チェスの静物


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F12号のキャンバスにチェスを使った静物画を描いてみた。大きな布をあしらって、ピッコロ、パイプ、ワイン杯それに三つのザクロを組み合わせた静物画である。以前はよくこのチェスをモチーフに選んで幾何的な模様を画面構成に利用したものである。特に若い頃は幾何模様や抽象的な直線、曲線を打ち出したような絵を描いていた時期もある。

それというのも源氏絵巻に代表されるような日本的なものに随分と魅力を感じていたからである。西洋の油絵の本質である世界と物質という考えとはまったく違った日本の美、それは物から離れた抽象美だと気づいていた。どうにかそういった考えを自分の油彩に取り入れていこうとかなり悪戦苦闘したものである。


しかしそうした無理な仕事にはやがて限界が現れ、描くもの、描くもの、すべてにスランプにおちいる結果になってしまった。それを打ち破るには謙虚に自然と向かい合って、自分の頭の中だけの仕事ではなく、物をしっかりと取り込んだ仕事が必要であった。その時以来自然のなかでイーゼルをたてて風景を描く姿勢が現在まで続いている。しかし自分の中に抽象作用が現れてくるのはやはり日本人なのだからか、または若い頃没頭した鉄斎、雪舟、宗達などの影響がまだまだ残っているからなのだろうか。




by papasanmazan | 2019-01-16 01:45 | 静物画 | Comments(2)
Commented by カワセミ at 2019-01-20 15:27 x
日本には茶道や華道をはじめ何々道と云って、余分なものをそぎ落とした美が、生活の中で普通に息づいていた。以前訪れた、江戸時代の茶室の壁に施されていた市松模様が、すごく新鮮だったのを思いだします。時代は仮想の世界に突入し、いよいよ付いて行けなくなってきました。知覚が呼び覚まされるような作品に出合うとホッとします。
Commented by papasanmazan at 2019-01-21 12:54
カワセミさん、確かに身の回りに現代の生活が押し寄せてきていて、そのスピードに追いついていけないのが現状です。でも自分は自分だとはっきり考えておけば、案外もっと大切な、何か時代を乗り越えた世界の中で生きていけるのではないでしょうか。本質的な美は存在します。最近ドストエフスキーの白痴を読み返して、若い頃と全然違ったものを感じました。ドストエフスキーがもっと身近に感じられるのです。
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