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松と富士(紅葉台から)





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昨年の11月、ちょうど神戸での個展が始まる少し前に紅葉の見ごろだというので、その名も紅葉台に登って半日堪能してきた。そこのご主人の三浦さんとはいつも言葉を交わす間柄なのだが、その日はまさに紅葉の真っ盛りの日だ、ということだった。富士のあたりで紅葉を見るというのは初めてだったが、なるほどそういわれると日本での紅葉も久しぶりの経験である。ヴァントゥー山のふもとの黄色一色の趣とはずいぶん違ったものである。

その紅葉台も個展が終わってしばらくしてからまた登ってみると、すっかり紅葉はなくなって冬のたたずまいである。現象面からみた赤い色は消えているが本質的な富士と松の木だけが目に入ってくる。自分が絵にしたいと思うのはこれである。

あるいは写真などであったら紅葉の美しさとか、富士にかかる雲の形の面白さ、山頂を覆う雪の白さなどの、目の前にある現象にシャッターを向けていくのであろう。また絵を描く場合も同じでそういったもろもろの現象を相手にしていくわけだが、今の自分にはどうもこの現象というものと自分の描こうとする画面との間に何か大きな隔たりが出てきているような気がするのである。

確かに現場で,そのものを目の前にして制作しているのだが、もっと現象面から離れたものに支配されているような感覚、個人的な感覚だとはいえるのだろうが、いつも不思議な思いにおちいるこの頃の制作である。

F20 号の油彩である。


by papasanmazan | 2022-02-16 17:55 | 風景画 | Comments(2)
Commented by ono7919 at 2022-02-19 13:44 x
すがすがしい作品ですね。「松と富士」月並みでありながら日本人にとっては古来より永遠のテーマのようで… 現象がそれだけで美しく魅力的なだけに主観と客観が対峙しながらも同一性の奥深い作品ができてくるものと楽しみにしています。
Commented by papasanmazan at 2022-02-19 16:38
ono7919さん、おっしゃる通りの主観と客観の同一化だと思います.若いときから西田幾多郎の善の研究や鈴木大拙の本で学んできたことが、ここにきて現実に自分の画面に現実味が加わってきました。たぶん間違いはない指針だと思っています。
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