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岩と松とキャバンヌ(第四段階)

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これは長く時間のかかる制作になるだろうとは描きはじめから思っていたが、案の定である。難しい主題だからというだけではなく、私自身の心理的な変化によるのかもしれない。別に心理的といっても何が変化したわけでもないのだが、言葉でいうと、風景を読む、ということがとみに気持ちの中に表れてくるようになってきたのに気づいている。

たとえばある風景に接して、ああ美しい風景だとか、これは絵になる風景だとはよく思うところである。この二つを合わせると一般的な言い方をすると、これは絵のように美しい風景だ、ということになる。そして旅先の名所などの魅力になっていることが多いようである。またビューポイントなどという言葉もある。

私の今いわんとする風景を読む、というのはそういった美しさということとは違った風景との接し方である。それはその風景が自分にとって意味を持つものであるのか、画家である自分として意味のある絵になる風景なのかどうか、それを読み取ろうとする心理が働きだしている、ということである。

なるほど、素直に、理屈っぽく考えないで描けばいいではないかとも思うのだが、どうもそこに自分が関わってくる意味が重要な気がしてならないのである。現在のこのキャバンヌの絵bなどもそうである。普通に言って美しくも何ともない風景である、しかし画面にするのには私には大いに意味、意義のあるモチーフである。モチーフとは対象でもあるしモチベーションの意味にもなる。

by papasanmazan | 2012-04-03 12:46 | 風景画 | Comments(2)
Commented by ono7919 at 2012-04-04 19:00 x
画伯のように自分がどうしたいかと言うことを、言葉に置き換える事のの大切さが、ブログを拝見していてよくわかるようになった。自分のやりたいことが見えてくるとそれに向かっていけるからだ。だがその思いを言葉に直すことが又難しい・・・
Commented by papasanmazan at 2012-04-04 19:26
ono7919さん、物事を理解するのは自分なりの言葉だと思います。たとえそれが他人には伝わらなくても自分には必要だし、貴重なものだと思うのです。先日も犬の散歩の途中、橋は流れて、水は流れず、という禅の言葉がようやく解けました。自分なりの理解だと思います。しかしそれによって世界は全く広がります。
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