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赤い鎧戸の家




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今年の夏の終わりから10月の日本への一時帰国前まで制作していたもので、その一時帰国の間制作を中断していたのを、フランスに戻ってから再開してみた。F6号の風景画で、丘の上にある赤い鎧戸のある家である。何年か前にF4号に描いたことがあるが、不満が残りもう一度挑戦してみた。

もちろん中断した期間が二ヶ月くらいあるので、季節の違いからすっかり丘の色彩が変わってしまっている。しかし今はそういった状況などどうでもいいようになってきた。というのは表面に現れた現象を描こうというのではなく、もっと奥にある本質にまで画面をつき進めたいという気持ちが強くなってきたからである。


フランスに戻ってから意識的に理屈っぽい美術書を読んでみた。あえて名前は挙げないがその本の内容についてはよく理解が出来る。また書かれていることも正しいと思うのだが、一番強く感じるのは制作の実際にはそういった理屈は全く不用な感じがする。

そこでこれは愛読書の一つだが、またセザンヌの書簡集を再読してみた。ここでやはり自分の思っていることが再確認されることになった。セザンヌの最晩年に、たとえばエミール・ベルナールとのやり取りのなかで、さかんにベルナールの質問に答えてセザンヌの絵画に対する理論を展開しようとするのだが、実際のセザンヌの制作しているのはそんな理論上にはないのである、もっと自然に即した、本質に根ざした感覚と経験によるもの、それはとても口で言い表せるものではない、ということに最近はとみに共感できるようになった。

そういった最近の意識で制作すると余り季節の違いから来る色彩の変化などは気にならなくなってくる。では何をよりどころに絵を描いているのか、とたずねられたら、落語の素人うなぎではないが、前に回ってうなぎに聞いてくれ、といったような答えになってしまいそうである。

by papasanmazan | 2019-12-22 19:39 | 風景画 | Comments(2)
Commented by カワセミ at 2019-12-30 21:00
難しいことは解りませんが 見れば見るほどに新しい発見があり 作品の内からじわじわと輝きだして目が離せなくなっています。
Commented by papasanmazan at 2020-01-01 07:46
カワセミさん、現在の自分の気持ちなり、考え方、ずばり思想といっていいと思うのですが、大変個人的なものであり、なかなか言い表せるものではないのですが、何かに響きあってきているような感じがします。作品の内側から輝きだしてくるような光に自分自身気がつき始めた段階です。
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