だったと記憶している。新しく制作場所が見つかって、それがモルモワロンの村全体を見渡せるスケールの大きな場所だったので夢中になって次から次にキャンバスを新しく描き続けていった。

そのなかにF8号の縦型で、教会を遠望しながら村全体と、背景の山の尾根を構成した一枚が今も我が家に掛けてある。その絵はもちろん夏の、緑が主になった油彩であるが、それをもう一度同じ場所で冬の枯れた景色でやり直してみた。今回もF8号縦型はおなじである。

色調はもちろん変わってくるが、冬の枯れた方が建物で構成されている村全体の構築がつかみやすく、また色の流れも出しやすかった。三年前と比べるとかなり筆使いもちがってきているのか、絵の具自体が流れていくように感じながら制作し終わった。

by papasanmazan | 2020-02-21 22:02 | 風景画 | Comments(2)

マザンの大きな木


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わが家の目と鼻の先に大きな木があって、小さな見晴らし台のようになっている。そこからのヴァントゥー山やマザンの村の景色はいつ見ても美しく、散歩のコースには欠かせないところである。

普通には散歩コースかもしれないが、私にとっては欠かすことの出来ない風景画の制作場所でもある。この大きな木の重なり合って立っている群れも今までに幾度描いたか分からないほどである。そしてここから見える白い道や、マザンの村の遠望など自然の中の私のアトリエのようなものである。

F15号のキャンバスに冬景色のヴァントゥー山を、二本の大きな木にはさまれた角度のところを選んで描いてみた。冬枯れの野全体の中に木や山、教会などが混然と存在し、それぞれの存在とともに全体としてお互いが響きあっている、そういった世界が出来上がればいいと思って描いた一枚の油彩画である。

by papasanmazan | 2020-02-15 19:52 | 風景画 | Comments(2)

冬の野と白樺




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冬の枯れた景色の中に一本の白樺の木が立っていて、やはり葉っぱを落として寂しいのだが、畑と並んでいるところに何か風情を感じてしまう、赤い森に制作に出かける時にいつも車から見かけている風景である。

あまり絵になるようなものではないのだが,どうしても描いてみたくなってF6号のキャンバスにむかってみた。

先日投稿したM3号の冬の野の絵でもそうだったが、このあまり派手な色彩もない冬景色の中にもよく見極めていくと、自然の骨格というものがそなわっているのが分かってくる。これは実に大切な、物の本質にぶつかっていく道だと思う。表面だけにとどまっていてはいけないという教訓なのだろうか。

by papasanmazan | 2020-01-21 06:43 | 風景画 | Comments(0)

赤い森の岩




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日本に一時帰国したあと、南フランスに戻って制作再開する時にはいつも赤い森に出かけて行く。なぜかその場所にいると自分の感覚がよみがえってくるような気がしてならない。昨年の暮れから二枚の絵をここで描いているが、ようやくF15号のが出来上がった。

段々と赤や橙、黄色の面積が増えてきている画面になってきているのだが、それに対比する樹木や緑の扱いが少しづつ分かってきた、そしてその分画面が前よりもよく抜けてきたように思う。呼吸と同じで吸う息、吐く息が必要である。

赤や橙などの暖色の占める部分にも寒色を探し求めていかなければ全体の統一をとれないことがある。その寒色にしても寒色として独立させる時もあれば、暖色に混ぜ込んでいくこともある。同じ混色でもパレット上で行うときと描いている画面上で混ぜ合わせるときとでは効果が違ってくる。こういう手順というのか技法というのかは実際の制作の上でしか説明のしようのないものである、。ほとんどが自分の経験から来るものだから、自分の目と腕とを勘どころにして制作をしているわけである。

by papasanmazan | 2020-01-15 19:02 | 風景画 | Comments(2)

キャロンの松と家




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昨年の7月31日に投稿したF6号、オリーブと松のある家と同じ場所でもう一枚油彩を試みた。今回はM10号の横長の形のキャンバスを選んだ。前回の制作後にすぐにもっと横に広がった構図のほうがよりよく動きが出ると思っていた。

石造りの家の強い直線が交錯していくところに松とオリーブの柔らかさ、自然さが加わって一つの魅力になる実景であるが、前作ではオリーブの扱いがうまくいっていなかった。描き過ぎていた印象がある。描き込んでもいいのだが描き込んだように見せないのである。そうしないと建物の線、面と、松の木のかたまりとでかなりの重さのある画面がオリーブの塊によってますますがんじがらめの、眼の休まり場所のないものになってしまう恐れがある。要するに描き分けるということが肝心なわけである。

冬の季節の、余り強くない光線ではあるが、画面は中から光がじわじわと輝きでてくるような作品を考えている。

by papasanmazan | 2020-01-12 17:57 | 風景画 | Comments(2)

冬の野




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M3号という今まで使ったことのない大きさのキャンバスにすっかり葉っぱの落ちた木立の見えている冬の野原を描いてみた。冬枯れした野原や木立を描くのは好きで、シーンとした中にかえって色彩を感じるのである。原色や夏の強い光を受けたような強い色ばかりが能ではない、色彩はその調和と和音にたとえられるような響きが魅力なのである。

まだ美大を出てすぐの頃、実家のちかくの安威川沿いを冬の時期にぶらついていた時に,その河原とむこうに立っているクレーンとのなんとも味気ない色彩、ほとんど無彩色に囲まれた河原の枯れた黄色の風景に妙に惹かれたことがある、クレーンの立っているのが無機的で、風景自体も何の飾りもないようなもので、なぜか自分の心象と二重写しになったような気分であった。冬景色に出会うと時々その時のことを思い出す。

現在はそんな寂れたような心情はかけらもないが色彩に惹かれるのは今も同じである。ちょうどM3号のいい額縁が手に入ったので楽しみも含めて制作してみた一枚である。

by papasanmazan | 2020-01-03 19:42 | 風景画 | Comments(2)