カテゴリ:人物画( 16 )

アトリエの夫人とキリスト像



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久しぶりの人物画、F25号を描いてみた。モデルは家内で、赤い服、キリストの像が脇においてあるアトリエの実景である。鉢植えの花をたくさん置いていて緑の色にも困らない。このキリスト像は家内がかなり以前に気に入って買ってきたもので、顔やプロポーションがなかなかいいものである。


別に人物とキリスト像という対比に寓意などはなく、画面上の欲求から選んだものである。モデルの家内には出来るだけ楽なように籐の椅子に深く座ってもらって、画面の動きは徐々に、特に腕や肩、手などの位置で変化させていった。キリストの像ははじめからあまり描き込まないように、できるだけ軽く表現したいと思っていた。こういう添え物にばかり目がいって、深刻ぶった絵になるのは避けたいのである。


以前にもこの服を着た家内の肖像を描いているが、今回初めてこの赤の色の使い方を発見した。あまり赤、赤、と思わなくても出てくるものである。抑え気味にするということではなく、赤にこだわらないという気持ちがあれば充分だと分かった。一つの色のつかいかたのコツだと思う、これは大きな収穫である。

この絵も相当に描き込んだものになったが、見たところは割合にアッサリとしていて、そのあたりはいいとしておこう。





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by papasanmazan | 2018-05-31 17:14 | 人物画 | Comments(2)

夫人像

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革の帽子をかぶった自画像を油彩で描いた作品を見ていて、ふとこれを自分の葬式の遺影にしたらどうかしらと思いついた。人生の最後にちょっと画家を気取るのも悪くない、家内も大いに賛成してくれた。

その家内も終活とか言って、水辺のレストランで撮ってもらった気にいった自分の写真を遺影にするのだと以前から宣言していた。それが私の自画像を見た時から、写真よりもやはり絵のほうが遺影にいいと言いだした。

そういった要望からこの夫人像を描き始めたのである。大きさも平等の精神でともにF8号である。革の帽子の代わりに夫人像には派手なスカーフをつかって、このあたりは気を使っている証拠になる。

家内の意見では遺影にする写真というのはなかなかいいのが見つからなく、毎年新しく撮った写真などをあれこれ探したりしなくてはならないのだそうである。それからすると油彩作品はこの一点で満足できると言ってくれている



11月1日(火)~6日(日)まで横浜で個展をします⇒ ==個展のご案内==


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by papasanmazan | 2016-10-04 16:28 | 人物画 | Comments(0)

革の帽子をかぶった自画像

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油彩の中でも風景画と静物画を描くことが多いが一番好きなのは人物を描くことである。美大では裸婦をよく描かされたがこのごろはほとんどその機会がない。パリ近郊にいたころはときどきパリのグラン・ショウミエールで裸婦を描いていたが、南仏ではそのような場所がなく残念である。

肖像画などももっとやってみたいし非常に好きなのだが、これもモデルに出会う機会がない。たまには家内にモデルになってもらったりもするのだが、疲れることでもあり気の毒である。残るところは自画像である。久しぶりにF8号に描いてみた。

革の帽子をかぶり、赤い仕事着のシャツに黒の半コートのいでたちである。冬のさなかに描き始めて、アトリエの中ではちょうど気温にあった服装だったのだが、制作の回数が進むにつれて暖かくなってきた。とうとう我慢できなくなって途中で制作をいったんは諦めたのであるが、五月の今頃になって急に少し寒くなってくれた。この機会を逃すものかと頑張ってみた一枚である。

若すぎる、イケメンすぎる、賢そうな表情になり過ぎている、など、さんざんな批評の四面楚歌をなんとかしのいで出来あがった自画像である.なんといっても自分一人で出来る仕事だからこれはいい、もっとこれから自画像は描き続けようと決心させてくれた作品に仕上がった。


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by papasanmazan | 2016-05-19 16:20 | 人物画 | Comments(2)

手をつく裸婦(完成)

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以前F20号に描いていたものを参考にF5号のキャンバスに再び試みてみた裸婦で、ポーズとしては気に入っているものである。とにかく線が蘇ってきそうである。何故こんなに大切なものを忘れていたのか、押さえつけていたのか、これはよくよく考え直さなければならないところだと思う。そして自分の理想とするものをふたたび組み直していかねばならない。そういった意味ではこの裸婦などもいいねらいになってくるのかもしれない。

人物、静物、風景、そういった主題の変化がどんなものであれ、画面ということでは本質は一つである。私の決意はそんな簡単、単純なものである。



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by papasanmazan | 2014-10-26 19:57 | 人物画 | Comments(3)

赤い服の夫人像(完成)

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毎年、初冬に日本で個展をすることにしているが、今年もその季節が近づいてきた。あまり展覧会のために制作をするという気持ちは以前から持っていないのだが、今年の横浜での会場が決まった昨年の時点でどうしてもこれは描いて出品してみたいという一枚があった。それがこの作品である。

F50号に家内の肖像を描いたものである。前にも一度使ったことのある赤い服を再び登場させてみたかった。その赤い服を引き立たせる背景の模様などもかなり考えこんだものである。

制作のスピードとしては速くもなく、遅くもなく、安定したものであったが、途中でアセらず、イヤにもならず、常に前進していくような案配で、大変に快かったものである。人物画としてはあまり顔や手の細部に表現をこだわってかたくなるようなことのないように気をつけて、つねに全体性をこころがけたものである。この赤い服は南仏の名物であるソレイヤド製のものである。


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by papasanmazan | 2014-10-12 21:46 | 人物画 | Comments(2)

赤いカーディガン(完成) F4号

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少しずつ積み重ねてきた制作もようやく終わった。これで完成と言っていいだろう、F4号の,さほど大きくはない裸婦像ではあるが、かなりの描き込みと,形の変化の多い過程だった。

裸婦に限らず他の人物画でも形や色の変化を割合に自由にこなせるような気がして,やはり人物を描くのが好きな大きな要因になっている。何故だかは分からないのだが静物画や風景画に対するときとは気持ちが違ってくる。

赤いカーディガンをかるく羽織ったポースではあるが、あまりその赤い色や装飾性にまどわされない造型感を大切にしたいと思って描いた一枚である。



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by papasanmazan | 2013-04-06 00:05 | 人物画 | Comments(2)

赤いカーディガン(第二段階)

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随分長くアトリエの壁にたてかけていたこの裸婦像を続けてみる。このところほとんど戸外での制作が主になっていたのだが,この一週間程は寒さがぶり返し,フランス全土で雪が降ったり、最高気温が氷点下だったりしている。それで黄土の森などにも出掛けていられなくなったので静物や,今いったような描きかけの裸婦などを再び手がけている。

悪くはない制作の過程だと思う。人体自体とそれを取囲む空間にレアリティが出てくればしめたものである。絵画はなんといってもウソの空間ではあるが、やはり「つくりもの」と言った感じを抱かせているようではダメである。そうかといって全てを映していくわけでもない。そのあたりが曰くいい難しなのだが,画家の制作もその曰くいい難しのところをなんとか自分なりの表現にもちこもうとしていくわけである。

人物と空間とを同一色でつなぎあわせながら全体としての一枚の画面に統一していこうとしている過程である。まだまだ細部には至っていない。

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by papasanmazan | 2013-02-24 19:13 | 人物画 | Comments(0)

赤いカーディガン(第一段階)

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最近ザクロや赤い岩などをモチーフにするせいか、赤の色にひかれている。ここでまた赤いカーディガンを肩からかけた裸婦をF4号縦型に描き出してみた。もう十年以上前にパリのグラン、ショミエールでF30号に描いたものをもとに、現在の感覚で再び制作しているのである。

南仏に移ってもうほぼ十年になるが、それ以前はパリの近郊で暮らしていた。しかし子ども達の日本語を大切に考えると、どうしてもパリにアパルトマンを借りるしかなかったのである。それでパリ近郊の家と、パリのアパルトマンの二重生活になったのだが、冬の寒い、戸外での制作が無理な時には、そのアパルトマンから、裸婦が自由に描けるグラン、ショミエールに通ったものである。

人物画は大好きである。現在は裸婦のモデルを雇うわけにはいかないし、近くのカルパントラあたりの裸婦の教室をあたってみても、ほんのクロッキー程度なので、古い作品を探し出して、気に入ったものをもう一度作ってみようというところである。

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by papasanmazan | 2012-10-23 17:20 | 人物画 | Comments(0)

ギャルソン(完成)

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F6号の大きさといえばたとえば日本の家などに飾るのには手頃な大きさだが、描く側にとっては少し小さな絵だといえそうである。本当はもう少し大きなキャンバスに描いてみたかったのだが、息子のマザンにいる予定も余り長くはないので、これくらいが適当なところだろうか。

ギャルソンというのがテーマで、息子の肖像画というつもりはなかったのだが、そこはやはり肉親の情というのか、顔の表情にも最後は気をつかったりした。背景の緑と人物がうまく同調しながら、しかも人物を際立たせるというのはなかなか難しいものである。

それほど苦労したようなあとは見えないが、これでかなり描き込んだものになった。十一月の日本での個展に出品しようかどうか迷っているところである。

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by papasanmazan | 2012-10-07 17:32 | 人物画 | Comments(4)

ギャルソン(第三段階)

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全体の密度も加わりヴァルールも高まってきたようだが、この辺りが要注意である、余りに筆に頼って、たとえばヴェランダの手すりや、着ているヴェストの模様などの説明が多過ぎると、絵として弱く、表面的になりがちである、あくまで造型性をおしていきたいのである。

先日もルーブル美術館で思ったことなのだが、あれだけの数の作品はあるものの、そして一枚、一枚の作者はそれぞれの苦心や工夫をしているのだろうが、本当に造形美として成り立っているものを取りあげていけば、案外鑑賞にに耐えうるものは少ないのではないだろうか。

そして画面に神経が行き届いているかどうか、単に神経が細かいというのではなく、細かい上に全体の中にそれが活かされているかどうかが問題になってくる、どうやら私の課題を発見するためのパリ行きだったようである。これからはこの解決にまたむかっていかなければならない。

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by papasanmazan | 2012-10-02 17:46 | 人物画 | Comments(0)