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少女像と花




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よく静物画の制作に使っている少女の像と,アトリエに咲いている鉢植えのポインセチアなどを組み合わせてF10号のキャンバスに仕事をしてみた。何度も描いているこの少女像だが、以前から下から見上げた姿がいいと思っていた。余りそういった構図を考えたこともなかったのだが今回は初めてフロアーに座り込んで、うんと低い位置から一枚の静物画を描いたわけである。

映画監督の小津安二郎の撮影で、ローアングルというのは有名である。ほとんど床下から舞台を眺めたような設定で映画の撮影をするのである。配置された人物や小道具などがまるでピックアップされたような感じに浮きだされてくるようである。それに加えて垂直、水平の要素を強調した画面はまさしく映画の巨匠の名に恥じない堂々たる出来である。どの映画だったかは忘れたが台所に酒瓶一本置いてある場面に、その置き方の厳密なのに驚いたことがあった。

静物画の物の置き方もそうありたいものである。低い位置からの少女像の表情を引き立たせるのに花や布、小さな砂糖つぼなどを色彩の取り合わせや画面の流れを考えながら制作を続けたが、置かれた物の部分よりも案外背景の処理が難しかった。こういったところは出来るだけアッサリとさせたいのだが、かえって描き込まないようにと思う分、難しさを感じる。

# by papasanmazan | 2019-05-21 22:47 | 静物画 | Comments(0)

野の花






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春が過ぎると野原のあちらこちらに野草が咲き乱れている。我が家の前の空き地にも木陰などに色とりどりの花が見られて、ちょっと気をつけただけでもかなりの種類があり、いくつかを取り合わせてスケッチを基にパステルにしたりする。

家の庭などだとそのままパステルを持ち出しての戸外制作になるが、アトリエでの制作も自分の趣向を踏まえていけるのでこれも楽しい仕事である。以前は力みかえったようなパステルの扱いだったが、最近はかなり柔らかく使えるようになって、指も大分らくになってきた。

小さなグレー地の画面に黄色と赤、紫の野草をおさめてみた。縦に花を配置しながらその繰り返しのリズムで目線を横にひっぱっていきたかった。

# by papasanmazan | 2019-05-20 00:55 | パステル | Comments(0)

キャロンの教会


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我が家から車で10分位のところにキャロンの村がある。最近はこの村でよく仕事をしている。バルーにある城や、岩山にへばりついているロック・アルリックの村などを描きに行くときには必ずこのキャロンを通るので、以前から気になっている村ではあった。

建物が上下に重なり合いながら、鐘楼や教会の連なりが横への変化に視線をひいて、村全体のマッスがなかなかに重厚である。こういうのを本当の重層構造といっていいのだと思う。新しい都市の、上へ、上へ、というのではなく、地面から生え上がっていくような感じである。そしてそこにはいかにも人の生活がある、土着というものだろう。

今度はこの教会にうんと近づいて、縦の流れだけを写し出す、見上げたところにはほとんど石の壁だけといったようなものを、これもうんと小さなF0号のキャンバスにおさめてみた。

大きな対象を手のひらほどのものに表現する、ちょっと気を衒ったやり方かもしれないが、描いていて大変に面白かった。






# by papasanmazan | 2019-05-15 11:07 | 小さな絵 | Comments(4)

キリストの像




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アトリエに置いてあるキリストの像を静物画にしてみた。F10号のキャンバスを縦型に使って、本を二冊と背景の布、鉢植えの植物をあしらって描き始めた。本がなんとなく聖書を暗示できればいいと思って使ってみたのだが、別に宗教的な寓意などはない。

制作の進行とともに何か構成的な要素がほしくなってきた。画面が布や葉っぱの繰り返しが目立ちすぎて肝心のキリスト像がシャンと存在してこないのである。しばらく考え込んでいたが、思いついたのが十字架を添えて、その直線を構成に組み込んでいこうとしてみたのである。それからの制作は大変に気乗りのしたものになった。ただし十字架にも寓意はない、またそれほど目立つようにも描かずにしておいた。

仏教、特に禅に関する本に比べてキリスト経関係の本は今まで余り読まないでいる。関心は高まるのだが、よく理解できるようになったのは内村鑑三の聖書註解全集を読んでからである。特にロマ書の研究がよかった。カール・バルトのロマ書研究もいいと聞くがまだ読まずにいる。

# by papasanmazan | 2019-05-12 19:20 | 静物画 | Comments(0)

赤い山と笠松





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前作のP20号に続いてF12号の油彩である。午前中にP20号、昼からF12号を描いた。一週間の予約をしていったのだが、とにかく雨と強風にみまわれて、もう二日延長してようやくこの二点を完成させてきた。

地中海沿いの、いわゆるコート・ダ・ジュールあたりになると笠松が多く見られてくる。フランス語でいうとパラソル型の松というが、その笠松が連なって群を成したところの姿はなんとも趣がある。これがもっと先に行ってローマの松になる。

三年位前にはサン・トロッペの海沿いの笠松を描いたことがあるが、このロックブリューヌも笠松があちこちに見られ、それが赤い山と対比してまことに美しい。山のすそを笠松が埋め尽くしているような場所を見つけて制作してみた。

かなり色彩を計量していかないと赤と緑の対比がケバケバしくなりそうである。岩を彩る赤も笠松の澄んだ緑も、それぞれの色自体としてはきれいだが、画面全体の働きとしては充分にコントロールしていかなければならない。

# by papasanmazan | 2019-05-04 15:39 | 風景画 | Comments(2)

赤い岩山












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毎年春、秋に出かけるヴァカンス、今年も家内と二人で地中海の近くで過ごしてきた。一週間の予定だったが途中二日間が雨、仕方なく九日間に延長して二枚の油彩を描いてきた。

以前から気づいていた場所で、昨年秋のヴァカンスからの帰りに特にこの場所を選んでおいた。また日帰りで制作場所を探しにも来ていたのでなんとかP20号とF12号を終えることが出来た。エステレル山塊のはずれとでもいうのか、ロックブリューヌという赤い岩山である。


今まで赤い岩や森などを描いてきたその延長線にあるとでもいえる制作で、自分としても心待ちにしていたヴァカンスであった。あいにくの天候で、雨や強風にたたられたが、制作としてはよく集中できた作品である。


赤い山と頭にこびりついたモチーフであったが、描いているうちにほとんど山という観念は消え失せてしまった。出てきたのは岩である。山の全容などよりも眼前には岩だけになってしまった。まるで達磨の面壁のような気持ちである。フランスにいるのやら少林寺にいるのやら分からない、これは新しい経験であった。これはP20号のキャンバスで、赤の色をケバケバしく見せないように心がけた。

# by papasanmazan | 2019-04-30 20:05 | 風景画 | Comments(0)

マルモールの農家


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マルモールという村のはずれに大変大きくて古い農家がある。もちろん石造りでしっかりとした建物である。部分的に外壁などを新しくしてあって、それほど見た目には変哲はないが、構造的にはどっしりしていて、以前から描いてみたいものの一つだった。


ちょうど新緑の頃で、畑の麦の柔らかい緑の色なども目に飛び込んできて、色彩の対比にも絵心をそそるものがある。F10号のキャンバスに描いてみた。



こういった造形的に強い建物を描くのにあまり細かい表現は不必要だと気付くようになった。大きいところはそのまま大きく出してう行く,それで充分である。細やかな色の変化や,階調の昇り降りも部分的に必要ならば加えていくが、大きくて済むところは大きく出していくべきである。年齢とともに制作の方法もずいぶん楽な方に流れてきているのかもしれない。





# by papasanmazan | 2019-04-23 00:52 | Comments(2)

キャロンの村


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キャロンの建物に少しずつ慣れて、つかみ出してきたので村の全体を描いてみようと思った。以前買ったフランス製の額にあわせて、大きさは12号大、横長の特寸で、62×41cmのキャンバスである。


教会の建物を左に倒しながら画面右に村の建物をひとかたまりに考えながら、それを右に傾けて、動きをつけながら、全体としては扇型に目線を引っ張っていくように心がけた配置である。建物を主にするといっても個々の建物が重要にはならずに、あくまでも全体の流れを考えてみたかった。


このキャンバスの切れている右側に鐘楼の建物が位置するのだが、それまで収めてしまうとまるで村の案内図にでもなりそうで、全く俗っぽくなってしまいそうなのであえてこの切り取った構図にしてみた作品である。

# by papasanmazan | 2019-04-12 18:29 | 風景画 | Comments(2)

キャロンの教会





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風景画を描くといっても建物を主題にするのは今まで余り考えなかったことである。山や川、海、空などいわゆる自然の風景の中にとけこんでいる人工の建物を、いわば添え物として描くようなことが多かった。また村や町の家並み、全景といった感じで建物を捉えようとするので、遠くから見た風景が多かったのである。


フランスに限らずヨーロッパにはどこにでも教会は見受けられるが、その建物に接してもあまり描く興味は起こらなかったのだが、今回は先日のキャロンの鐘楼に続いてキャロンの教会である。といってもいわゆる教会らしく見える正面から見たものではなく、真横から見上げて、人家も加えた構成的な風景である。直線の織り成す角度の構成に惹かれたもので。P10号の大きさの絵にしてみた。


建物の重なりだけではなく緑の部分も入ってくるが、やはり目を休ませる意味ではそういった息抜きも必要なのかもしれない。少し甘い画面になるかもしれないが仕方ないと思う。

# by papasanmazan | 2019-04-06 12:06 | 風景画 | Comments(0)

キャロンの鐘楼





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建物を主題にして制作しようと、あちこちの村などを見直したり、探し回ったりしているのだが、近くのキャロンの村の重なり合って、せりあがったような家々の構造が面白く、制作もそこにばかり出かけている。

おまけにこの村の鐘楼がなかなか遠くから見ても魅力があって、建物との組み合わせも描いてみたくなった。小さな画面を選んでF3号のキャンバスにしてみた。このキャロンだけではなく、多くのプロヴァンスの村の鐘楼は特徴的で、一つの見所である。


かなり近寄ったところにイーゼルを立てて、グンと見上げた角度に仕上げてみた。以前からこのキャロンの村を通ってあちこちに出かけていて、この建物や教会、鐘楼などは見慣れたものだったのだが、途中で駐車して畑の中をつききって絵の描ける場所までたどり着けるのに気がつかなかった。一つ場所が見つかるとあとから、あとから絵が出来そうである。

# by papasanmazan | 2019-04-04 22:11 | 風景画 | Comments(2)

松林の中の小屋





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久しぶりに門番さんの小屋のある風景を描きに行った。以前にも何点か描いていたのだが、イーゼルを立てるのに新しい場所が見つかって、今回はP15号のキャンバスを選んだ。


この作品はブドウ畑の中で描いたものである。ぶどうの木も古くなると駄目なようで、何年かに一度は植え替えているのをよく見かける。古くなった木を全部抜いた後、畑全体を耕しなおして新しい苗を規則正しい間隔で植えている。


この畑も新しくなって、今まで入れなかった所にちょうど絵を描くのに適した場所が見つかったので、角度を変えて制作したものである。描く位置もかわったが自分の心も随分変わってきたようである。モチーフに対する感覚、制作の集中度の違いが自分自身よく分かる。


最近の制作全般で何か自信めいた予言のようなものが出てきて、一つの到達点が夢でもないような気がしている。

# by papasanmazan | 2019-03-30 11:17 | 風景画 | Comments(0)

五つのリンゴ




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先日投稿した三つのリンゴ(F3号)に続いて、やはり縦型にキャンバスをつかって、今度は少し大きくF6号にリンゴを五つ収めた静物画を描いてみた。背景に前作とおなじくチェックの柄で、これも少し趣向を変えて無彩色の白、灰、黒の布を利用した。


三っつのリンゴが出来上がった時からもっと垂直に動きのあるリンゴの構成を考えていたのでこの形はおおよそ予想していたのだが、テーブルがわりの小さな椅子の足の部分も是非構成の一部にしてみたいと思っていたので、少し気をてらった形になったかもしれないが、こういった一枚の静物の制作になった。


これくらいの意図的なものが当たり前に出来なくては、という思いがある。自分の考えを押しとうしていくのだが、今までに獲得している技術的なものを使って、あくまでも出来上がったものには苦渋のあとが残らないようにしたいものである。

# by papasanmazan | 2019-03-27 20:06 | 静物画 | Comments(2)

プロヴァンスの村




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建物と少しの松などを添えたプロヴァンスの村、キャロンの街道のあたりを描いてみた。M10号の細長い画面である。建物を一つ一つ捉えるのではなく、自然の中の流れの中の調和として考えながら、対比も与えて描きあげたものである。

色彩としてはまだ夏の強烈なものはないが、やはり澄んで純度の高いものが感じられる風景である。私としてはそこに何とか透明感を与えてみたいのである。制作としても全体をつかみながら互いの関係を徐々に明確にしていきたい。一気に描き上げるような情熱的なものはないが、じっくりと構成された隠れた強さが出ればと思っている。

# by papasanmazan | 2019-03-25 01:53 | 風景画 | Comments(0)

キャロンの家と松





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今年の一つの目標はプロヴァンスの村の建物や集落を描くことである。この地方に住んでもう15年以上になったのだが、ヴァントゥー山をはじめとしてプロヴァンスの風景を随分油彩や水彩で描いてきたが、いわゆる石造りの家を主題としたものは少なかった。


以前定期的に個展をしていたデパートの画廊から、もっとプロヴァンスらしい風景、村の中の花を飾った家々や、雰囲気のある店などの情景などの絵を描いたほうがいいといわれたことがある。パリで言ったらセーヌの川岸や凱旋門をあしらった絵、フーケッツの赤いサロンを描け、といったところだろうか。どうも私には気乗りもしないし興味のない話だった。


しかしプロヴァンスの家並みや村の集落を造形的に扱いたいとは前々から思っていた。素朴で飾りのない構造的に強いものを求めていたのである。まずはマザンから近いキャロンの家と松を並べて描いてみた、P8号のキャンバスである。

# by papasanmazan | 2019-03-21 20:12 | 風景画 | Comments(2)

バルーの松と家





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以前描いてみたもので少し気になるもの、もっと何らかの発展になるかもしれないと思われるもの、そういった画題をよく考えながら突き詰めていくのも大切なことかもしれない。新しい主題だけを求めるのではなく、常に自分と向き合っていくということを心がければ、古いとか新しいとかいうことは問題にならなくなってくるような気がする。

このブログで2017年7月14日にさかのぼってバルーの大きな松というF15号の作品を投稿したことがあるが、この構図を使ってもう一枚油彩を試してみた。特別寸法で10号より少し小さな画面である。


キャンバスを縦型に使って松の木の高さを増し、家並みももっと構築性を出すようにしてみたかった。そのほうが全体としてしまったような感じが出てくるのではないか、冗長なものが避けられるのではないか、という思いからであった。制作としてもその事前の計画とあいまって割りにキビキビと色も形も決まっていった。途中の抵抗されるような感覚も少なく、気持ちのいい進み具合だった。パステルを描いている時がこの感じに似ていると思うのだが、出来上がったものはやはり油彩の空間である。

# by papasanmazan | 2019-03-15 06:39 | 風景画 | Comments(2)

クロッカスと白いスミレ




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今年もアーモンドの花が咲いて、プロヴァンスにも春がやってきた。暖かい日が多く、いつもより花がいっせいに咲き出したような感じがする。我が家の庭にも毎年決まったように、別に植えたわけでもないのにクロッカスの花が咲く。そしてやはり庭のあちこちにスミレの花が群がって咲いている。


毎年描こう,描こうと思いながら,ついほかの制作に追われてそのままになっていた。今年はようやく小さいパステルにすることが出来た。こんなちょっとした仕事でもやってみれば結構な労力で、また出来上がってみれば楽しいものである。思い入れるようなことはことさらないはずだが、なんとなく愛おしいような気もするのである。


谷崎の細雪の中に、毎年花見の頃になって、美しく着飾った姉妹が、今年こそこれが皆で出かける最後になると思いながら,ゆく春を惜しむ、といった情景がある。惜春という言葉の持つ日本語の美しさを存分にあらわしている。こういった言葉も現代では死語になりつつあるのかもしれないが、やはり春になればみんな花見にも出かけ、暖かさを喜ぶ感情は残っているはずである。

# by papasanmazan | 2019-03-12 07:24 | パステル | Comments(0)

プロヴァンスの平野




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2015年3月3日の日付でこのブログに投稿したバルーの農家という作品と同じ場所で四年ぶりに、これも同じ構図、ほぼ同じ風景をF12号のキャンバスに描いてみた。前回はF15号だった。この場所からの見晴らしはいかにもプロヴァンスらしく、オリーブや松の緑に大地のオレンジがかった褐色などの対比が魅力である。 


前回の15号の作品を写真で見ていると、近景などはよく描き込めていると思うが遠景の処理がまだうるさく、もっとアッサリとした省略が必要だと思われる。そういう意味からも、また現場の美しさからいってももう一枚描いてみたくなったのである。


今回は少し視点を左に移して、緑の色も出来るだけ明るく抜けたように操作をしながら、全体の軽みを増そうと心がけた。油彩の重厚感を人はよく口にするが、私は透明感のあるほうが好きである。透明で、キャンバスに吸い付いたような色彩の美しさに魅力を感じている。


日本画の岩彩と違って油彩本来の透明性を大切にしたいのが制作の願いである。そこに清潔さを感じるからである。

# by papasanmazan | 2019-03-08 03:26 | 風景画 | Comments(2)

少女像の静物


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老齢のせいか夜中に目が覚める。寝付くのも速いのだが午前零時前に起き出すことが多く、たいていは本を読んだり、画集を見たりして過ごすので、この三時間位は大変貴重な時間になる。その後また熟睡して朝になる、という繰り返しの毎日である。時間をもてあますということは全くない、むしろ足りないような感じがしている。

F12号の静物画、お気に入りの少女像を使ったものが出来上がった.籠や干からびたザクロなどをあしらって構成したものだが、随分時間が掛かったものである。この制作をしている途中から、先ほど言った夜中の自由な時間にヴェラスケスの画集を集中して見ていた。この年齢になってもまだまだ勉強することは多い。

もともとヴェラスケスは大好きで、プラド美術館に行ってもヴェラスケスの作品しか見なかった、といってもいいほどである。しかもラス・メニナスと絶筆になる皇女マルガリータ、この二点だけである。

今になってやっとマルガリータの絵をとらえることができた。もしもう一度プラドに行く機会があれば完全に理解できると思う。何が分かってきたかといっても決して抽象的なことデではない、ヴェラスケスの仕事の手順というのか、集中力のことである。力のため方が理解できてきたように思うのである。以前はラス・メニナスでそれが分かってきたような気がしていたが、マルガリータのほうがずっと明快である。

この少女像の静物は随分ヴェラスケス理解が助けになった作品である。







# by papasanmazan | 2019-03-06 07:38 | 静物画 | Comments(2)

バルーの城

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2月20日に投稿した城への道とほぼ同じ場所、城へ向かっていく道のちょうど曲がり角の地点でもう一枚バルーの城を描いたF8号の油彩である。手前に葉っぱの散ったブドウ畑が広がっているのだが、地面とブドウの木の枝々が合わさった色がその日の天候で黄色になったりオレンジがかった色になったりして美しかった。


同じようなモチーフを扱ってもやはり出来上がった作品の感じはかなり違ってくる。余り感情的なものをいれたり、即興的な面白さを狙ったような作品は出来るだけ避けて、現象面だけではなく、その奥にある実在の永遠性が表せるように、と常に考えているが、なかなか実際の制作では難しい。


偶然そこにでくあわしたものや、余分だと思われるものは省略するようにしているが、それでも目の前の現象に引っ張られてしまうことがある。相手が美しいものだったらどうしても写し過ぎてしまって後悔する事しばしばである。






# by papasanmazan | 2019-03-03 04:14 | 風景画 | Comments(0)

カーネーションの花束


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先日このブログにパステルで描いたカーネーションを投稿したが、そのあとそのモデルのカーネーションがますます咲きだして本当に毎日が楽しみだった。実はこれは家内が他所からもらってきたものなのだが、余りにきれいで、なんだか見ているだけではもったいなくて、とうとうもう一枚パステルにしてみた。前作は紙の地色が明るいグレーだったが今回はうすいブルーである。


前の作品と少し違った感じにしようと思って、花瓶も入れてみようかなどと色々試したのだが、うるさくなり過ぎそうなので結局花だけの構成になった。ただし色彩の取り合わせは大分違っている。


前作のが254×180ミリ、今回のが270×206ミリで少し大きなパステル画になった。額装する時には前作が太子(タイコ)、今回のが四つ切という額に入る予定である。水彩やパステルは額縁のなかにマットといって余白になるような台紙にその作品の大きさにあわせた窓をあけて、その窓の部分に作品を収めることになる。私はいつもマットの幅を7センチ位に目安を立てている。


以前小さなリンゴ二つを水彩で描いてそれを額装したのだが、かなり大きな額に納めてマットの幅を随分大きくとったことがある。その作品をまず大阪の個展で飾ったのだが、こんなマットが大きくてはもったいない、という意見の人がいた。それを神奈川県の藤沢での個展の時にも出品したら初日に売れてしまった。買ってくださった方に聞いてみると大変シャレているとのことだった。




# by papasanmazan | 2019-02-26 23:49 | パステル | Comments(2)

三つのリンゴ


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F3号のキャンバスを縦型に使って三つのリンゴをモチーフにして静物画を描いてみた。こういった単純な組み合わせで、見た感じも、描く感じも構成的なのが大変に好きである。白い布の上に置かれたリンゴ三つ、背景に赤を主にしたチェックの布、それにテーブル代わりの小さな椅子だけが構成要素である。

アダムとイヴの楽園追放の旧約聖書から、ニュートンの万有引力、そして静物画のセザンヌ、どこまでいってもポピュラーなリンゴだが、これが描いてみるとなかなかに難しい。たとえば三つのリンゴを描くとして、三人の人間がいればそれぞれ性格も表情も違っているのと同じくリンゴにも個性はあるはずである。同じ赤い色をしていてもその赤の中にも違いを見つけるだろう。そういったそれぞれの持っているものをつなぎ合わせながらおのおのの固体としての特性も表現していく。

しかしなんと言ってもまずは三つを使っての動きをよく考えてみる,その内の二つは接し合い、重なり合わせ、残りの一つは少しその二つの群から離し気味にする、それでもってジグザグに上から下にと目線を引っ張っていく。そのためにまずはキャンバスの使い方を縦型に決めていく、狙いはただそれだけの話で、あとは実際の制作を進めていくのである







# by papasanmazan | 2019-02-23 21:10 | 静物画 | Comments(2)

城への道



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バルーの城をF12号のキャンバスを縦型に使って描いてみた。昨年の夏、この城を遠望したところや、大きな松と組み合わせたものなどを何点か描いたのだが、その時に新たに角度の違った場所を探し当てていた。今まで気づかなかった道を大きくうねると城の姿がはっきりと見えてきたのである。

他にも並行して進めていた制作がたくさんあり、個展のために日本の一時帰国もしなければならなかったので、この新しい場所での仕事はお預けになっていたものである。

大きく曲がった道を抜けて遠くの城に至る、聞けば何か寓意でもありそうに思われるが、ただ一枚のキャンバスに描かれた風景画である。カフカの難攻不落の城のようなものではない、画面一つの存在を心がけただけのものである、しかしこの画面一つという意味が私には一生をかけて実現させてゆく仕事になりつつあるような気がしている。




# by papasanmazan | 2019-02-20 09:44 | 風景画 | Comments(0)

カーネーション


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久しぶりにパステルを描いてみた。母の日にはまだ早いがアトリエにカーネーションの花が飾られていたので、それをモチーフにしてみた。今まで随分花のパステル画を描いてきたが、そういえばカーネーションは初めてである。どこにでも見かけられる一般的な花なのだが、なぜか今まで描く機会がなかった。

赤、白、橙、黄、そして紫など多色の花々を扱ったが,色面を決めるのにはまず赤と白の花の位置をあらかじめ定めて,その後で色をばらけさせるようにその他の花を配置していった。こういった多色のものを扱う場合に、中心になるコントラストをまず考えていくのも一つの制作の進め方である。


よく静物画を描こうと思うのだがモチーフをどういう具合に選んで、配置していけばいいのか迷ってしまう、という質問を受けることがあるが、まずは一番中心になるものは何か、ということを決めていくべきだと思う。それとその中心になるものをひきたたせる物、コントラストになるようなものを見つけていくこと、それには形や色の違いや調和をもとにモチーフを選択していく。そしてそれらの取り合わせが余りうるさくならないように、わざとらしくならないように考えてもいきたいところである。

そして一番これが肝心なことなのだが、とにかく自分が一番描きやすいようにモチーフを組んでいくこと、これなら最後まで描き続けられる、という感じが捕まえられてから制作にかかるようにすればいい。





# by papasanmazan | 2019-02-18 04:18 | パステル | Comments(2)

ヴナスクのプラタナス


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昨秋の芦屋での個展で、案内状にF15号のヴナスクの白樺という作品の写真を利用した。その会場での当作品の評判は一番目立つところに展示したせいもあるのだろうが、割合によかったようである。自分自身でも納得できるものであったのだが、展覧会後に家内の意見で、あの絵をもう一度描いてみたら、ということであった。

なるほど割合に落ち着いて制作したもので、あまり過不足は感じないものなのだがまだ発展するだけの余地がありそうに思えた。真冬になってからそのヴナスクの現場に出かけて想をもう一度練ってみようと試みた。せっかく新しく描くのだから少しでも構図を変えたり、キャンバスの大きさも違えたり、などと右へ行ったり左に向かったり、登ったり下ったり(ここは小高い丘になっている)、色々試してみるのだがどうにもならない。

かなりの時間をかけたのだがとうとう昨年とまったく同じ位置、まったく同じF15号ということになってしまった、そう決めるしか描けないのである。

出来上がったものは自分としては今回もこれでよし、かなりの発展がある、と満足している。





# by papasanmazan | 2019-02-14 03:36 | 風景画 | Comments(2)

冬の雑木林

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真冬の、葉を落とした木々の姿は美しい。昨年の1月30日にこのブログに投稿したF20号の冬の木々と同じ場所で今年も裸木の群れをP15号に描いてみた。昨年はその林の中で制作したが、今年は木々の並列しているところを選んで、林から距離をおいた姿をポイントにしてみた。

この並列した構図は見ていて美しいが、描く段になるとなかなか奥行きがでてこないので難しいものである。出来上がったと思っても何か平板な感じで、物足りないものがいつまでも残る、今まではそういった制作がおおかった。それにも懲りずにやはり冬になるとあの枝々や幹の交錯する姿を見ると描きたくなるのである。


まだ美大に行ってた頃、武蔵野の欅の林が立派で、描いてみたい気持ちがあってもどうすればいいのか分からなかったことを思い出す。その欅の林で忘れられないのは故堀内規次先生の絵である。静物画、漁船シリーズ、室内の人物など才気ある作品をどんどん世に出されていたが、武蔵野の欅もその中の一つのシリーズであった。通っていた美大の関係で目をかけていただき、二ヶ月に一度位、田無のご自宅のアトリエにお邪魔していた。先生は芸術家ぶったようなところはまったくなく、酒に酔った若造の私の駄法螺を、ただニコニコしながら聞いていてくださるだけだったが、若いうちはそんなにいい絵は描けないよ、絵だけではなくいろんな芸術を吸収することだ、といつも教えてくださっていた。そういう私ももう先生のなくなった年齢を越えてしまっている。








# by papasanmazan | 2019-02-10 00:05 | 風景画 | Comments(2)

白い岩(加筆)


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昨年1月5日に投稿したF15号の風景画、白い岩にほぼ一年経てから加筆した。一応制作としては完成したと思ったので、サインも入れてアトリエで時々眺めていた作品なのだが、なんとなく物足りない感があり、冬の時期までお預けの状態にしておいた。

今年の正月明けの寒い日にふたたびキャンバスを持って現場で自分の作品と実風景とをかわるがわる見直してみた。実風景は変わることはないかもしれないが、自分の見る目は相当に違ってきているように思う。

フランス語でよくイマージュという言葉をつかう。英語のイメージに近い言葉かもしれないが、日本語のイメージにあたる印象といった意味よりもフランス語のイマージュは画像に近い意味があるように思われる。印象という言葉の持つ、少し雰囲気的な、心境的な感覚ではなく、もっと明確な,視覚の要素の強い言葉がイマージュのように思われる。もっともフランス人全部が意識的にそういう風に使っているわけではないだろうが、時折聞かれる言葉である。

現場で実際の風景を眺めながら、昨年仕上げた画面を点検していると、なるほどここはこうして、こういう考えでこう描いたのだな、とは思い当たるのだが、今いったイマージュという意味で不足しているものがある。要するに表現できていないのである。

表現するということは外界のものを単に写すことではない、画面というものを作り上げることである、イマージュを確定していくことである、と次から次に言葉を選びながらこのF15号の絵に加筆してみた。





# by papasanmazan | 2019-02-01 17:28 | 風景画 | Comments(0)

晩秋ヴァントゥー山


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昨年11月の日本での個展を終えて、フランスに戻ってすぐにF10号の風景画を描き始めた。この風景はぜひ秋の枯れた感じの時がいいだろうと心待ちにしていた場所、ベル・ヴュウからの俯瞰図である。

春、夏よりも大地の傾きがよく画面の動きにあわさって、秋の落葉した木々の群れの色彩に流れていく全体感に制作していて大変に魅力を感じたものである。しかし途中でモチーフの実景に引っ張られて過ぎて、これもやはりアトリエにしばらく放置しておいたものである。

少し時間を取って、間を置くというのか、余り直情的になり過ぎないように心がけていくのも大切なことだと思う、今年の正月を越してから、やおら制作を続行した作品である。晩秋のヴァントゥー山といっても完成したのは真冬の寒い日だった。





# by papasanmazan | 2019-01-27 19:35 | 風景画 | Comments(2)

大きい松


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昨年の今頃、ちょうど冬の寒い時だったがF20号のキャンバスに大きな松の木と、その背景のプロヴァンスの平野をモルモワロンの上から見下ろして描いていた。割合に特徴を上手くとらえることが出来て、制作としてはいいペースだったのだが途中からどうにも筆がどうにも進まなくなり、季節が春めいてきて、そのままの状態でアトリエに立てかけていたキャンバスをどうやら今年になって続けることが出来た。

昨年と比べると風景などのとらえ方がかなり大きくなってきたように思う。細かい部分もいい加減に扱うつもりはないのだが、省略していくことに抵抗がなくなり、またその省略するところと描き込むところの構成が明確に自分でわかるようになってきた。それがいかにも構成している、という風なのはワザとらしくて嫌みなものだが、かなり自然な感じで現せる様になっていると思う。

ほんの少しの色の扱い、面の立て方、輪郭のつなぎ具合などどれをとってもつくづく難しいものだと痛感させられる。

先日の明け方、6時頃完全な月蝕がこのフランスの南部でもよく見られた。天気予報では、あるいは少し雲がかかってよく見えないかもしれないとのことだったが、予報に反してまったくの天体観察日和だった。我が家のヴェランダから、防寒準備につつまれて、読書でも出来そうな月明かりの明け方、だんだんと月が翳ってやがて真っ暗になるまで、その美しさに見とれていた、人類が宇宙旅行に出かけようかといっている時代、これは確かに科学の発達には違いがなく、その恩恵を大いに受けているには違いないのだが、ただ単に月の美しさにうたれているのも決してわるいことではない。時代遅れといわれようが、現実離れと思われようが、ときとしてかぐや姫の昔をしのぶのも一興と、それ位の覚悟で生き抜いていきたいものである。




# by papasanmazan | 2019-01-23 09:40 | 風景画 | Comments(2)

チェスの静物


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F12号のキャンバスにチェスを使った静物画を描いてみた。大きな布をあしらって、ピッコロ、パイプ、ワイン杯それに三つのザクロを組み合わせた静物画である。以前はよくこのチェスをモチーフに選んで幾何的な模様を画面構成に利用したものである。特に若い頃は幾何模様や抽象的な直線、曲線を打ち出したような絵を描いていた時期もある。

それというのも源氏絵巻に代表されるような日本的なものに随分と魅力を感じていたからである。西洋の油絵の本質である世界と物質という考えとはまったく違った日本の美、それは物から離れた抽象美だと気づいていた。どうにかそういった考えを自分の油彩に取り入れていこうとかなり悪戦苦闘したものである。


しかしそうした無理な仕事にはやがて限界が現れ、描くもの、描くもの、すべてにスランプにおちいる結果になってしまった。それを打ち破るには謙虚に自然と向かい合って、自分の頭の中だけの仕事ではなく、物をしっかりと取り込んだ仕事が必要であった。その時以来自然のなかでイーゼルをたてて風景を描く姿勢が現在まで続いている。しかし自分の中に抽象作用が現れてくるのはやはり日本人なのだからか、または若い頃没頭した鉄斎、雪舟、宗達などの影響がまだまだ残っているからなのだろうか。




# by papasanmazan | 2019-01-16 01:45 | 静物画 | Comments(2)

バルーの城と糸杉


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バルーの城に近づいた急斜面にオリーブの畑があって、そのむこうには岩山が見えている。ところどころに糸杉が立っていて風景全体に垂直感が強くでている場所で最近はよく制作するようになった。一度その場所でイーゼルを立ててみると次から次へと絵心を誘うような景色が見えてくるものである。不思議なもので今までなんとなく見ていたものが急に意味ありげなものになってくるのである。


フランス語の見るという動詞にvoirというのがあって、これは大変に日常的によく使う言葉であるが、ただ見る、という意味だけではなく分かる、理解する、という意味ももっている。普通に見るという時にはこれも一般的にregarderという動詞もあるし、理解するというのにはcomprendreというのもよく使う。しかしvoirには二つの意味があって、その時々で使い分けるのだが、風景などをよく見ていると段々と以前とは違って何かくっきりとしてくる時がある、すなわちその風景を理解しだすのである。


そうなってくるとその場所での制作が連作とは言わぬまでも、だんだん二枚、三枚と続いていくことが多い。このF10の風景画もそういう制作の中の一つである。このあたりの崖や岩山全体ももっと描いてみたいと思っている。





# by papasanmazan | 2019-01-09 20:15 | 風景画 | Comments(0)