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モルモワロン風景





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モルモワロンの村の教会を手前のポプラの木の間から見えるアングルでF3号の小さな油彩にしてみた。数年前にはこの場所でかなりの数の制作をしたが、久しぶりにイーゼルを据えて眺めてみてもほとんど景色は変わっていない。ただ所々の家が壁を新しくして、全体には少し明るく、また軽くなった感じはする。


制作の実際で言うと、たとえばポプラの扱いなどが直接的になってきたと思う。教会の建物などでも単に高さが出ればいい、といったことで余り細かい部分や装飾的と思われる部分には眼が行かなくなった、目が行かなくなったという以上、その部分に筆も入らない、色彩もない、形も端的ということになる。

これで下手をして失敗すれば、全くの手抜きの絵という事になるわけである。かなり若い頃、先輩の絵の先生に、個展の会場で、大きな声で、手抜きだ、といわれたことを思い出す。決して手を抜いたわけではなかったので、随分複雑な思いであった。

F3号の小さな油絵でも手抜きに見えなければおなぐさみである。

by papasanmazan | 2019-08-18 18:30 | 風景画 | Comments(4)
Commented by ono7919 at 2019-08-20 11:42 x
素晴らしいです。画伯独特の柔らかな色彩のグラデーションの中で垂直と水平のリズムが心地よく交差し、大胆な筆使いの中の微妙な色の変化が対象物を程よく際立たせ、手抜きどころか成熟した画面を感じ見入っています。
Commented by papasanmazan at 2019-08-25 09:43
ono7919さん、やはりどこかに不必要な力が入っていたり、気持ちが空回りしたりするような若さ、それも一つの魅力なのでしょうが、いつのまにやら年齢だけは積み重なって、何かそれに応じた特色でも出ればいいのでしょうが、いつまでたっても絵を描く難しさに変わりはありません。
Commented by motoko at 2019-08-27 15:09 x
風景画というのは、画家の眼が何処に行くか行かないか、
そしてそこに筆を入れるか入れないかの意思の結晶なのですね。
この絵画とコメントで、深く納得しました。
絵画を観る楽しみがまた膨らみました。
Commented by papasanmazan at 2019-08-29 17:18
motokoさん、私はクラシック音楽愛好ですが、演奏家がどうだとか、録音の状態とかはほとんど気になりません。聞ければそれでいいといった程度ですが、一番問題にするのは作曲家のあり方です。その作曲家の人間そのものを聞きたいといつも思うのです。そして何かその人格というものに触れたときが至高の楽しさです。
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