先日のバルーの松と城に続いて、対になるM25号、バルーの村とヴァントゥー山の絵も出来上がった。アトリエで二枚の作品をそれぞれ額縁に入れて眺めているところである。独立した一枚の作品として制作していたが、やはり並べてみていると、以前から対称的な構図として考えていただけに、二枚一組も悪くないと思う。
まだ二十歳代半ば過ぎの頃、京都の市立美術館で鉄斎の大展覧会が催され、莫大な数の作品が並べられた.この期を逃してはならじ、と京都にしげしげと通って勉強させてもらった。その時に観た、阿倍仲麻呂明州望月図と円通大師呉門隠栖図、これは鉄斎七十九歳の時の作品で、6曲1双の屏風絵である。この左右対称になる作品が忘れられずにいて、二枚のバルーの絵の制作につながってきているわけである。
この鉄斎七十九歳の6曲1双の屏風絵を境にして八十九歳で亡くなるまでの晩年の傑作群が制作されていく、これは鉄斎にとってひとつのエポックであったといって作品である。八十五歳を過ぎた最晩年の作品と見比べると、まだこの6曲1双の屏風絵には若さが残り、絵としても硬さが見られる、しかし名品には違いない。ここから真の鉄斎が始まっていく、といっても過言ではないだろう。
この経験が必要なのである、絶対絵画にいたるまでの一つのエポックを自分で切り開いていかなければならない、そんなことを考えながら出来上がったバルーの二枚の絵を眺めている。