赤い岩(第二段階)

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岩と岩が組み合わさって一つの構成物になったものなどを見ていると、現実をフトわすれて原始の時代に戻ったような錯覚に陥るときがある。遠く忘れ去られたようなものが急に自分の身の回りに舞い戻ってくるのである。いつのものとも知れぬ、まだ自分が生まれるずっと以前の、悠久のかなたのものを思い出す、と言ったようような錯覚である。

しかしこれは錯覚であろうか、現在この赤い岩を描いている場所にじっと一人でいると、時間を越えたような絶対空間を感じてしかたがない。たとえば以前パリのノートルダム寺院でバッハのオルガン音楽を聞いた時に、あの背の高い寺院の内部の空間の中に音が浮遊していた、空間を越えて絶対時間を感じてしかたなかったのと同じような経験である。

たしかにこれは自分にとっていい兆候なのだと思う。家内にこの場所に連れてきてもらった最初の一瞬から、ここだという感じがしたのである。小手先の絵画技術とか、出来上がった作品の見栄えなど問題にならないような根本のもの、創造力の根源といったようなものをこの場所は私に与えてくれる。ようやく見つかったモチーフである。

セザンヌは戸外写生に出掛ける時に、さあモチーフに行こう、といったそうである。これはセザンヌを理解するのに非常に大切な言葉である。決して、絵を描きに行こう、とは言わないのである、モチーフに行こう、である。セザンヌをよく理解したゴーギャンは絵を描きに出掛ける時に、さあセザンヌに行こう、といったそうである。これはゴーギャンを理解するのに大切な言葉である。

私も戸外の制作に出掛ける時に、さあ赤い岩に行こう、といずれ言えるようになりたいものである。
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by papasanmazan | 2012-09-26 15:46 | 風景画 | Comments(0)
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