蘭と楽器

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あまり世話もしないのに毎年この時期になるとアトリエの蘭の花が咲いてくれる。花があるとなんとなく和やんでいいが静物画のモチーフにも役立ってくれる。コルネット、フルート、クラリネットそしてピッコロは立ててF15号のキャンバスに構成してみた。

以前よりは余程ブロークンな考えになってきていて、蘭の葉っぱなどはほとんど形を与えずに色の関係だけでおさめていくようになっている。それぞれの楽器についてもあまり細部の形などにはとらわれないようにしてみた。最低限の説明だけで済ませようとしている画面である。

ただあまり目立たないかもしれないが背景のブルーの色調には大いに手をやいて、最後まで難しかった。バックの色は青色ですね、といわれても、はい、コバルトブルーとウルトラマリンを主に使って描いています、と単純には答えられない問題がある。

1,895―96年ごろのセザンヌの人物画に≪数珠を持つ女≫というのがある。くすんだ青と褐色を背景に老婆が両手で数珠を握りしめて、少し前かがみのポーズで深い色の服を着て静止している。何といっても少し陰鬱な印象である。

セザンヌはこの制作の間じゅうフローベールの小説、ボヴァリー夫人を読んでいたそうである。何かその全体をおおっている色の調子をととのえていくのにどうしてもボヴァリー夫人が欠かせなかったということらしい。セザンヌは盛んにタンペラマンという言葉を使う。自分にはほんの少しのタンペラマン(気質)がある、印象派の画家にはそのタンペラマンが足らないのだ、と言っている。決して才能、ということば(タランtalent)と言ってるわけではない。

そのフローベールはフローベールで、小説を書くのにさいしてこれまた盛んに文体だ、文体だという。これも決して才能だとはいわない。

これは私の個人的な考えだが、このタンペラマンと文体に何か共通したひきあうものがあるような気がしてならないのである。両者の制作を支えているもの、他人には見えないが作家それぞれが持っている制作の根底になるようなものがあるのだと思う。ほとんど説明不可能なものなのだろう。

このボヴァリー夫人という小説に関してフランス文芸批評の第一人者と言っていいサント・ブーヴにも立派な批評文がある。これはセザンヌの模糊とした背景とは違っていたって整然とした文章である。登場人物の心理や場面、場面の分析など見事にその小説をとらえている。なるほどと頭をさげるしかないような評論である。しかしその批評文を読み終わってなるほどと感心はするのだが何か物足らないのではないかと感じてしまう。むしろセザンヌの青色がかった、褐色の画面の曖昧模糊としたほうが今の私には納得しやすいのである。ここに説明と描写の違いがあると言っていいのではないだろうか。

セザンヌの画面には細かく説明したようなところはない、それに反してサント・ブーヴの批評は理路整然としているが説明的だと思う。フローベールならこのサント・ブーヴの批評文に対して文体が欠けていると言うかもしれない。

蘭や楽器の背景の青の色調を作りながら盛んにこんな考えが浮かんだのである。


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by papasanmazan | 2016-05-14 18:18 | 静物画 | Comments(2)
Commented by みみずく at 2016-05-22 22:38 x
難しい事は分からないが、すべてのモチーフを引き立てながら、画面を清楚に保っているこの青は、単なる青でない事が明白だ。すばらしい!
Commented by papasanmazan at 2016-05-23 16:34
みみずくさん、油彩なら油絵具を使って絵を描いていく、単純にそういうことなのでしょうが、絵の具を使うというのが大変に難しいことだといえそうです。絵具の色そのままのナマな感じがいつまでも消えない、ということがなかなか解消できないからです。画面のなかの色、ということが本当に理解されなければいつまでも同じところに立ち止まってしまいます。
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