人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ひまわり畑(完成)

ひまわり畑(完成)_c0236929_19131274.jpg


一気加勢にとはいえないが集中力は保てながら、ようやくこのF10号のひまわり畑も完成した。花瓶に挿した花の静物がとはまた違った画面になってはいるが,私としては実は表現としては同じことである。小林秀雄の言葉にこんなことを言っている,「批評とは他人の作品をダシにして,自己を語ることである。」

私もこの言葉を借りて言うなら,ひまわり畑をダシにして自分の感覚を表現してみたかった。なるほどひまわりの花がワンサと目の前にあり,限りなく黄色と緑色が続いている畑なのだが,それにとらわれるということも最近は少なくなってきた。相手が花瓶にさしたひまわりの花であっても同じことである。

一人の人間として花が美しく。又延々と続く花畑にみとれるというのはいうまでもないことである。それはそうなのだが,絵を描く時にそればかりにこだわってしまうということから離れるというのも事実なのである。自然は自然そのままとして感じ,画面は画面として造り上げる,そういった方向になりつつあるのだろうか。



にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村
by papasanmazan | 2013-07-20 19:01 | 風景画 | Comments(2)
Commented by みみずく at 2013-07-22 16:16
又 小林秀雄はこんなことも言っている。「芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない 実践である。作品は己の立てた里程標にすぎない、重要なのは歩く事である。この里程標を見る人々が、その効果によって何を感じ何処へいくかは、与り知らぬところである。」と・・・ 最近の画伯の作品からは正にそのことを感じる。我々はその画伯の情熱と生き生きとした痕跡に未来を感じ進化していく画面に期待を込めるのである。
Commented by papasanmazan at 2013-07-22 19:11
みみずくさん,引用されている小林秀雄の言葉,全くその通りだと思います。非常にわがままなように思われるかもしれませんが,芸術家の仕事はそういったものなんでしょう,自分で自分の作品を判断していくのだし,自分の内面を確かめてもいかなければならないと思います。
<< 大きなひまわり畑(第一段階) ひまわり畑(第三段階) >>