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梨とリンゴ(第一段階)

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ものをあくまで大事にしながら、そのものから離れる、なんとか制作のうえでそれが実現出来ないものか。これからしばらくはこの辺りをウロウロしそうである。森鴎外の、歴史そのままと歴史は慣れにも一脈通じるものがあるだろうか。創作ということを考えると絶えずそういった問題にぶつかるだろうし、それの解決に個性というものがかかわってくるのだろう。

島崎藤村の随筆「浅草だより」のなかに「ミレエの言葉」というのがある。画家のミレーのことなのだが、「多く知り、多く忘れたる後にあらざれば、良き作は得難し」とはミレエの言葉である。実に至言だ。ミレエの絵画が示す素朴と、自然とは、決して偶然に達し得られたものではないのだと思う、とある。多く知り、多く忘れたる後、これである。これが自分の制作に表れればいいのであろう。

ゴッホは思想上で大変ミレーを尊敬していた人である。農民が土を耕す、そういった働くという意味を絵画の上でしっかりと確立させていくミレーの制作の一生は、ゴッホの波乱にとんだ悲劇の人生に比較もされ引用もされるだろう。もう何年か前になるが、パリのオルセー美術館で、ミレーとゴッホという特別展が開かれていた。なかなか充実した展覧会で、この時はいつも見慣れている両者の作品群もなにか際立ったものが感じられて、今でも印象は鮮明である。

あれこれ考えながらF4号に梨とリンゴの静物も試してみている。以前読んだ本などでも、今頃になってその大切さが分かったりすることもあるようだ。

by papasanmazan | 2012-05-15 16:20 | 静物画 | Comments(0)
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