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松とヴァントゥー山(第二段階)

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第一段階のときから既に現場で三度制作を続けたのがこの時点の絵である。午前の光を選んで描いている。どのくらいまで進んでいるのだろうか,全体としては悪くないと思う。ヴァルールも整ってきているし,色の配分も穏やかにとけ込んでいる。形もヴァランスも及第だろう。しかし何かが足りない、そればかりが気になってしかたがないのである。

この秋、大阪にいる時に堀辰雄の小説、菜穂子を読んだ。その小説はそれとして,堀辰雄自身がこの小説を書くにあたって小さな説明文を独立して書いていたものがあった。今その本が手元にないのでそのまま伝えられないが、要は自分としては本格的な小説となること、その他筋立てや構成をいろいろと説明しながら、そういった全てのことを進めていくのは自分の文体である、と断っていた。

この文体という言葉に非常に魅かれたのである。何も文章が大切だとか、際立った文章を描こうとかいうのではない、単に文体といっているのである。

そういえばチェーホフとかフローベールなどもよく文体について論じる作家である。フローベールなどはほとんど小説を読むというよりも文体を読む、といった感がある。それほど文体が確固としているようである、たとえ翻訳で読んでいてもそういったところがうかがえる。ためしにその弟子のモーパッサンと読み比べてみればいい、モーパッサンのものには筋の面白さ、多様さ,その他才気は大いに感じるが文体というものはほとんど感じられないのである。

その堀辰雄のいう文体、これに匹敵する画家の言葉はないものだろうか、これが絶えず今の私にはひっかかっているのである、そして現在のこの制作途中の12号の絵に欠けているものは,この文体と同じ意味のものだと思っている。強いていえば絵の性格、画面の性格が足りないのである。この言葉が自分なりにみつかれば制作も少しは楽になるだろうと思っている。



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by papasanmazan | 2013-12-15 20:48 | 風景画 | Comments(0)
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