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アーモンドの花とマザンの教会


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セザンヌは戸外の制作に出掛けたり、水彩道具を肩にして仕事に向かう時、絵を描きに行こうとか、仕事に出掛けようとかは言わなかったそうで、さあモチーフに行こう、と言ったそうである。これはセザンヌを理解するうえで大切な言葉だと思う。

日本でもこの頃はよくモチヴェーションとかいった言葉を使うが、このモチーフという言葉も動機とかいった意味にもなる。また画家が静物画のモデルや、選んだ風景の場所をモチーフといったりもする。音楽で言うとワーグナーがライトモチーフなどという言い方で,導調といった感じで使っているようである。


セザンヌの場合のモチーフもこの導調といった意味で、普通に言う絵を描く、といった意味よりも一枚の画面の最初の調子を探しに行こう、単にいい景色を探しに行こう、絵を描きに行こうということではないのである。ここのところがセザンヌの制作の独特なところで、他の画家と一線を画するところである。セザンヌの芸術をよく理解していたゴーギャンは同じく制作に出掛ける時に、さあセザンヌに行こうといったそうである。よくセザンヌの動機付けが理解できている言葉だと思う。

先日のP3号のマザンとヴァントゥー山に続いてこれも同じくP3号にアーモンドの花の美しい季節のマザンの景色を描いてみた。これなども普通で言って美しい花見気分の絵かもしれないが、自分としてはセザンヌのモチーフと同じ意味で描いてみようと思ったものである。河口湖と桜をあしらった絵のような美しさとは少し違っているかもしれない。




by papasanmazan | 2019-06-10 20:22 | 風景画 | Comments(2)
Commented by カワセミ at 2019-06-14 21:34 x
目くるめく春の訪れに戸惑う少女のような…清楚で心が洗われるような作品ですね。アーモンドの向こうの教会の赤い屋根がきいています。単なるきれいな絵と云うのではなく、厚みと深みなある味わいの深い作品です。
Commented by papasanmazan at 2019-06-17 03:07
カワセミ さん、やはり満開の花をあしらった山の風景というような画題は俗っつぽくなりがちなので、制作している途中でも自分を制御していかなければならないと思います。へたに筆が走ったりして、おのれまでが画面の中につかってしまわないように見張っていかなければなりません。それほど人間の弱さを感じたりもします。
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