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ヴナスクの村遠望






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ヴナスクの村をかなり離れたところから見た風景である。季節を変えてこの風景を幾枚かは描いてきたが真冬の色彩がなかなかきれいである。手前にはサクランボウの果樹園が連なって、葉っぱを落とした枝々が赤く広がった色面が魅力的である。これが夏ともなると緑の連続で、色彩的には冬のほうが多彩である。今回はM10号のキャンバスを使った。


制作に関してこのごろ自分ながらに変わったと思うことが一つある。それはほとんど完成というときになると以前はいかにも慎重に筆を運んで、これでようやく完成した、という終わり方をしていたのが、最近は仕上げの段階に近づくにつれだんだんと筆使いが速くなり、割合に細かいところなどにこだわらずに、勢いがついた状態で完成させていくようになって来た。ちょっとはたから見ると慎重さに欠けた感じがするかもしれないが、自分としては制作の始まりのリズム以上の新鮮さが心の中から筆に伝わっていくようで、今は大変に制作が楽しいのである。以前は完成時は気の重いような、息の抜けないような制作だったが、随分変わってきたものである。


余談ではあるが文楽の一つの劇の終わりのあたり、要するにクライマックスのところを段切りという。ここは重要な見せ場であるから実力のある太夫と三味線が勤めるが、そのなかでも最も最後の演奏のところは、これが最後、ということで曲まわしも速くなり、音も派手になってくる。とくに三味線弾きなどには腕の見せ所で、大変にリズミカルになってくる。これが下手な三味線弾きだとまったく盛り上がりに欠いた終わり方になって、全てがだいなしになってしまうのである。これでは観客を満足させるわけにもいかず、昔の大阪の客なんかだと、金かえせ、とくるところである。


この段切りのコツ、これが絵画の制作の終わりにあたって、何とか生かせないかと常々考えていたのである。現在の制作で少し思いが生かせるようになってきた感がある。

by papasanmazan | 2018-01-25 01:44 | 風景画 | Comments(2)
Commented by ono7919 at 2018-02-01 22:17
この作品を拝見して 色の関係から来る全体の調和、画面に並行して二次元性を保持する…の意味がはっきり理解できました。自然が提示した純粋な色の組み合わせが切り立った丘になり家になり果樹園になる。リズミカルなタッチが繰り出す色彩のハーモニーは、画面にバランスのとれた緊張感をもたらし、どの箇所を切り取っても本当にきれいでため息が出ます。
Commented by papasanmazan at 2018-02-05 03:36
ono7919さん、二次元性ということが理解できると絵画の見方が大変に幅広く、しかも的確になってきます。まず言葉に頼らないこと、目を充分に使ってその作品を見ることです。そうするとその作品の純粋度が分かってきます。言葉にならない分だけその作品は純粋だといえます、そういうことをタブローの概念、画面の概念と考えます。そういう作品は壁の上で独立しています。
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