オークルの小さな丘

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赤土の森を描くのは自分の一つのバロメーターになっていて、トレーニングでもあり日記でもあり芸術感の確かめでもある。個展での一時帰国などで少し制作期間がとだえたあとにはまずこの赤土の森に描きにいくのが常である。それにくわえてまだまだ描きたいと思う場所が見つかっている。

F12号に描いた小さな赤土の丘である。この作品はかなり気に入っている。

美術は形と色の二つの要素で成り立っている、そのうちの形についてあらためて最近分かってきたことがある。普通に言って形をとっていくというのは対象物の輪郭にせまっていったり、またもう少し高度に画面の動きにあわせて正確な形に変形を与えていったりすることである。形を写す、形を作るといった言葉が相応するだろう。

しかし最近その対象物から離れた形というものがあるということに気がつき始めたのである。対象物から離れたもの、ちょっと考えると存在しないものを空想でつけくわえてゆくように思われるかもしれないが決してそうではない。画家なら画家、自分なら自分の中に必ず存在するものである。

大切なのは外にあるのではない、中にあるという点である。中にある、だから他者の目には見えないものであるが自分には見えてくる、そういった形である。

若いころからずっと考え、追い求めていた問題がいよいよ解けてきたようである。禅に求めていたもの、聖書に問うていたものがようやくこの中の形という言葉に集約されてきた感じがする。

神が光あれ、といった時の形は中の形である。父母が生まれる前にお前がいたのはどこなのか、その問いの形は中にある。セザンヌが自分は絵画のプリミティブでありたいと言ったのも中の形を追い求めている言葉である、決してアンリー・ルッソーのような素朴派の絵のことを言っている訳ではない。

これが大切な解くカギである、自分の中というのは時間・空間を離れたところである、しかも自分は絶えず時間・空間の中に制約されている。その制約されたところから制約を解き放つと一つの形が現れる。


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by papasanmazan | 2016-05-03 18:38 | 風景画 | Comments(2)
Commented by みみずく at 2016-05-06 23:21 x
理屈ではなくいいと思った。難しい事は分からないが、何かしら引き込まれて目が離せない作品だ。明度の高いイエローが使われているのに、寧ろ目は奥へ奥へと吸い込まれ、その色彩の妙に息を呑む思いがする。
Commented by papasanmazan at 2016-05-08 17:38
みみずくさん、どうにか言葉で自分の考えなり感覚を説明できればいいのでしょうが、やはり絵画の中でしか表現できないような昨今です。とくに過渡期とでもいうのでしょうか、今までとは違った制作に向かいつつあるような気がしています。
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