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チェーホフの本(完成)

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褐色のテーブルの上にレモン、パイプ、小さな砂糖つぼ、幾枚かのカード、そしてチェーホフ全集の一冊を組み合わせてF3号に描いてみた静物である。背景は暖炉の一部を切り取ったところを画面におさめ、テーブルやパイプなどとともに暗い色調である。確かに暗い色調ではあるが、そのなかに色面の動きを与えてみたかった。寒色の導入もやってみたかった、そしててそれなりに上手くおさまったのではないかと思っている。

絵だとか、画面だとかいってもその程度の発想である。重い色階に対してカードの白やレモン、本の背表紙のピンクをつかって色のぬけを作っていこうとするだけである。別にそこにチェーホフの思想が盛込まれるわけでも、厭世観がただようようなものにしようというような意図があるわけでもない、ただの一つの絵である。それで充分である。観る人が自分なりの意見をもったり、自分なりのイメージをだぶらせるのは全くの自由であるし、大いに結構なことだが、描くほうの人間はただ単に眼を使い、手を使い、頭を使って描いているだけである。そして出来上がってくる画面を注意深く自分で見つめているだけなのである。チェーホフの本は余暇に楽しんでいるだけのことである。

来年の二月にスペインの美術館に行けることになった。もうプラドだけしかない、そしてヴェラスケスだけを空想している。若い時からヴェラスケスはあこがれであった。あの画面には今も言ったところの、ただたんに画家の腕だけがある、そこには何も思わせぶりなものがない、皆無である、そういった質の絵画は徹底してヴェラスケスだけだと思ってきた。このF3号の小さな静物画を描きながらさかんに若い時から考えてきたことを思い出したのである。論語にあるように、時にしてまた習う、楽しからづや。時にしてというのはタイムリーということだそうだ。



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by papasanmazan | 2013-12-27 20:26 | 静物画 | Comments(2)
Commented by みみずく at 2013-12-28 22:36 x
不可無く自然に収まった画面が見ていて心地よい。展覧会などで題名を先に見るとそれに惑わされることがある。また説明文を読んでしまうとどうしてもそのように見ようとしてしまうが、先入観のない自分の目で作品を見るにも訓練がいるようだ。この画面を自分の目で見るとまず机に目がいった。平面を複雑な色で見事に表現された名脇役のような存在。カードやレモン、砂糖壺の色が軽やかに画面をいろどり、やはり主役は本かパイプ?
Commented by papasanmazan at 2013-12-29 00:36
みみずくさん、パイプは上手く、軽く、楽に出来ました。てこずったのはテーブルの奥の輪郭線の決め方でした。あるいはテーブルの面に転調したり、線として独立したり、背景にとけ込んだり、右往左往した結果がこの画面です。
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