旧作ヴナスクのプラタナス


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冬の間の制作もようやく一段落して、これから春にかけてもかなり制作の予定が立っている。出来ればもう少し建物などを取り入れた風景なども試みたいと思っている。

それからこの頃、旧作、特に昨年のものだが、一応完成させ、サイン済みの作品にも再び目を向けてみたりしている。その時はまずまずそれでよしとしていたものだが、どうもまだ完全に納得がいかない心情で、日本の個展にも飾らなかったものがかなりの枚数である。その内の何点かをぢっと夜中に見つめていると段々に見えてくるものがある。

単に見ているのではなく、見つめていると、普通に見ているというのではなく。見えてくる、という直覚につながってくる。ものを見るということは認識の単純なものかもしれないが、見える、ということは創造につながる直覚である。自分の描いた作品を見ていて、なおその上に画面が見えてくるのである。

不思議な経験であって、これはいままでになかったことである。このことはもっと突き詰めて考えてみなければならないし、自分の中では特にプラトンの想起の説につながっていくところである。このあたりは今後もっと文章にもしたほうがいいと思う。


とりあえず一枚の旧作を出してみる。昨年の2月末に完成したヴナスクのプラタナスという作品、F15 号を再び現場に持っていって加筆してみた。


じっと見つめていて全体としてはかなり良く描き込めていたと思ったのだがメリハリが足りない。プラタナスの立っている実在感が際立っていない、それは遠景の水平感が足りないからである、と気づいたのである。総合して色彩を色彩として独立させてもヴァルールが外れないだけの力はついてきているので、思い切った仕事を進めてみるようにしたものである。自身を持って制作すればよいのだと思っている。

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by papasanmazan | 2018-03-21 02:10 | 風景画 | Comments(2)
Commented by カワセミ at 2018-03-28 23:05 x
すてきですね~ どこがどう変わったのか私には全然分かりませんが、解き放たれたような開放感と以前とは違う風が吹いているのを感じます。
Commented by papasanmazan at 2018-03-29 15:27
カワセミ さん、こうして写真を掲載しているのではやはり実感が伝わらないようで、実際の作品はもっと加筆前後で変わりがありました。ピッタリと絵の具がキャンバスに吸い付いている感じが強くなっています。
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